壊乱(仮) 第九話

 高台の墓地を後にすると、グレイシアにもらった案内を頼りに次の目的地へ向かった。どうやら、王宮の北にある川を渡った先、旧商店街の中にあるらしい。かつての惨劇が今も根深く残る場所で、復興は全くもって間に合っていない。

 教団の手による土地の浄化や、軍部による清掃自体は終了しているようだが、倒壊した建物の後処理や、窪んだままの道路を修復するところまでは至っておらず、通りを行き交う客どころか、長くこの場所で商売をしてきた人たちすら戻って来ていない。

 小綺麗な廃墟のような土地で、ポツンと一軒掘立て小屋を作ってまで営業している頑固そうな店が、目的の場所だった。異様な店構えに、中へ入る前に一度店の前を通り過ぎようかと思ったけど、そもそも周りの建物はほとんど倒壊しているか、半壊で休業中のいずれかで、間違えて店の前まできたという言い訳も通用しそうにない。

 僕は意を決して、かなり埃っぽい店の中へ足を踏み入れた。中は外観以上に狭く、出荷待ち、納品待ちの品々が所狭しと積み上げられている。僕はその荷物を崩さないように奥へ進み、姿が見えない店主を探した。

「あのー、すみませ〜ん」

 思わず声を出して、カウンターの奥、立ち入り禁止らしい方へ声を掛けると、暖簾の奥からメガネをかけた背の低い男性がやって来た。彼は僕を見るなり、「やっと来たか。ほら、早く運んで」と言った。

「そんなところでボサッと突っ立ってないで、とっとと持って行け」

 彼は手元の書類にペンを走らせながら、僕を遠ざけるように手で払った。このままだと、いつまで経っても出入りの業者と間違えられたままになりそうだったので、僕はグレイシアから預かった紹介状を取り出し、再び彼に声を掛けた。

「おや、それは……」

 グレイシアの紹介状を半ば引ったくるように受け取った彼は、メガネを額に上げて中身を読み始めた。時折、「ふむふむ、なるほど」と言いながら、紹介状の最後までしっかり目を走らせる。彼は紹介状を元の形にたたみながら、メガネをかけ直して僕を見上げた。

「アンタが弟ねぇ」

 彼は僕の頭の上から足の先まで舐めるように見ると、「業者と間違うて、スマンかったな」と言った。

「そこの椅子に座って、ちょっと待っとれ。今、茶を淹れて来る」

 彼は僕の足元にあった背もたれのない椅子を指差し、僕にここで待つように言うと、暖簾の奥へ姿を消した。長く座るには若干心許ない椅子と、少々狭い空間に身も心もじわじわ蝕まれていると、彼はお茶を持って戻って来た。受け皿も中身も熱々のそれを僕に受け渡すと、彼は自分のお茶を一口啜った。

 僕がカップを上げ下げする間に、彼は僕の腰を指した。

「それが、預かる品かな?」

「ああ、そうです」

 僕は手を後ろに回し、剣を外した。僕が差し出した剣を受け取った彼は、目の高さまで持ち上げ、両手でゆっくり剣を抜く。血糊が付着している部分だけを確かめて、すぐに納刀した。納刀状態の柄と鞘をじっくり確かめ、カウンターへ丁寧に置いた。

 彼はすぐさまカウンターの下から伝票の束を取り出し、横にあったペンを手に取り、必要事項を書き入れた。上の紙を一枚ピッと外すと、それを僕に差し出した。

「一晩もらおう。また明日、取りに来い」

 僕は、彼が差し出した預かり表を受け取りながら、「あの、お代は?」と訊ねた。彼は「アンタは気にせんでいい」と言った。

「気が散るから、早く帰れ」

 彼はカウンターから出てくると、鶏や羊を追い立てるように僕を追い出しにかかった。僕は剣の行方や支払いが気にかかりながらも、店主の追い出しを拒むだけの胆力はなかった。グレイシアの紹介というのを信じて、この場は素直に立ち去る他なさそうだ。

 店主は僕を掘立て小屋の外まで追いやると、そそくさと店の中へ戻っていった。僕は店主が姿を消した方向に頭を下げ、旧商店街を後にした。

 ついでの野暮用を済ませながら、街をのんびり歩いて家まで戻ると、先に父が戻っていた。彼は、台所で何かを煮込んでいる。生姜やニンニク、その他のスパイスもたっぷり入れているらしく、いい匂いが家の外まで漂っていた。

 僕は隣の流しで両手を洗い、口を濯いだ。

 何か出来ることはないかと、父の後ろから鍋を覗き込んだ。中はどうやら、猪肉と香味野菜のようだ。もうしばらく煮込んで、仕上げに香り付けの調味料を入れれば猪肉スープが出来上がる。

 手持ち無沙汰な僕に気がついた父は、「何か付け合わせを作ってくれ」と言った。葉物野菜とトマト、規格外のウリでサラダを作っても良かったが、ナスとキノコが目に付いた。本当はベーコンも欲しかったが、肉はスープにも入っている。ここは妥協して、バターを加えるぐらいにしよう。

 戸棚を開け、缶に入ったバターを取り出した。蓋を捻って開け、スプーンにとった小さな塊を、熱したフライパンの上へ落とす。手首も使って鍋を回し、徐々に溶けていく油を広げる。鍋の上で手をかざし、十分に温まったのを確かめると、適当なサイズに切っておいたナスとキノコを鍋に放り込んだ。水にさらしていたナスの水気がまだ残っていたらしく、時折パチパチと音を立てながら油が跳ねた。

 僕は油が跳ねるのも気にせず、木ベラで材料を混ぜ合わせながら炒めた。途中で塩と安酒を振り、野菜から出て来た水分も飛ぶように鍋を振るった。

 僕がバター炒めを仕上げる頃には、父は食卓にパンや食器を用意していた。父が用意した皿に作ったものを入れ、自分の手で食卓へ運んだ。父は父でスープを仕上げ、少し深さのある広口のプレートへ、野菜と肉をバランスよく取り分けた。

 彼は食べ終えた後の段取りも済ませ、僕の向かいに座る。僕は卓上の小さなランプに灯りを灯し、彼と共にネオ・チャルカへの感謝の祈りを捧げた。父の「さあ、食べようか」の合図と共に、静かな食事を開始した。

 父も僕も、お互いにそれほど喋る方でもないし、喋らなくてもいいならいつまでも声を出さなくても気にならないせいか、二人だけの食事は食器の音が聞こえるぐらいで、非常に静かなものだった。

 母や姉と暮らしていた時はもう少し賑やかだった気がするが、これはこれで悪くない。お互いにいい大人で、いつどこで何をしていようと気にならないし、干渉することも、報告することも特にない。

「猪肉なんて、どうしたんだ?」

 僕はスープを口にしながら、父に尋ねた。

「厄介者退治をちょっと手伝ってね」

 彼は、今日の仕事を少し語ってくれた。時々畑仕事を手伝っている農園に、害獣が出るからと作物を守るために罠を仕掛け、厄介者を取り押さえるための人員として協力していたようだ。実際に仕留めたのは父ではないようだが、血抜きや下処理は現場に居合わせた専門家が手掛けたらしく、男やもめで家事に精を出して日が浅い父でも、美味しく食べられるようになっていた。

「そういうお前は、墓参りはどうだった?」

 僕は曖昧に、「うん。まあ」と答えた。父は重ねて、「姉さんと決闘して勝ったんだって?」とも言った。

「向こうは魔法の才能もあるのに、凄いじゃないか。お前も、オレじゃなくて母さんに似れば良かったのに……」

「別に、父さんのせいじゃないよ」

 僕が否定しても、父は「すまんなぁ」と繰り返し呟いた。僕に魔法の才がないのは自分のせいだし、今の自分があるのも、自己責任だ。マグレでもグレイシアに勝つような能力がありながら、半ば世捨て人のように生きるのも、自分で選んだことだ。

 僕と父は食事を終えると、後片付けに移行した。最初は父がやると言っていたが、僕が無理やり、横から割り込んだ。父は「そうか。すまん」と食卓に戻り、食後の酒を傾けていた。

 僕は父に背中を向けたまま、目の前の汚れた皿や鍋を洗い始めた。黙々と手を動かしながら、別のことを考える。

「あのさ、しばらく家を出ようと思う」

 僕は後ろを振り返らず、独り言のように言った。父はそれを聞いているのかいないのか、何も言わない。僕は洗い物を終え、父の方を向いた。

「やりかけの仕事に、ケリをつけて来る」

 父は穏やかな笑みを浮かべ、「そうか。頑張ってこい」と言った。

「一人で、大丈夫だよな?」

 僕の冗談に、彼は「バカにするなよ」と笑みを浮かべながら、僕を小突いた。細々とした家事も、母よりは適性があるように思えるし、一人暮らしが寂しくなっても、彼には仕事仲間や友達もいる。

 僕がいるべき場所はきっとここではないし、やるべきことも別にある。なんとなくモヤモヤしていた気持ちに、不意にスッと芯が通った。一人静かに覚悟を決めた僕は、身も心も少しだけ軽くなった気がした。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。