3月22日(水)
昼過ぎには止みそうだった雨は結局、夕方まで降り続いている。雨脚は弱まっているが、両手をポケットに突っ込んで、傘を広げずに「濡れて参ろう」と歩く気にはならない。
アーケードのある商店街を通り、阪急の駅に直結しているソシオを抜け、改札の前までやってきた。間も無く、18時。学生も社会人も、まだそれほど多くはない。
「新田さんは、直帰でしたっけ」
少し先を歩いていた浪川一輝くんが、券売機の前から戻ってきた。私の隣に立つ元娘婿、新田慎一郎くんは頷いた。
「武藤さんは、」
「私はちょっと寄り道して帰るよ。駅ナカでよかったら、一輝くんもどうだ?」
お猪口を傾ける仕草をしてみるものの、一輝くんはちょっぴり申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「お気持ちはありがたいんですが、ちょっとだけ仕事が残ってて」
立ち話に花を咲かせていると、梅田行きの電車が入ってくるアナウンスが聞こえてきた。一輝くんは少々慌てて、「また今度、行きましょう」と言い残して改札内へ入って行った。ホームへのエスカレーターに乗るまで、何度かこちらを振り返って挨拶してくれる。その姿が見えなくなるまで、しっかり見送り、今度は慎一郎くんの方を見た。彼は微妙な緊張感を残したまま、私が次に何をやるか、気にしているようだ。
「直帰なら、君も同じ電車でよかったんじゃないか?」
「その通りなんですけど、一服してから帰ろうかな、と」
一杯引っかけて、にはならないらしい。
「キミと行った喫茶店なら、もう無いぞ」
「そうらしいですね。この間、近くまで行ってビックリしました」
慎一郎くんは落ち着いた表情で、穏やかに言った。彼は親指を立てて、背後の喫茶店を指した。
「とりあえず、アソコにします?」
「ああ、いや、私は私で、適当に一杯引っかけてから帰るさ」
「そうですか……」
彼は一瞬腕を組むと、肘の辺りを指先で軽く叩いた。腕組みを解くと、「じゃあ、ここで失礼します」と軽く頭を下げた。慎一郎くんは「お気を付けて」と言い残し、改札の向かいにある喫茶店へ入って行った。
彼が改札の前を離れると、徐々に人の往来が激しくなってくる。後ろ髪を引かれる思いで後ろ姿を見送っていたが、早々に切り上げて駅の南側へ向かう。2階の突き当たりにある中華屋か、その手前辺りにある串揚げ、隣のニューミュンヘンにでも行けば、傘を気にすることなく飲んで帰れる。
改札を避けて奥へ進み、南側の改札前を通り抜け、市立ギャラリーの横を進む。水曜日だからか、18時過ぎの駅ナカでも、人通りが若干少ない気がする。JRの方に向かっていれば、選択肢はもっと少なかっただろう。
洋菓子の焼ける甘い匂い、ラーメン屋のスープの匂いに、パスタ屋のニンニク臭。魚の匂いも心惹かれるが、「いちご大福」の文字も捨てがたい。一杯引っかけて帰るのを辞めて、和菓子のお土産を買って、まっすぐ帰ろうか。
桜餅と花見団子も旨そうだ。2つずつと手提げ袋を買い、小銭を一枚ずつ数えながら、志津香の表情を脳裏に思い描いた。