2231(仮) 第二三話

仮面ライター 長谷川 雄治 2231(仮)→塔の見える街

「早朝から悪いな、大将」

 受話器から聞こえてくる米利刑事の声も、どこか寝起きっぽい印象があった。時刻を確かめると、午前四時半を過ぎたところ。夜明けも迎えていない。

「早々で悪いんだが、まずい状況だ」

 彼の声にまだ覇気はないが、掠れ気味の声が、状況がいかに悪いかを伝えている。

「欧米、特にフランスとアメリカ、香港で暴動が起きつつある」

 アメリカでは特に、二十一世紀前半、BLMと呼ばれる騒動が起きていた地域で、地元住民によるぶつかり合いが、激しくなりつつあるという。

「日本はまだ静かだが、沖縄や各地の軍事基地周囲で緊張感が高まっているという情報もある。銃社会のあっちは、いつ何があるか予想がつかない」

 国家同士の軍事衝突はまだしばらくないとしても、小規模な死傷事件、地域紛争や内戦が起こる可能性は出て来ている。

「やっぱり、例の薬物ですか?」

「さあな。効能、原料的にはただの食品、ドラッグとも呼べない。マリファナが違法じゃない地域なら、尚更な」

 何かのキッカケで、憎悪の連鎖、諍いの規模が膨れ上がるかもしれない。そんなもの、真境名をどうにかしたところで、何かが解決するようには思えない。僕らがやっていることに、何か意味があるんだろうか。

「で、そっちはどうなんだ。一番ヤバそうなのは止められそうか?」

「全然ダメです。分からないことだらけですよ」

 米利刑事は、はははと笑った。

「そうか。そんなもんだ」

「笑ってる場合じゃないですよ」

「笑うしかない時もあるんだよ」

 電話口の向こうの声が一瞬遠のく。すぐに何か物音がして、真面目な口調の声が聞こえて来た。

「ま、こっちのことは大人に任せろ。君は君にできることをやってくれ」

 僕が、「はあ」と気のない返事をすると、彼は「じゃあ、検討を祈る」と受話器を置いた。結局、何を伝えたかったのか、よく分からない電話だった。のんびりしている暇はない、状況が差し迫りつつあると圧を掛けに来ただけではないか。

 やれやれと思いながら、みんなの元に戻った。彼らと共に、話しやすい場所へ移動する。人通りが極力少ない休憩スペースに入り、状況を整理する。

「まず、さっきの電話だけど、時間の猶予がなくなって来たっぽい」

 米利刑事から聞いた話を、そのまま伝えた。空湖さんと桂花さんの顔が少し曇った。駿の表情は、いつも通りあっけらかんとしている。

「悩んだってしょうがないからな。杞憂は杞憂よ」

 駿は笑顔でそう言うと、今度はテーブルの上に身を乗り出して、僕に少し近付いた。

「で、さっきから話しにくそうにしていることは?」

「非常に言いにくいんだけど」

 僕は、空湖さん、桂花さんの目を極力見ないように、視線を下げた。

「さっきのあの子、僕と桂花さんの子どもかもしれない」

「は?」

「だから、あの部屋で培養されていた子どもは、遺伝上、僕と桂花さんの子どもになるかもしれない」

 側にいた駿が聞き取れていないのかと思い、急にボリュームを上げて喋ったのがよくなかった。桂花さんの隣に座っていた空湖さんは両手で顔を覆い、天井を仰いだ。桂花さんは、事情を把握しきれないまま、顔を赤らめている。

「どういうことだよ」

「僕にもさっぱり分からない」

 見た目こそ近くても、ほぼ機械の僕と、出来損ないとはいえほぼ人間の彼女とでは、生殖を望んだところで種が異なり過ぎる。ただの機械で終わっていれば必要もない生殖機能を獲得した我々と、彼女らの種族と、それぞれの種族同士であれば生殖、繁殖は従来から可能だったけど、垣根を越えた事例は今までなかったはず。

「もちろん、何にもしてない。仮にやったとしても、できるはずないし、できたとしても数時間でアレは不可能だよ」

「つまり、君らの生殖細胞を外科的に取得して、体外受精させたと?」

 空湖さんの指摘に頷くと、彼はなおも頭を抱え、「なんてこった」と声を押し殺しながら叫ぶ。桂花さんはショックを受けているようだが、父親ほどの反応ではない。

「あくまでも可能性の話で、確定した訳では」

「貴様、何を抜け抜けと」

 空湖さんは一気に距離を詰め、僕の胸ぐらを掴んで壁に押し付ける。目には怒りの色を浮かべ、そのまま首を締め上げにかかった。

「ちょっと、お父さん」

「おやっさん、落ち着け。やり過ぎだ」

 桂花さん、駿が間に割って入り、僕らを引き離した。空湖さんは駿が力で抑え、桂花さんは僕が呼吸を整えるのを介抱してくれている。

「大丈夫?」

 声を出しにくい状態で、首を縦に振って彼女に応える。僕の顔を覗き込んで、ゆっくり背中をさすってくれるその優しさが、ちょっと辛くもある。呼吸を整え、空湖さんと少し離れた席に座らされた。

「そこには詳しく触れないとして、どうする?」

 駿は空湖さんの隣に座り、仕切り役に回った。

「手がかりはなさそうだけど、その遊川って人から調べるとか」

「データの消され方が妙だよな。管理部の人も困ってたぐらいだし」

 駿と桂花さんは、同じタイミングで腕を組み、「う〜ん」と唸った。

「あとは、真境名の目的と、居場所の特定かな」

「居場所? そんなもの、特定できるのか?」

 駿は僕の顔を見て、不思議そうに首を傾げた。僕は、あの時の彼の行動を思い出す。

「予備はまだあると、二本の管を大事そうに持っていた」

 途中で止められたけど、無理やりさせられそうになった、とは言わずに飲み込んだ。空湖さんの睨みつけるような目がまだ怖い。

「もし、もう一体必要なのであれば、培養槽とか、さっきの部屋に近い設備が必要になる。そんな設備を一通り隠しておける場所なんて、そんなにない」

 職員からもらった案内資料によれば、ここの設備でも、例の促成培養が可能な培養槽まであるのは、あの部屋だけらしかった。人格、記憶を上塗りするための容れ物が、二つ以上必要なのか。

「居場所を探るのと目的を探るのと、遊川って人の正体、足取りを探るのが今の目標か。どれも大変だな」

 駿は仕切り役を全うしたぜと言わんばかりに、鼻を鳴らした。彼の頑張りを含め、僕はゆっくり頷いた。

「ちなみに、仮に私と貴方の子どもだとして、それは生き物としてどういう位置付けになるの?」

 桂花さんが静々と質問してきた。僕に問われても、答えは持ち合わせていない。記憶の限りでは、人の形はしていたように思える。

「もし、新しい生き物なら、カルワリオ協定の改訂が申請できるかも」

「え?」

「もう一回条文、付帯事項を調べないといけないけど、協定の背景を考えたらさ」

 彼女は明るい声で言った。

 カルワリオ協定が、機械の子、人間の子の世界を想定したものであるなら、どちらでもない子が生まれたとしたら、前提を問い直す、あるいは見直しを迫る申請はできるかもしれない。

「リセットを止める思わぬ方法が出てきたな」

 駿は僕の肩を軽く叩いた。

「まずは条文の確認と、遊川女史の調査かな」

「米利刑事には、怪しい場所がないか、捜査してもらおう」

 駿は「よっしゃ、じゃあ手分けしよう」と言って、立ち上がった。彼の後ろから声をかけた空湖さんは、僕と桂花さんを見ながら、駿に言う。

「君は、米利刑事への伝言と、条文の確認をお願いできるかな。僕らは一旦、検査にかかろう」

 彼は僕と桂花さんの手を取った。手を握る力がそこそこ強い。駿が何か言いかけるが、反論を許さないという様子で、彼は抵抗を諦めて自分の仕事に取り掛かった。

「さぁ、行こうか」

 静かな言い方が非常に怖い。僕と桂花さんは、空湖さんに手を引かれながら、生体検査も可能な医務室へ向かうことになった。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。