6月9日(金)
スケジュール調整の結果だから仕方ないとはいえ、よりによって笠井さんに来社いただくタイミングで、オフィスの片隅で賑やかに打ち合わせしているのはよろしくない気がする。
うちのオフィスに人が集まってくれるのはありがたいことではあるものの、人員拡充の前に手狭になりつつあるのは早めに何とかしなくては。今更レイアウト変更っていうのも大変だよなぁ、とか思いつつ、笠井さんが資料チェックし終わるのを黙って見守る。
「うん、コレで良いんじゃないですかね」
笠井さんは顔を上げ、胸ポケットに刺した赤いサインペンのキャップを外した。下の方にある合計人数に丸をつけ、僕の方に差し出した。
「参加人数が前回よりかなり増えるようなので、我々は最初と最後でご挨拶に伺うだけにして、あとは邪魔にならないようにハケておくようにします」
「なんか、すみません。主催していただいて、会場の手配もお願いしてるのに」
「いえいえ。皆さんが交流を深めていただいて、それで経済が活性化するのなら、どんどん無理を言ってくださいよ」
笠井さんの漢気に、自然と頭が下がる。
「じゃあ、コレで小野寺さんにも共有しておきますんで」
「何卒、よろしくお願いいたします」
より一層深々と頭を下げる。笠井さんは涼やかな微笑みを崩さないで、眠気を誘うような穏やかな声で「頭を上げてください」と言った。彼は資料をクリアファイルに入れ、カバンにしまった。
「こちらのオフィスも賑やかになってきましたね」
「最近若い奴の出入りが増えて、良い溜まり場にされてるんですよ」
笠井さんの視線が、歓声が上がったオフィスの一角に向けられる。さっき、ボリュームを下げてくれとお願いしたのに、興奮冷めやらぬのか、また大きな声で喧々諤々とやり合っている。
「電話の呼び出し音が一番大きく聞こえるうちのオフィスより、全然マシですよ」
「笠井さんのところは静かでしょう。最近は静かなのも、味わいたいぐらいです」
笠井さんは腕時計に目をやり、手元に鞄を引き寄せた。時刻はそろそろ18時。
「このあと、帰社ですか?」
「えぇ。一応、いただいた資料を取りまとめたりしなきゃいけないんで」
「せっかくの金曜日なのに、ご苦労様です」
「そっか、金曜日か……」
笠井さんはカバンの中身を何度か見て、スマホの画面でも何かを確認している。僕は事務所の冷蔵庫を開け、350mlの缶ビールを2つ取り出して、応接スペースに戻った。
「じゃあ、ココでちょっと飲みません?」
笠井さんの顔が、ちょっぴり綻ぶ。さっきは、鞄を抱えて立ち上がろうとしていたのに、迷うことなくカバンからサッと手を離して、椅子に座り直した。
「じゃあ、一本だけ」
「さすが笠井さん、そうこなくっちゃ」
僕は笠井さんの前に一本置き、自分の缶ビールを開けた。吹き出した泡がこぼれないように、口から迎えにいく。顔を上げると、向かいの席で笠井さんが同じポーズを取っていた。笠井さんはこぼさないように缶を持ち替え、空いた手でスマホを操作した。
「なんて打ったんですか?」
「ちょっと打ち合わせが長引いてますって」
笠井さんの顔に、ちょっと緩めの微笑みが戻る。さすが笠井さん。僕も彼みたいなやり方を見習わなくては。