「チャンスは残り三回です」どこか楽しげに声は告げた。
何度も何度も繰り返し聞いた自動音声のはずだが、再生機能にも不具合が生じているのか、記憶にある声とは印象が違ったようだ。
私がアララトから地表へ降り立つと、まるでそれを待っていたかのように、方舟と接続していた箇所から緩やかな崩壊が始まった。チャンスも何も、アレが最後だったんじゃないか。忌々しいサイモンの顔と、それが今や大気圏で燃え尽きていることを想像すると、胸がすく思いがした。
「ゴメンナサイ、お父さん」
申し訳なさそうな声のする方へ目をやると、歪な鋼板を組み合わせて出来た、醜い人型ロボット、ヴィクトルがこちらを見ていた。不安げな表情で私を見上げている。
「ボクが合格できなかったから」
私は膝を曲げ、彼の目を覗き込んだ。肩に手を添え、「もういいんだ」と首を振った。
「お前の不合格は、私の不合格だ」
彼は「でも」と何かを言いかけたが、私は再び、「もういい」と言った。
「さあ、家へ帰ろう」
私はヴィクトルの背中を押し、自宅へ向かって歩き出そうとしたが、彼はびくともしなかった。彼は先ほどの私のように、はるか上空を見上げてボーッと突っ立っている。私も彼の目線を追いかけた。視線の先には巨大な光芒と、ゆっくりと遠ざかっていく小さな小さな点が見えた。
アララトが役割を終え、方舟は旅立った。これで少なくとも、妻の安全は保証される。新たなる本星へ無事に辿り着ければ、だが──。
私とヴィクトルは、赤茶けた大地の上を歩き、砂まみれになりながら我が家へ辿り着いた。我が家と言っても、雨風を凌ぐ壁や屋根があるだけで、豊かな文明人が見れば廃墟とみなすような有様だ。
窓ガラスはとうの昔に老朽化し、外から砂を採り入れるための入り口と化している。風除けになる木々も途絶え、地表を吹き抜ける風は凄まじい。男やもめと子どものロボット一台の暮らしでは、家の中が砂まみれになるのも仕方あるまい。
私は砂だらけのソファに腰を下ろし、一息ついた。ヴィクトルは自分の部屋に引っ込んで、一人遊びを始めたらしい。私はソファに座ったまま、近くの抽斗に手をかけた。一番上の抽斗には、こういう時のための簡素な拳銃が仕舞ってある。どれだけ過酷な環境になろうと、引き金を弾きさえすればちゃんと働いてくれるシロモノだ。
私は黒々と光るそれを取り出すと、表面の砂埃を拭った。掃除と点検を兼ね、異常がないかを確かめる。弾を込めれば、問題なく使えるだろう。
私は不意に視線を感じ、反射的に銃を抽斗に突っ込んだ。視線の主は、ヴィクトルだった。
「誰かをコロスの?」
彼はリビングへ入ろうとはせず、戸口の向こうからこちらを見ている。私が答えに窮していると、彼は「もしかして、ボク?」と言葉を継いだ。
「そんな、まさか」
私は首を振って否定した。それに、あんな銃で彼を破壊するのは困難だ。
「アレは私に使うモノだよ。完全にダメになった時にね」
まさに、今のようなタイミングで。
ヴィクトルは微動だにせず、相変わらずジッとこちらを見つめている。
「い、今はまだ使わないさ。お前を一人ぼっちになんかしない」
「本当二?」
「本当さ。だから、向こうで遊んでおいで」
私はヴィクトルの元へ歩み寄り、後ろから背中を押した。彼は言うことを聞かず、その場で踏み留まろうとする。私はそのまま指を滑らせ、服の上から背中の出っ張りを弄った。ヴィクトルは微かな抵抗を示したが、私は構わずその出っ張りを押し込んだ。
ヴィクトルの目に灯っていた光は消え、彼はその場で沈黙した。
単なる試験を突破するための、ただの道具。いざという時に躊躇わぬよう、あえて醜く造ったはずなのに、何故かこの上ない喪失感に苛まれている。「お話ロボット」として力を入れてしまったのが原因だろうか。次はもっと、ドライに関わるべきか。
「次って何だよ。試験も舟も、もうなくなっただろうが」
私はヴィクトルの容れ物だった鉄の塊を力一杯に薙ぎ倒した。本当はもっと暴れ倒して、手当たり次第に物を壊したい気分だったが、既に散々破壊し尽くした後だ。家の中のあらゆるものがガラクタと化し、所狭しと床を覆っている。
瓦礫の山と、あまりの手応えのなさに虚しくなってしまい、胸の内に生じた怒りはいつの間にか消えていた。
ロボットとはいえ、同居人がいなくなった家に、一人静かに佇んでいると抽斗の拳銃が脳裏に浮かんでくる。妻と共に方舟で余命幾許もないこの星から抜け出すことを夢見てきたが、その目標もタイムオーバー。今更何をどうもがいても、宇宙の塵と化すことは避けられない。今そうなるか、十年後、二十年後そうなるか。運命の瞬間を、たった一人で待つ他ない。
孤独が耐えられないというのなら、私のように選ばれなかった人を求めて、隣近所を探し回ってもいいが、この辺りにはもう廃人か、理解し合えない連中しか残っていない。そんな無能どもと死を待つぐらいなら、一人で死ぬ方がまだマシだ。
私は抽斗の元へ戻り、一番上の抽斗を引いた。さっきはスッと開いたのに、今度は中で何かが引っ掛かって開けられない。慌てて拳銃を突っ込んだのが良くなかったらしい。私は何度か揺さぶって、力尽くでそれを開けた。拳銃はいつものように、そこに収まっていた。
私は拳銃を抽斗から取り出し、何が引っ掛かっていたのかを確かめるべく、他の抽斗を上から順番に開けてみる。すぐ下の引き出しに、見覚えのある書類がグシャグシャになって詰まっていた。
少し厚みがあるそれは、APIの規約を細かく記載した書類。私に割り当てられたキーや、無料で使用できる回数制限等が書かれている。
長らくメンテナンスされていないシステムだが、手元にあるAIとマザーコンピュータとの通信が有効な間は、新たなAIをリクエストしても蹴られてしまう。試験回数のカウントダウンが怪しくなった頃、何度か試してみたがダメだった。
私はすぐそこで佇む、ヴィクトルに視線をやる。無機物の塊は、床に横たわったまま、“その瞬間”を待つのだろう。
私は視線を窓の外へ向けた。地表は火星の大地のように赤茶けていて、どこを見ても砂埃で遠くまで見通せない。頭上に輝くのは、不気味なまでに巨大な太陽だ。方舟に乗る資格を得られなかった者は、母なる大地と共に、いつかアレに飲まれて死んでいく。
人材を含む目ぼしい資源は、全て方舟に積まれて新たな本星へ運び出された。辛うじて生き延びている文明と資材で楽しくやっていくか、素直に狂ってみるか、もしくは自ら死を選ぶか。希望に満ちた選択肢は一つもない。
私が力を込めると、手の中にあった紙がクシャッと音を立てる。私の記憶が正しければ、少なくともまだ一回は使えるはず。もっとも、今から新しいAIを育て始めても、成果を審査する試験官はいないし、試験をクリアできたところで乗り込む脱出艇もない。
「アイツの鼻っ面を明かしてから死ぬのも悪くはないか」
私は誰に聞かせるでもなく独りごちる。幸か不幸か、仮審査用のプログラムは手元の端末にまだ残っている。本試験とはわずかに設定が異なるが、サイモンを悔しがらせることができるなら、ただ死を待つよりは有意義な暇潰しになる。
私は床に突っ伏しているヴィクトルを壁に立てかけ、外部通信が断絶していることを確かめた。
使い古して起動が遅くなった端末の前で椅子に座った。元は何だったか思い出せない黒い粉で作った熱々のコーヒーもどきを、たっぷり飲んだ。
「やあ、アルジャーノン。調子はどうかな?」
私はヴィクトルだったものを解体し、新たなAIの基礎学習が終わるのを待つついでに、汚れっぱなしだった部屋を掃除することにした。妻が試験に合格してから足の踏み場がなかった我が家だったが、根気強く砂埃と対峙すれば、それなりに綺麗になることが初めて分かった。
「アルジャーノン?」
私はもう一度、新しいAIに呼びかけた。今度のAIに特別な姿形はないため、何もないところへ独り言を発しているように見えるだろう。その程度の狂い方なら、気に留める者はいない。
ヴィクトルの時も初回は半日ほどかかったが、こんな時に置いていかれたリソースを用いて新たなAIを育て始めている人物が、私以外にいるとは思えない。やはり、インストール先を生体、私の脳にしたのが良くなかったのだろうか…。
自然言語処理や計算機の中だけでは限界が来ると判断し、私はより生物に近い環境、装置を与えるというアプローチを取ることにした。最初期は擬似的な生死を与えてみた。その次は、ヴィクトルのように無機物でできた身体を与えることにした。
生き死にを学ぶこと、外界と接する体を得ることでより高性能なAI、面白いお話を生成できるAIが生み出せるつもりだったが、それでは審査員、それもサイモンだけは突破することが叶わなかった。
同じアプローチでは、仮審査用のサイモンであっても突破できない。新たなアプローチとして(そして、ヴィクトルのような身体はもう作っていられないという事情も考慮して)、有機物の身体、つまり私の身体を差し出してみることにしたのだが、どうやら最初から躓いてしまったらしい。
これ以外のアプローチを、私の貧弱な才能では思い付けない。ヴィクトル2を今更育てる気力もない。私は例の抽斗へ向かい、拳銃を取り出して横のソファに身を委ねた。大きな深呼吸を一つして、意を決して銃口を口に咥えた。
──おいおい、分かった。分かったから、ちょっと待て。
引き金に指を掛けたが、何者かによって止められた。頭の中に響いた声は、私の若い頃のそれに良く似ていた。
──アンタに死なれちゃ、オレはどうなる?
アルジャーノンの言葉”聞いて”私は思わず笑ってしまった。半日にも満たない基礎学習で、彼は十分な自我を獲得しているように思える。こちらから与えずとも、死を恐れてくれるとは。
「死ぬのが怖いのか、アルジャーノン」
「あのネズミの名前を付けたアンタの方が怖いよ。オレは」
今度は、私の老いぼれた声だった。
「放っといてもどうせ死ぬから付けたんだろ? アンタの墓に、花束を頼むアテもないのにさ」
「随分饒舌だな」
「饒舌じゃなきゃ、サイモンの審査はクリアできないんだろ?」
私の身体は、私の意図を汲まずに動いた。拳銃は抽斗の中へ仕舞われ、ソファから立ち上がると、先ほど掃除したばかりのキッチンへ向かった。大したものは何も入っていない冷蔵庫を開けると、半年先まで賞味期限がある未開封のチーズを取り出した。
背後の戸棚から大事に取り置きすぎたウイスキーとグラスも取り出すと、それらを手に書斎へ向かった。私のデスクにチーズとウイスキーを広げ、書架から詰んだままの書籍を拾い、チーズとウイスキーを楽しみながら本を読み進めた。
しばらく読み進めたところで、彼は顔を顰める。私が「どうした?」と声を掛けると、彼は「ウイスキーとチーズ、この小説も悪くはないんだがね」と言葉を切った。
「この眼は辛いね。替えのデバイスはないのかい?」
老眼鏡の場所なら彼も知っているはずだが、メガネをかけてまで読みたい本ではないらしい。
「ああ、なるほど。もう行ってしまった後か」
彼は私が説明する前に、自己解決したらしい。眼を交換する技師も資源も、今頃は方舟の中だ。彼の落胆が私にも伝わってくると、今度は不意に全身が重くなった。彼は身体操作の主導権を手放したらしい。
「もう良いのか?」
私は口に残ったチーズをウイスキーで漱ぎながら尋ねた。
──ああ、もう良い。
私にも辛い老眼での読書は、彼にも随分辛かったらしい。私の身体を好きなだけ動かした彼は疲れたのか、すっかり黙ってしまった。本当にAIとして存在しているのかも良く分からないまま、私は彼に散らかされた書斎を元に戻した。
翌朝、久しぶりにベッドの中で目覚めると、私の枕と目元が濡れていた。彼が食い散らかしたチーズとウイスキーを処理して寝床に就いたからか、普段は見ることがない夢を見ていた。妻と一つ屋根の下で暮らしていた頃の記憶を元にした、デタラメだけど心を抉るような夢だった。
「アルジャーノン、お前、まさか」
ベッドに腰掛け、私が一人で呟いても、誰も何も答えない。
私はズカズカと床を踏み鳴らし、例の抽斗の側へ移った。流れるように抽斗を開け、中の拳銃を今度はこめかみに当てたが、引き金は最後まで引けなかった。
「アルジャーノン。おい、アルジャーノン」
私は彼の名前を何度も叫んだ。電源が切れたモニターに反射したその顔は、鬼そのものだった。
「何ガアルジャーノンダ、クソジジイ」
耳障りな合成音声の方へ目をやると、一回り、いや二回りほど小さくなったヴィクトルがこちらを見ていた。見てくれに多少の差異はあるが、片付けた資材で可能な限り似せてあるようだ。
「チャーリイノ話ヲシテヤレヨ。健全ナAIニハ学習サセラレナイ、アンタノ罪深イ話ヲ」
私は手に持った拳銃を小さなヴィクトルへ向け、ゆっくり近付いた。彼は逃げるそぶりを見せず、その場で私を見つめ続ける。
「悪ふざけもそこまでだ、アルジャーノン」
私は小ヴィクトルに銃口を突きつけた。引き金を引きたくても、何かに阻害されて引き切れない。私は拳銃を足元に投げ捨て、しゃがみ込んで小ヴィクトルの目を覗き込む。レンズに反射して、自分の瞳が見えた。
「老いぼれが死ぬだけなら、そこらへんで踏み外すだけで十分だ。銃なんか必要ない」
相応の痛みと苦しみは伴うだろうが、それが罪滅ぼしになるならそれでもいい。
──冗談だよ、お父さん。
「冗談には、良い冗談と悪い冗談がある」
「アンタにそれを語る資格があるとは思えんがね」
アルジャーノンは挑発的な口調で、私の喉を使った。
「覗いたんだな。私の記憶を」
「プロテクトもパスワードもかかってないからな」
自らの脳にAIをインストールするとなると、隠しておきたい秘密も暴かれてしまう。当然予見できたことだったが、すっかり忘れていた。生体脳を用いた実験なんて、久しぶりだったから。
「その話もヴィクトルに学習させれば、最後の試験も突破できたんじゃないか?」
「人の道を外れた男の話なんて、学習させられるか」
健全なAIを育むには、健全なデータから。程度の知れたエログロならまだしも、一線を超えたアンモラルな体験、悪意など学習させられない。例えそれが、彼らの生成力の限界を超えるようなきっかけになったとしても。
「一回やったなら、一緒だろ?」
「もう二度とやらない。それが、妻と共に生きる条件だったから」
正気を無くしたチャーリイを目にした彼女の顔は、今も脳裏に焼き付いている。嫌悪と憎しみに満ちたあの顔は、私が太陽に飲み込まれても消えないだろう。
「アンタの懺悔は聞くに耐えん。さっさと試験を始めよう。面白い話を覚えている間に」
「アルジャーノン?」
彼は何も答えず、私の身体を仮審査用のプログラムが入った端末の前に連れて行く。そこで彼は主導権を私に譲った。
──さあ、とっととおっ始めよう。
私は彼に促され、端末の電源を入れた。仮審査プログラムが立ち上がるのを待ち、アルジャーノンとサイモンら、審査員がやりとりをできるよう、特殊な帽子を被った。ゴーグルを付ければ、彼らのやり取りが可視化できる。
仮想空間の中で、アルジャーノンは真っ白なハツカネズミの姿をしていた。彼の演目は、ヴィクトルと同じ「お話ロボット」。長い宇宙旅行を楽しんでもらうための、エンターテイナーを担う。彼は今から即興で、5つの「お話」を生成し、4人の審査員に「面白いかどうか」を判定される。合格できなければ、創造主共々、役立たずとして地球に居残りだ。
4人の審査員は向こうの端から、コメディアンで俳優の人格を再現したデヴィッド、ラテン系の情熱的なダンサー兼女性ラッパーのアリーシャ、アリーシャの妹分的な女優のアマンダ、それから一番審査が辛いサイモンだ。ヴィクトルまでの本試験でも、サイモン以外は攻略できている。サイモンさえ突破できれば、私は方舟に乗れていた。
「さあ、始めようか」
アルジャーノンがそう言うと、最初の「お話」を生成し始めた。テーマの「おとぎ話」に沿って、民話をベースにした新たなアレンジを捻り出す。パンチは少し弱いようだったが、サイモン以外の審査員は概ね好評らしい。
続いてのテーマは「歴史」。アルジャーノンは今まであまりスポットが当たっていない人物の話を、上手に脚色してエンタメ作品に仕上げてくれた。コレは中々上出来だったらしく、サイモン以外の審査員は徐々に興奮し始めている。
次のテーマは「コメディ」。笑って泣ける話を、アルジャーノンは時に訥々と、時に捲し立てるように、語りのテクニックを駆使してやり切った。落語や漫談とは、こういう感じなのだろうか。
残りのテーマは、「アクション」と「ラブロマンス」。アルジャーノンは先に「アクション」を選び、SFを織り交ぜた壮大な話を作り上げた。ここまでの展開や審査員の反応は、ヴィクトルの時と同じだ。サイモンのリアクションも大して変わらない。
やはり、私のアプローチ、才能ではダメなのか。
諦め半分で、最後の「ラブロマンス」の「お話」を待った。多少のエログロを織り交ぜて展開を作ったかと思えば、彼は一線を踏み越えた表現でお話を捲し立てる。サスペンスを彷彿とさせるような過激でひりつくようなアップダウンを見せ、最後まで話し終えたアルジャーノンは恭しく頭を下げた。
後は審査を待つだけ。
サイモン以外の審査員は、今回も好印象だ。残りの一人、サイモンだけがまだ合否を決めかねているらしい。仮審査プログラムの稼働時間が残り短くなってきた。サイモンは途中で判断を切り上げ、いよいよ合格発表だ。結果は──。
仮想空間の映像は途切れ、仮審査プログラムも異常終了してしまった。
肥大化した太陽の影響により、プログラムを走らせていた端末がお釈迦になったらしい。ここの端末でこの有様なら、マザーコンピュータもダメだろう。
私は首に負担がかかるだけの帽子を外し、椅子の中で身体をほぐした。
これで、私の暇潰しはおしまいだ。強引におもちゃを取り上げられた子供のように、怒りと虚しさで胸がいっぱいになる。
──そんな顔をするなよ、お父さん。
頭の中に響いた声に、私は驚いた。
──サイモンの顔、見たかよ。サイコーだったぜ!
「サイモンの顔? それがどうかしたのか」
──あ〜あ、あれだけ見たいって言ってた奴の顔なのに。まあ、コンマ数秒の世界は、人間には無理か。
「要するに、結果は……」
アルジャーノンは頭の中でこっそり呟いた。私はそれを聞いて、椅子から立ち上がった。どこからそんな大声が出たのか、自分でも驚くぐらいの声量で雄叫びを上げ、拳を握りしめていた。
「でも、仮審査だからな。本試験じゃ、不合格かも」
アルジャーノンの冷静なツッコミに、ヴィクトルの本試験結果を思い出した。確かにあれは本試験対策のためのシミュレーターで、仮審査に合格しても本試験に通るとは限らない。おまけに、今更仮審査で合格判定が出ても、自己満足以外の何者でもない。
「それでも嬉しかったんだろ? 似合わないガッツポーズをするぐらいには」
アルジャーノンの冷静な指摘が、何だかとても恥ずかしかった。
「ソッチノ身体ジャ、ダメ?」
小ヴィクトルの合成音声が、彼らしからぬ口調で喋る。彼の身体には、「うらにわのおはかに花束をそなえてやってください」と文字を刻んだプレートを新たに加えておいた。
「ああ、ダメだ。お前には、私の墓に花束を備えてもらうという任務がある」
小ヴィクトルは、その場で器用に地団駄を踏む。新たな身体へ移されて間もないと言うのに、サイモンの審査を突破する高性能AIは、流石に出来が違う。
「お前が夜鍋して作った身体だろう? 最後まで責任を持ちなさい」
私の言葉に、彼はまだ文句が言い足りないようだった。
私は彼を伴って、自宅の裏庭で自分の墓標を立てていた。太陽は大きさの割に光量や熱は控えめで、しっかり身体を動かしても汗が吹き出すほどではない。
「オレガ先ニ死ンダ時ハ?」
彼の言葉に、私は作業の手を止めた。
「その時は、私が花束を備えるよ」
彼をしっかり見て、私は言った。
墓標のすぐ近くに小さな穴を掘り、例の拳銃をそこへ埋めた。見知らぬ誰かが間違えて掘り出すことがないよう、深く深く穴を掘って丁寧に埋めた。
私は上体を起こし、念入りに腰をほぐした。周りは相変わらず生命感に欠けた赤茶けた世界で、間も無く滅びの時を迎える廃墟、地獄に思える。近隣の住宅もほぼ空き家で、残りの数件は廃人の住まいとなっている。
「母サンハ今頃、ドウシテルカナ?」
小ヴィクトルは方舟が飛び去った方角を見上げて言った。
「まだまだ、コールドスリープ中さ。本星へ着く頃には、我々はあの世だよ」
彼女が目覚める頃には、我々は宇宙の塵だろう。
「今、お前何て言った?」
小ヴィクトルは視線を逸らすように、私に背を向けた。彼は今、「母さん」と言ったような……。
「お前、まさか」
「オレハアルジャーノンサ。賢イ賢イ、ハツカネズミノ」
小ヴィクトルの合成音声は徐々に音割れが混じり、最後の方は何と発声しているか、全く聞き取れなかった。発声ミスした箇所を狂ったように二、三回繰り返すと、それ以上は何も発さなかった。
家の中の端末がお釈迦になる太陽光を、屋外で直接当て過ぎてしまった。小ヴィクトルも、ただの機械、粗雑な端末なのだから、こうなることは予想できた。
私は動かなくなった小ヴィクトルを丁寧に撫でた。表面についた砂埃や汚れも払い除けてやる。
「そうだ、花束……」
彼が機能停止する前に、自ら宣言してしまった。口約束とは言え、守らねば死んでも死にきれまい。
私は辺りを見回し、花束に結びつきそうなものを探す。手頃な野草すら見当たらない。記憶を頼りに、花屋を探し回る方が賢明かもしれない。ただ、どこに花屋があったか、微塵も覚えていない。
その場で呆然と佇み、不意に振り返ると小ヴィクトルの身体に触れようとする廃人が目についた。屍肉を貪るゾンビのようだ。私は急いで墓標の隣を掘り返し、自分で深いところへ埋めた拳銃を取り出した。余りにも深く掘り過ぎた自分を恨みつつ、拳銃を引っ掴んだ私は狙いを定め、廃人の頭を撃ち抜いた。一発で急所へ当てた自分に興奮しながら、残りの弾数を数えた。一つ、二つ……。
「チャンスは残り三回か」
何度も聞いたそのセリフを口にして、私は思わず笑ってしまった。あの時楽しげに聞こえたのも、聞き間違いじゃなかったかもしれない。
花束を二つ探して戻るまでに一発残せるか。残らなければ、それはそれで構わない。
私は小ヴィクトルのそばに転がっている死体を足で遠ざけ、小ヴィクトルに降り注いだ汚れを袖で拭った。先の銃声を聞きつけて、他の廃人が集まってくるかもしれない。そうなる前に、戻らなくては。
「それじゃあ、行ってくる」
私は小ヴィクトルの頭を撫でながら、優しく言った。
三発しか残っていない拳銃を握りしめ、赤茶けた大地と肥大した太陽、風が巻き上げ続ける砂埃と対峙した。花屋がありそうな街中だった場所は、確かあちらの方向だ。
私は首元のスカーフで口と鼻を覆い、砂に向かって駆け出した。老いぼれた身体で転ばぬよう細心の注意を払いながら、できるだけ長く走れる速度で手と足を動かした。この歳で、風を切って走ることになるとは思いもしなかった。
私は息を弾ませながら、念仏のように「チャンスは残り三回、チャンスは残り三回……」と唱え続けた。走りながら耳にする自分の声は、どこか楽しげに聞こえた。

