7月20日(木)
最初は遠慮がちに手を伸ばしていたお菓子も、3つ目ともなると封を開けるところから口に入れるところまで、微塵も滞らない。「残しておいても一輝が食べるだけだから」と最初に言われたのに、哲朗さんは手元に置かれたものにも、まだ手をつけていない。
沙綾さんは、哲朗さんのカップに紅茶のおかわりを注ぐ。哲朗さんはまだ緊張が残っているようで、ちょっぴり硬い動きで「どうも」と軽く頭を下げた。
邪魔にならないところへポットを置いた沙綾さんは、自分の席に腰を下ろしながらお菓子を摘み、一口かじった。パリッと仕上げられたラスクの咀嚼音が微かに聞こえてくる。
「どう? 何か、思いつきそう?」
沙綾さんの問いかけに、返す言葉がパッと出てこない。昨日今日の問題じゃなく、一週間近く考えてきた宿題にも関わらず、私も隣の彼も、スッと回答が出てこない。
「サポートの哲朗くんは仕方ないとして、言い出しっぺのみぃちゃんが何にも持ってこれないのはダメなんじゃない?」
沙綾さんは、厳しい目つきと険のある声を私に投げかけた。哲朗さんが隣で身を乗り出して何か言いかける前に、彼女はすぐに表情を和らげて「ま、難しいんだけどね」と優しく言った。
「途中まで検討した捨て案はあるんでしょ?」
沙綾さんの言葉に、哲朗さんが「これです」と印刷した企画書を数点、鞄の中から取り出した。沙綾さんは更に「ボツ案もあるならデータをもらって良い?」と言った。
「じゃあ、リンクを送ります」
「サンキュー。コレね」
沙綾さんは手元にあるタブレットを見て、ボツ案も含めたデータを眺めてくれている。哲朗さんから受け取った書類も確かめながら、「なるほどねぇ。確かにコレだとパンチが弱いかもね」と呟いた。沙綾さんは書類を脇に置き、タブレットから顔を上げた。
「王道のエンタメに、こだわりのビジュアル重視は良いと思うんだけど」
「映画として最後まで見てもらう面白さというか、ご褒美が足りない?」
哲朗さんの呟きに、沙綾さんは渋い顔で「う〜ん」と小さく唸る。
「主人公の成長というか、世界観の変化、ですよね。どちらかというと」
沙綾さんは首を小さく縦に振った。
単なる映像作品ならビジュアルが良ければ十分だろうけど、映画として作るつもりなら、主人公が主人公たる理由、意味合いをもう少し足さないと、見終えたときに物足りなさが残る気がする。それは、私もよく分かる。
単純なシナリオの問題じゃないし、キャラクター設定の問題でもない。私が私自身として何を描きたいのか、何を訴えたいのか。北摂の魅力、ビジュアル的なポテンシャルを伝えたい以上の「何か」を見つけないと、今回の取り組みは「映画」にならない気がする。
「でも、劇的なストーリー、奇抜な変化も足したくないよね。コレはコレで良いんだし……」
沙綾さんに渡した脚本に手が添えられる。自分自身を褒められているような気がして、恥ずかしいような、くすぐったいような不思議な気持ちになる。
「ま、とことん悩んで考えよう。そのために呼んだんだし」
沙綾さんは新しいお茶を入れるために、キッチンに向かってお湯を沸かし始めた。壁際の時計を見上げると、まだ17時過ぎ。一兄が帰ってくるのもまだまだ先だし、遠慮しないでじっくりディスカッションしよう。帰ってきたら帰ってきたで、巻き込んでやる。