2231(仮) 第四四話

仮面ライター 長谷川 雄治 2231(仮)→塔の見える街

 目の前の二つのボタンが何を意味するのかはよく分からなかったが、とりあえず目についた上向き三角のボタンを押してみる。何回か押してみるものの、何かが起こるとか、手応えがある感じがしない。

「なんか、電動シャッターの開閉ボタンっぽいね」

 僕が適当にボタンを押しているのを横で見ていた織林刑事は、ボソッと呟いた。米利刑事は思い当たる節があるのか、「おお、なるほどな」と頷く。僕は要領を得ないまま、今度は下向き三角のボタンを一度押した。特に何か起こる雰囲気はない。押し込んだ手応えもあっさりしている。

「もうちょっと、長押ししてみたら?」

「長押し?」

 織林刑事のアドバイスに、半信半疑ながら下向き三角をグーッと長押ししてみる。長押しの方が安定した手応えっぽい気はするが、やっぱり、何かが起きてる感じはしない。首を傾げながらも、もうしばらくボタンを押し続けてみる。

 米利刑事は、目の前にある黒い柱の周りをゆっくり一回りして、変化がないか確かめている。丁度、対面に位置する辺へ移動した時、彼は「あ」と声を出した。ここからでは何がどうなっているか全く分からないが、そこに何かがあるらしい。

 彼は、しばらくそこから動かない。僕も特に体制を変えず、風が吹き荒ぶ中、ふらつかないように気をつけながら、必死にボタンを押し続ける。米利刑事の隣に移った織林刑事が、彼の誘導に従って上空を見上げた。僕もそれに倣って、上を見上げる。

 随分上の方から、動いてるかどうかも分からない速度で、ゆっくりと何かが近付いて来ている。形はまだはっきりとは分からないが、どうやら筒状をしていて、それほど大きくない何からしい。そんなに入り組んだ作りはしていないらしく、非常に簡素なものに思える。

 上から近付いて来ているそれは、目の前の柱、正確には米利刑事がいる側の場所から伸びるレールか何かにくっついて、ゆっくりと近づいて来ているらしい。

「もしかして、アレ?」

 桂花さんが近付いてくる筒を指して言った。僕は「多分」と答えた。

 大都の社員がメンテナンスしているというのも、きっとアレの事なんだろう。上向き三角のボタンを押してもうんともすんとも言わなかったのは、上に行く余地がなかったからかもしれない。まだしばらく押し続けないと降りてこないアレを、操作した後は同じ時間だけ上向き三角のボタンを押さねばならない。そのしんどさを思うだけで、今から若干憂鬱になる。

 流石に押しっぱなしに疲れて来たので、桂花さんに代わってもらう。ボタンを彼女に任せ、僕は米利刑事のいる方に回った。彼の目の前に、上まで延々と伸びている正体不明の溝が作ってあった。この溝と、噛み合わさっている謎の機構によって、円筒が降りて来ている。

 段々サイズや色が分かってきた。屋外用に置くゴミ箱、ペダルを踏んで蓋を押し開けるペール缶みたいな筒らしい。ただ、成人女性と同程度の背丈はありそうだ。若干大きな筒は色がすっかり褪せていて、素材となっている鋼材の上に、煤けた感じの黒が重ねられていた。

 街中で見かける古いタイプのロボットにもよく似ていた。頭っぽいところはやや丸みを帯びていて、可愛らしい形状になっている。頭頂部からは、外部から簡易な作業で取り付けられたような太陽光パネルと、大きめの投光器っぽいランプが付いていた。一応調色できるタイプのLEDらしく、空の上で時々色が変わっていたのはそれのせいだったらしい。

 今は日中だからか、ランプは灯っていない。

 桂花さんから、今度は米利刑事にバトンタッチされ、やっと筒が目の前まで降りてきた。ボディには、”drive one’s glowy”と刻まれていた。”d.o.g”とも読めるように、一部の書体が変えられていた。

「輝きを放つって、コレのことか?」

 米利刑事は、頭頂部のランプを指した。他の部位は随分ツルッとしていて、デザイン性の高い成型になっているが、そこと太陽光パネルの周りは浮いて見える。設計思想が多分違うのだろう。無理やり後から付けられたのがよく分かる。

「多分、こいつの名称なんじゃないですか? 犬って読めるように無理やり付けたとか」

 英文が無理やりすぎるところから行くと、「dog」が先に合って、後からそれっぽい文章を考えたんだろう。何から何までチグハグな感じのするコイツが、ハチ公タワーたる由来?

 考えてもきっと、答えは出ない。時間もそこまで残されていない。ハチ公(仮称)の周りを探る。横の方に、外部操作用っぽいパネルとキーボードが付いていた。入力を表示するモニターもついているのはありがたい。

 外部操作用のパネルを叩き、電源を入れた。独自OS、オグドアドが立ち上がると、インタープリタの相手役らしいハチが、次の入力を促すメッセージを表示した。

「アレ、ICカードは?」

 米利刑事が、パネルの近くを眺めながら呟いた。織林刑事は、ハチ公の反対側をじっくり眺め、「ココにありますよ」とカードリーダーっぽい窪みを指差した。

「めんどくさいな」

「普段使わない機能なら、そんなもんですよ」

 僕は米利刑事の意見に賛同しながら、ハチにメッセージを入力する。インタープリタというか、チャットボットみたいなものらしく、数回メッセージをやり取りすると、凍結申請の段取りに進んでくれた。

 月が南中にあるという条件はもうしばらく問題ないらしく、対面のカードリーダーに僕がICカードを持って触れながら申請すれば、次のステップに進むらしい。隣にいた桂花さんと手順を確認し、僕はカードリーダーの前に移動した。ICカードを取り出し、カードリーダーにかざして、彼女の合図を待つ。

「行くよ。三、二……」

 桂花さんの声に合わせて、カードを当てた。カードを当てている間、カードリーダーの小さなランプが緑に光っている。しばらく待つと、ハチ公の両目が微かに光った。

「うん。OK」

 桂花さんがこちらに顔を向け、指で丸を作った。僕はICカードを離し、カバンにしまった。モニターが見えるところへ移動すると、「送信中」と進捗状況が表示されていた。無事に、月面基地へ飛んでいるような絵が出ている。

 モニターの隅に目をやると、時刻は午前六時三八分。十分ほど待つと、「送信完了」に表示が切り替わった。

「コレで、いいのか?」

 米利刑事は横からモニターを覗きながら言った。僕は、「さあ?」と答える。

「私、聞いてみる」

 桂花さんはケータイを取り出したが、圏外らしい。織林刑事は「コレを使って」とかなりゴツい端末を差し出した。衛星電話の一種らしい。

「架ける分には、普通の使い方で大丈夫だから」

 織林刑事からそれを受け取ると、桂花さんは自分のケータイで番号を表示しながら、ゴツい方の端末に番号を入力した。番号を入力し終えると、すぐに耳に当てた。

「あ、もしもし、お父さん? グレゴールさんに連絡取れる?」

 レスポンスが良くないのか、彼女は話しかけてから少し遅れて、相槌を打つ。そのまま向こうの空湖さんとやり取りして、電話の向こうにグレゴールさんを呼び出した。桂花さんはそのまま、僕に端末を差し出した。

 僕はそれを受け取り、モニターの前で表示を見ながら彼に状況を伝えた。

「コレで、いいんですよね?」

 僕が言葉を発してから、数秒待って返事が返ってきた。電話越しにも、くぐもった合成音声が聞こえてくる。

「受付完了にならなければ、凍結申請は完了しません」

「このまま待っていれば、ステータスは変わりますか?」

 グレゴール氏の返事が、すぐに返ってこない。数秒の待ち時間がもどかしい。

「いいえ。変わりません」

 彼の回答は、期待通りのモノではなかった。しかし、やれと言われたことは全てやり、「送信完了」にもなった。ハチ公を上まで戻さなくても送信できたということは、コレがココにあることは問題ないはず。

「考えられるとしたら、優先される条件が満たされていないからでしょう」

 優先される条件? 凍結申請の前に満たす条件って何だっけ。

 モニターの片隅、時計を横目で見ながら頭を必死に働かせた。さっきまでまだ時間があると思っていたのに、いつの間にか午前七時を回ろうとしている。

 時間がないと焦っていると、遠くの方で何か物音がした。風に紛れてよく聞き取れないが、音の主はだんだん近づいているように思う。音のする方へ視線を向けると、灰色の肌に黒のコートを羽織った男が、ハシゴを登っていた。

 彼はこちらを見て、「よう、救世主」と手を挙げて言った。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。