奈落の擬死者たち(仮) 第十三話

仮面ライター 長谷川 雄治 奈落の擬死者たち(仮)

 遊ぶ暇などないはずなのに、何故かオレは出会ったばかりの女を引き連れ、昼間から街中を歩き回っている。オフィスから少し離れたところにある府立高校の裏辺り、町工場が立ち並ぶエリアまでやって来た。

 高層マンションの建設予定地として更地にされながら、その後の開発が進んでいない、関係者以外立ち入り禁止の私有地がある。それなりの公園程度の広さがあるココなら、多少暴れても大丈夫だろう。目隠しになりそうなフェンスも、周囲に張り巡らされている。

 オレはこれから殺り合おうという相手を、中へ入りやすいようにエスコートしてやる。彼女に続いて敷地内へ踏み入り、それなりの間合いを取って向かい合った。

 吹曝の場所で寒空の下、何故か二人っきりで対峙している。その滑稽さと、これからやらねばならない行為の落差に、頭がおかしくなりそうだった。オレは上着のポケットに両手を突っ込み、寒さに身体を縮めた。

「なぁ、やっぱり止めないか?」

 オレは向かいに立つ女を、改めて眺めた。これで向こう気や鼻っぱしらが強そうな女とか、跳ねっ返りの強そうなアバズレなら手を出せたが、化粧気のない地味な雰囲気は、平手打ちも憚られる。

 向かい合った女は、ココまで大事そうに肩に提げていたカバンからハンカチを取り出すと、それを地面に敷いた。カバンをその上に載せ、上着を丁寧に脱いで畳む。畳んだ上着もカバンの上に乗せると、背中から巨大な翅を生やした。

 それで自重を支え、宙を舞えるとは思えない薄さだが、彼女ら相手にそんな想像は役に立たない。観察している間に、彼女は翅を動かし始める。直立の姿勢で翔び上がるには厳しそうに思えたが、重さに耐えて何とか宙に浮いていた。

 彼女は必死の形相で、こちらに突っ込んでくる。さっきオレの腹に突き立てたらしい、右手に備わった大きな針を突き出した。その突進をギリギリで躱すと、彼女は即座に中空で体勢を立て直し、再突撃に移行した。

 その突進、毒針が決まれば勝てるのだろう。しかし、人体の構造と蜂のような翅の組み合わせは無理があるらしく、飛行速度や機動性に難があった。致命的な遅さと前方投影面積の大きさでは、実戦では使えまい。ホバリングを生かした不規則な軌道も、元の形状、元のサイズがあってこそ。人の自重、直立の姿勢では扱い切れない。

 オレは彼女の再突撃を難なく交わすと、すれ違いざまに横からの軽い一撃を加えた。平手打ちに近い打撃を食らった彼女は、針先から毒液を撒き散らして吹き飛んだ。地面を転がり、砂に塗れた顔でこちらを睨みつける。

「アンタでオレに勝つのは無理だ。諦めろ」

「そんな目で、見ないでくれる?」

 地面に横たわっていた彼女は、両手をついて立ち上がる。

「どうせ私は、失敗作よ。ココで引いても、明日はない」

 彼女が雄叫びを上げると、顔に幾筋もの線が浮かび上がった。痛みがあるのか、雄叫びは半ば悲鳴になりながら、顔を歪める。彼女の身体が新たに強い熱を生み出しているらしく、全身に沿って湯気のような白い空気が漂い始めた。湯気はやがて蒸気に代わり、白いモヤが全身を覆い尽くしていく。

 彼女の姿が見えなくなったかと思うと、白いモヤの向こうから、人と蜂を掛け合わせたような異形の存在が姿を現した。人間サイズの蜂というべきか、人を模した蜂というべきか、どちらともつかない異常な姿だが、辛うじて人間だった痕跡は残っているようだ。この姿を見て、これを蜂人間、あるいは蜂女と呼称しても、誰も文句は言いそうにない。

 ヒトとしての社会性を失うと共に理性も失ってしまったのか、頭部にある口のような開口部からは、涎が垂れたままになっている。

 異形の化物は、唸り声を上げながら突撃してきた。無理して翔ぶことを止め、凄まじい勢いで地上を駆け抜ける。アッという間に眼前に突き出された針を、両手で受け止め、身体をぶつけながら捻り飛ばした。両手でしっかり掴んでいた右腕は、肩の先から千切れている。

 オレがそれを捨てる頃には、蜂女の右肩から先には新たな腕が生えていた。どうやら、完全な化け物と化したらしい。オレとしては、そちらの方がありがたい。これで躊躇なく留めを刺せる。

 オレは捨てたばかりの腕を拾い上げ、針がついていた前腕部を引きちぎった。残りの部分は地面に投げ捨て、蜂女の突撃に備えた。彼女は左右にフェイントを交えながら、一瞬で間合いを詰めて来た。生え変わったばかりの右腕で、オレの胸を狙ってくる。オレはそれにタイミングを合わせ、前に踏み込んだ。蜂女の顔面へ、右前腕部を叩きつける。

 わずかにオレの攻撃が早かったらしく、相手の針は胸に刺さる寸前で停止していた。オレが叩きつけた針は、蜂女の眉間に深々と突き刺さっている。追撃を警戒しながら、そのままの体勢で息を整えていると、彼女の姿は徐々に蜂女から元の状態へ戻って行く。オレの右手は、まだ彼女の顔に巨大な針を刺したままだ。

「殺してくれて、ありがとう」

 彼女は息も絶え絶えに、至近距離で笑顔を見せた。彼女の目の端から涙を零し、「もっと、生きたかった……」と呟くと、膝から崩れ落ちた。地面に横たわった身体を確かめると、完全に息絶えていた。

 変態する際に衣服は全てお釈迦になったのだろう。歳若い女が全裸で横たわるのも申し訳なく、彼女が綺麗に折り畳んだ上着をその上にかけてやった。

 オレは目の前の仏さんに両手を合わせると、その後の処理を考えた。今までなら、牧に全部丸投げで良かったが、まだしばらく牧の顔は見たくない。

 彼女が持って来た荷物も、上手に処理しなくては。遺体処理を一旦棚に上げ、所持品を改めた。中に大したものは入っていない。筆記具や財布、化粧ポーチと言った持ち物に、偽名かもしれない写真付きの身分証。掲載されている情報が正しいなら、彼女は縞田美花と言うらしい。

 殺してから名前を知るとは。何とも切ない。オレはカバンから取り出したものを全て戻し、改めて美花の遺体に両手を合わせた。

 無心になって手を合わせていると、背後でフェンスを動かす音が聞こえた。そちらに視線をやると、なぜか刑部さんがこちらを見ていた。オレは、彼の元へ駆け寄った。

「こんなところに、どうして」

 刑部さんはオレのことなど気にすることなく、奥にある美花の遺体を見ていた。

「後始末は、私が手配しましょう」

 刑部さんの言葉を飲み込めずにいると、彼は「さ、こちらへ」と、オレを自分の店まで先導する。彼はオレの前を歩きながら、ケータイでどこかへ電話をかけていた。どうやら、後始末とやらの手続きらしい。

 彼は手短に要件を伝えると、さっと電話を切った。オレにはいつもの営業スマイルで、開店準備中の札がかかっている「狸」の中へ案内してくれた。彼はオレをカウンターに座らせると、店の奥から見覚えのあるアタッシェケースを持って来た。

 オレは彼が差し出したそれを見て、「もしかして」と呟いた。彼は、恭しく頷いた。

「まさか、さっきの戦いまで?」

 刑部さんは、もう一度深く頷いた。

「アレぐらい、赤子の手を捻るようなものでしょう」

 オレはさっきの戦いを脳裏に思い描いた。彼の言葉は尤もな気もするが、何故か妙に気に入らない。

「本番は、まだまだ今からですから。斥候ぐらい、ささっと倒していただかないと」

「本番?」

 刑部さんは、目の前でオレにビールをいっぱい注ぎながら、「えぇ。楽しみにしてますよ」と言った。

「それから、ソレはお返ししておきます」

 彼はビールをオレの前に置くと、アタッシェケースを指差した。オレは彼の奢りらしいビールには手をつけず、アタッシェケースだけ手に取った。彼は「よろしいんですか?」と涼やかな顔で言うが、オレは頷いて店を出る。

 何もかもが気に入らない。オレは誰もいない地下二階に降りるなり、大声で叫んだ。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。