壊乱(仮) 第八話
エマちゃんに作ってもらった花束を片手に、木馬では登り切れない坂道を登る。息を切らしながら高台に登ると、そこから見える景色はそれなりに見晴らしがいい。ここからもう少し上に行けば、歴代国王や王族が眠る墓地がある。
母方の墓は、その一つ下。単なる戦没者の墓地とは違う場所にあった。随分昔に訪れた時の記憶を頼りに、ハイランド家の墓を探し当てた。この下に、母、フレイヤが眠っている。
特別な許可がなければ入れない場所。折角だから父にも声をかけてみたが、彼は「仕事があるから」と断った。一度は連れ合いになり、子供をもうけた間柄なのに、そんなものなのだろうか。
最も、母の墓参りという点で言えば、父以上に僕の方が場違いというか、筋違いのような気はする。何せ、命を奪った張本人だ。それも、偶発的な事故ではなく、明確に刺す意思を持った故意の出来事。母の柔らかい身体を刺し貫いた感触も、その時手についた返り血の温かさや鉄臭い匂いも、鮮明に覚えている。
それでも気を奮い立たせ、深手を負った龍をあの時討ち果たせていれば、今頃どうするか、気に病むこともなかったはず。ただその場合、人としては終わっていたような気もする。名家の人間として、あるいは軍人として成り上がることを捨て、蔑まれながらも一人の人間として生きることを選んだ。そこに、後悔は微塵もない。
後悔があるとすれば、母を犠牲にせざるを得なかったことと、それを回避するだけの訓練を怠ったこと。龍の強さやその襲撃を予見できていれば、もっとマトモな戦い方だってできたのに。自分の甘さ、未熟さが母を殺した。母殺しの汚名は、逃れようもない僕の罪だ。
母を手にかけたショックで、龍を討ち漏らしたのも、軍を除隊して戦いを放棄したのも、無用な犠牲者を増やし続けているのも、何から何まで自分の責任。ネウロの言い分は、何一つ間違っていない。
その後悔に少しでも報いるには、今もなお生き永らえている龍を討ち倒すこと。こんなに分かりやすいチャンスが目の前にぶら下がっているのに、やらない理由なんて、本当にあるのだろうか。どう考えてもやるべきなのに、今一度剣を握る気は起こりそうにない。
僕は家を出る時から腰に佩いて来た家宝の剣を握りながら、母の眠る墓に向かって祈りを捧げた。名前を捨てておきながら、家宝を姉に渡さないワガママを働いている。僕は、どうすべきだろう?
独りでジッと考えてみたところで、答えなんて出るはずもない。
魔法も使えず、家風から外れた剣しか使えない、ないない尽くしの僕に、何が成し遂げられようか。僕は墓に花束を置き、ソッと墓の前から立ち去った。高台から見える傷が残る街を眺めながら、気が抜けたようにトボトボ歩く。
僕が龍を討伐してもしなくても、街の傷は癒えないし、僕のトラウマも消えはしない。頑張っても頑張らなくても変わらないなら、無理に頑張る必要もない。このまま父のように、下町の何でも屋として死んでいくのも悪くない。
「その様子だと、まだ悩んでいるようだな」
墓地の出口で、後ろから声をかけられた。
「腑抜けた愚弟が、何を迷う?」
声の主、グレイシアは近くの木に寄り掛かり、腕組みをしたまま僕を見た。長いまつ毛と大きな瞳、薄い金色に輝く細くて長い髪は柔らかな雰囲気を醸しているのに、その表情と気配は、相反するような鋭さと冷たさを湛えている。母、フレイヤと同様に、高貴さと麗しさを備えた女傑が、僕ににじり寄る。
「姉の問いにも答えられんか。そんな腑抜けに、家督の証は相応しくない」
彼女は、ゆっくりと腰の細剣を抜いた。ジリジリと、彼女の間合いに近付いていく。
「今すぐ、ソレを差し出せ。さもなくば、我が剣の露となれ」
彼女は剣を構え、鋒を僕の鼻先に向けた。刃から、彼女が発する冷気が漂ってくる。僕は鋒と、その先にある彼女の目を見据えたまま、腰の剣に手を当てた。
「勝負なら、昨日つけたはずだ。茶番だろうと、何だろうと、決闘を反故にするのは名家のやることか?」
「相手が腑抜けの下民なら、話は別だ。誇りも責任も投げ捨てた貴様との決闘に、守る価値などない」
グレイシアは僕を睨んだまま、剣に冷気を纏わせていく。肌を刺すような冷たさが、鼻の先から広がり始めた。このままジッとしていれば、斬られる前に凍え死ぬ。距離を取るべく背中を向けようものなら、少しでも動いた途端に刃の餌食になる。
「もう一度言おう。剣を渡せ。生命までは奪わん」
彼女から放たれる威圧感も、殺気も、まじりっ気なしの本物だ。冗談抜きで殺しに来ている。現役の軍人、なおかつ本気の彼女相手に、勝ち目などない。だからと言って、生前の母に託された家督の証、家宝の剣を力尽くで奪われるつもりもない。僕はしっかり気を張り、彼女をジッと観察した。微細な動きを見抜ければ、隙の一つや二つ、生き延びるチャンスを見つけられるかもしれない。
「ほぅ。生命も家宝も、まだ諦めんか。貴様にはいずれも、無用の長物だろうに」
ハイランド家の長女として生を受けた彼女は、家を守るために全てを捧げ、王家を守る最高の剣を目指して生きて来た。剣士として、軍人としてひたすら強くあること、最強の地位を手に入れることだけを目的にして来た彼女に、今の僕の生き方は何の価値も見出せまい。
自分自身でも、今の生き方でいいのかどうか、常に揺らいでいる。今はまだ楽しくやれているが、そのうち、生きているのか死んでいるのか分からない毎日になってもおかしくはない。そうであるなら、今この場で自ら腹を切ろうが、彼女に切り捨てられようが、同じことではないか。
それでも生にしがみつくのは、何か未練でもあるからではないのか。実の姉に本気の剣を向けられている最中に、考えるようなことではない。自分のあまりのおかしさに、不意に「ふっ」と吹き出してしまった。
僕が笑った瞬間を見逃さず、グレイシアは踏み込むと同時に剣を突き出してきた。僕は慌てて上体を後ろに引きながら、腰の剣を抜くべく力を入れた。鍔と鞘の間に付着していた汚れ、血糊のせいで剣を引き抜けない。グレイシアはその間にも距離を詰め、二撃目を繰り出してきた。僕は仕方なく、鞘ごと引き抜いて石や装飾がついたソレを掲げた。鞘で攻撃を受け止めるつもりだったが、グレイシアは刃を打ち下ろす瞬間に動きを止め、剣と鞘がぶつかり合う寸前で細剣を静止させた。
彼女の剣から漏れ出る冷気が、鞘を微かに凍らせる。高い熱伝導率のおかげで、鞘を握る僕の手も凍りつきそうだった。グレイシアは上がりきった呼吸を整えながら、冷気の放出を抑え込んでいく。ゆっくりと剣を引き、汚れを払うように軽く振るった。
「見事な執着だな。未練がましいにも程がある」
グレイシアは剣を鞘に納め、服や鎧についた汚れを手で払う。
「そこまでしがみつくなら、せめて丁寧に扱いなさい」
彼女はどこにしまっていたのか、服と鎧の間から折り畳まれた紙を取り出し、僕に差し出した。それを受け取って中身を確かめると、ハイランド家御用達の刀剣類取扱の店だった。彼女の紹介状も可愛らしい封筒に入っているようだ。
「母は死んだ。貴様の手にかかってな。その事実は今更、変えられない。いつまでもそんなものに囚われるな。生きることに執着するなら、尚更な」
彼女は、元に戻りつつあった鞘を指差した。彼女が何を言いたいのかはよく分かった。
「名前を捨てたとて、ソレを持っている間はハイランド家の人間だ。ノブレス・オブリージュを忘れるなよ」
グレイシアは、すれ違い様に僕の肩を軽く叩き、高台の墓地を出て行った。僕は遠ざかっていくその背中を見ながら、彼女の放った言葉の意味を考えた。