壊乱(仮) 第十話
主人不在の玉座の間で、座る者のいない玉座に向かって跪いている。
我々には不遜なネウロも流石に肉親への敬意は持ち合わせているらしく、永らく空いたままに見える玉座であっても、そこへ座ることはないようだ。
彼は玉座が備え付けられている壇上に立ち、下に控える我々を見下ろしている。
「それで、肚は決めたんだな?」
ネウロは息をたっぷり吸ったのか、よく響く声で言った。
「わざわざ登城しておきながら、情けない答えではなかろうな」
ネウロの物言いに、後ろから「なんだよ、偉そうに」と呟く声が聞こえた。その横で、「ちょっと、黙ってろ」と注意する声も耳に入る。僕は俯いたまま、吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
目の前にいるネウロや、すぐ近くにいるはずのフューリィは、後ろにいる二人の粗相を咎めることはなかった。僕はジッと俯いて、ネウロの言葉を待った。ネウロは、「面を上げて、答えを述べよ」と言った。僕はそれに従って、顔を上げる。
「龍殺しの命、確かに承る」
僕の言葉に、ネウロは目を細めた。
「ほんの二、三日で、随分いい顔をするようになったな」
ネウロはゆっくり剣を抜くと、僕の目の前に鋒を向ける。
「玉座、いや神に誓えるか?」
彼は僕の目を真っ直ぐ捉えたまま、刃先を徐々に僕の顔へ近付ける。僕も目を逸らさぬ様にジッと見つめ返し、「二言はない」と答えた。それでもしばらく僕の目を見ていたネウロは、「良かろう」と剣を引き、鞘へ納めた。
彼は壇上から降りると、僕の横を通り過ぎて出口へ向かう。すれ違い様、「茶番は終わりだ。軍議に移るぞ」と言った。僕が慌てて立ち上がると、後ろにいたアレン、ドルトンも遅れて立ち上がった。しばらく屈んでいた身体をほぐしていると、ネウロはフューリィを伴ってどんどん先へ進んでいく。
僕ら三人は小走りでそれを追いかけ、ネウロの横に並んだ。そのまま、歩く速度を合わせて付いていく。
「ちなみに、今回の件で報酬はあるんだろうか。無償だからと前言撤回するつもりはないが、もしも可能なら……」
「ーー貴様、こんな時に金の話だと?」
僕が切り出した話に、フューリィが割り込んできた。ネウロは彼を一瞥して、目による威圧だけで黙らせた。
「お前は親父との二人暮らしだったな。良かろう。検討させる。後ろの二人も、額はブレイズより少し下がるが、それでも良いかな?」
ネウロはアレン、ドルトンをちらりと見た。二人は一瞬顔を見合わせ、頷いた。
「必要なら、代わりの人手も派遣しよう。軍議の後に、係に申し付けてくれ」
「名誉ある任務に、金銭だの報酬だの」
「ーー五月蝿いぞ、フューリィ。彼らは飽くまでも民間人だ。名誉や誇りだけでは食って行けんのだ」
ネウロは足を止め、フューリィに向き直った。
「そもそも貴様も、口減らしを避けて家を出た身だろう? 腕だけでのし上がった貧乏人は、口を慎め」
ネウロは念を押すように「分かったな?」と言うと、フューリィは顔を歪め、下を向いたまま「御意」と言った。ネウロは踵を返し、前回使った部屋へ歩を進めた。立ち止まったままのフューリィに、僕が「僕のせいで、申し訳ない」と声を掛けると、彼は「五月蝿い。オレに構うな」と声を荒らげた。
「なんだよ。感じ悪いなぁ」
すぐ後ろにいたドルトンが、僕の代わりに感じたままを口に出した。彼の後ろにいたアレンが、「ほら、行くぞ」とその背中を押し、僕にも顎をしゃくってついて来いと示した。僕は後ろのフューリィを気にかけながら、ネウロの後を追いかけた。
一足先にネウロが入った部屋へ足を踏み入れると、すでにグレイシアが着席していた。ネウロは彼女の労を労いながら、「弟君の覚悟はしっかり確認させてもらったよ」と言った。
「儀式と言うには、茶番過ぎたがね」
そう言う彼こそ、その儀式をより一層茶番にした張本人な気もするが、それは飲み込んだまま着席しよう。前回と似た配置で大きな机を囲み、最後に入ってきたフューリィが扉を閉めた。
彼が着席する前に、前回耳にしたことを確かめる。
「どこまでも何も、龍殺しの打診をされたところまでしか」
「そうだった、そうだった」
「奴がどこにいて、何がどうなっているのか、具体的な状況や話は一つも聞いてない」
ネウロに「どこまで話したか」を聞かれたことに僕が返すと、近くにいるドルトン、アレンが次々に不規則発言を積み重ねる。フューリィはそれが気に入らないのか、ネウロに見えないように、こちらを睨む。
「よく分かったから、今後は指されてから発言するように。いいな?」
ネウロは幼い子供へ言い聞かせるように言い、ドルトン、アレンは塩を振られた青菜のように大人しくなった。
「まずは、アレンの質問から答えよう」
ネウロはそう切り出すと、龍の現状に関して説明し始めた。
「現時点で、奴の居場所や、その他の詳しいことは把握できていない。噂話レベルの目撃情報が寄せられる程度だ」
前回、ここで見た写真があまりにも見覚えがあったのは、襲撃当時の写真だったからだろう。それ以降の鮮明な写真、記録は残せていない。つまり、僕の記憶の中にあるようなものしか、追いかけようがないと言うことだ。
「貴様の決死の一撃が、今もなお効果を発揮しているかどうかすら、曖昧だ」
綺麗に手入れをしてもらったばかりの剣と、母の決死の行動による一撃が、任務達成の何らかの足がかりになれば良かったのだが、それすら不明とは雲行きが怪しくなって来る。
ネウロは、スッと手を挙げたアレンに手のひらを向け、発言を促した。
「その程度の情報で、どうやって龍殺しなんて実行するんだ?」
「実に真っ当な質問だ」
ネウロは椅子から腰を上げ、七枚の小さな丸いプレートを手に取った。机の上に広げられた地図に、一つ一つそれを置いていく。そのうちの一つは国内だが、他の六つは他国。おまけに一つは南の端、氷の大陸にある。
「印を置いた場所は、近年魔物との戦闘が激化しているとの報告を受けている」
「それと、龍に何の関係が?」
「ああ、そう言うことか」
不規則発言をしたドルトンに対し、ネウロの話を聞いて考え込んでいたアレンは、事情を察した様だった。ドルトンは、「どう言うことだ?」とアレンに問い質す。
「龍ってのは瘴気をたっぷり溜め込んだ、魔物の親玉みたいなもんだ」
「だから?」
「龍が近くにいると、魔物は強くなるか、増える」
「つまり、この七箇所は潜伏先の候補ってことか」
アレンの説明に釣られて、僕まで不規則発言をしてしまった。ただ、その発言は的を射ていたようで、ネウロはゆっくり頷いた。
「七箇所を回れば、どこかで必ず龍に出会う」
「カドリの谷はいいが、他はどうすんだ? 下手をすれば、世界中を回る羽目に」
「だから、皇太子の物見遊山って形にするんだろ。どこも、貴重な遺産がある場所だ」
アレンはドルトンに地図を示す。ただ、彼が世界地図とその印を見たところで、どれがどの遺産と結びついているのか、関連付けるだけの知識は無いようだ。残念ながら、僕にも全部は分からない。
「上手く行けば一箇所目で、運が悪ければ最後の最後で龍と出会う羽目になる。世界中を飛び回って撃ち漏らした龍を殺す任務だ。悪くないだろう?」
ネウロは笑って言ったが、それを受けて素直に笑うだけの心の余裕は持ち合わせていない。程々の遠出で、五体満足なうちに帰宅出来れば最高だが、道中で命を落とす可能性も十分にある。
腕を組んで地図を眺めていたアレンは、顔を上げてネウロを見た。
「この七箇所が特に戦況が激しいだけで、他でも戦いは起きてるんだよな?」
アレンの質問に、ネウロは頷いた。
「じゃあ、モタモタしてられねぇじゃねえか」
ドルトンの意見にも、ネウロは頷いた。僕がボサっとしている間に、龍や魔物による被害、犠牲者はどんどん増えている。全ては、僕が母を刺したことで一杯一杯になり、龍を討ち漏らしたせいだ。
「ただ、我々が関与したからと言って戦禍が減る訳でもないし、関与しなかったからと言って、犠牲者が増えるとも限らない。そこは理解してもらおう」
ネウロの言葉に、ドルトンは「ああ、そうだな」と安心した表情を見せた。