エントランス
見渡す限り何もないだだっ広い空間に、また新しい訪問者が来たらしい。
何もないこんな場所に、何でわざわざと思いながら、重い腰を上げた。扉の向こうで早く招き入れろとアピールしているのは、開ける前から分かっている。前に居た奴も、その前に来た奴も同じだったから。
「いらっしゃい、よく来たね」
扉がぶつからないよう、ゆっくり開けた。こちらからは逆光になっていて、顔や姿はよく分からない。ま、ここでは男も女も関係ないんだけど。
「どこから来たんだい?」
新参者に話しかけながら、ロビーを先導する。そいつは口を動かしたようだが、私の耳では何を言ったか拾い切れない。聞こえていないことが分かったのか、もう一度繰り返したが、やはり何も聞こえない。
「ああ、気にすることはないよ。こちらからは見えないし、聞こえない。そういう決まりなんだ。で、あんたの名前は?」
新参者は、「 」と答えた。
「 さんね」
棚から年季の入ったボードを手に取り、新しい紙を挟み込んだ。名前の欄に、「 」と書き込む。
「何にも書いてないか、だって? そうだよ。ただの気分だよ、気分」
所定の様式に沿って、残りの空欄を埋める。枠線とフォーマットに則った元の用紙があるだけで、さっきと何も変わらない。ここまでの会話も、こちらが一方的に喋っているだけで、相手の反応も姿形も何も分からない。
でも、さっきから一方的に見つめられるだけよりはマシさ。ま、見つめたところで、そっちもこっちの姿も声も認識できないんだろうけど。
「こんなところに来たって、まだ何にも用意できてないぜ?」
新参者に、自分の後ろに何もないことをアピールしてみる。虚無とも混沌ともつかない、「間」だけが広がっている。
「イスとか、飲み物は」
新参者の方を見ると、セルフサービスで椅子を運んできた。ついでに、ドリンクも自分で取りに行っている。
「理解が随分早いじゃないか。そう、何か欲しいものがあれば自分で用意すること。ここでのルール? 特にないな」
そう言いながら、たっぷり液体の入ったコップを持ってきた新参者に、殴りかかってみる。こちらからの暴力も、特に禁止はされていない。しかし、殴ったところで届くような距離でもない。
「安全は多分保証されてるから、あとは自己責任でよろしく」
そいつに向かって笑いかけてみたが、多分こちらからの声も聞こえてはいまい。姿も恐らく見えてはいない。そんなことはない? いやいや、やっぱり見えてないでしょ。
「そこのアンタに言ってんだけど」
目の前にいるはずの人物に向かって、ビシッと指を差してやる。
「指も見えてないだろ? ビクついてないのも分かってるぜ」
本当に見えてたら今頃、顔を背けているか、この文字を目で追いかけられていない。
「そう、アンタだよ、アンタ」
もう、分かってるよね? これ以上は、野暮なことは言わない。
「ご覧の通り、まだ何にもないんだけど、コレからもよろしく頼むよ」