9月15日(金)

 哲朗と昼食を取っていると、彼は自分のスマホを僕に差し出した。先月の一朗さんのパーティで撮影した集合写真と、去年の明子さんの誕生日会で誰かが撮った写真。集合写真の方は出席者全員に送られているが、もう一方は哲朗が撮った、もしくは持っているにしては微妙に違和感のある写真だ。
「コレを、上坂さんが見せて来た、と?」
 彼にスマホを返しながら、哲朗の話を聞き返した。彼は、口を開けずに咀嚼しながら頷いた。
「え、彼女はどこかの工作員?」
「女性のジェームズ・ボンドとか、そんな話題もあったよね」
 香織も昼休憩で暇なのか、隙があれば話に入り込もうと茶々を入れてくる。僕は「あった、あった」と話に乗りながら、「黒髪はともかく、アジア人女性のジェームズ・ボンドは無理がありすぎるだろ」と切り返した。
 そもそも、ジェームズ・ボンドならフィクションの世界。「四次元の壁」やそれを越えて云々するお話は、あまり好みではない。
「そういえば、駅前のビルに探偵の学校みたいな看板あるじゃない?」
 香織は身振り手振りを交えて、駅向こうのデッキからそんな看板がいつも目に入ると訴える。僕も確かに見覚えがあるが、正確には「の」はなかったような。それにーー
「宝塚が地元の学生が、わざわざ通わないだろう」
「兄貴って、本当につまんないよね〜」
 香織は哲朗に同意を求めたが、彼は乾いた笑い声を漏らし、曖昧にやり過ごした。仮に接点があったとしても、学校で学んだスキルのみで、ここまで情報収集するのは難しいだろう。
 一朗さん関連の公開情報、同じ大学の卒業生という情報に、地元もそれほど離れていないという条件も加わるが、それらを駆使しながら必要なネタを引っ張ってくるのは、彼女の才能だろう。
 個性的ではある物の、コミュニケーション自体は非常に高く思えるし、硬軟織り交ぜた交渉術、人たらしのスキルも高い気がする。そこに、文章の奥に秘められているような、底知れない黒い何かが加われば、探偵というか、何らかの工作員、エージェントというのも向いているのかも知れない。
「随分と厄介な人物に好かれたんだな」
「好かれているとか、そういうのはーー」
 哲朗は慌てて取り繕う。言葉数を増やされても、耳にも頭にも中身が入ってこない。上坂さん自身にも、そういう感情はあんまりないのだろう。若さ故の悪い病気みたいなものと、高スペック、高スキルなだけに、どんな男でも堕としてやりたいプライドでもあるのだろう。
 哲朗も若さ故に翻弄されてはいるものの、根本的なところで突き放している節がある。そう簡単に心を変えない頑固さが、逆に有能なスパイの心に火をつけたのか。
 不意に、卓上の電話が鳴り出した。慌てて受話器を取ろうとするが、香織が手で僕を制しながらスッと立ち上がり、外向けの声を作って電話に出てくれた。お得意さんからの電話なのか、香織と二人で楽しそうに喋っている。
「えーっと、朋子さんから。一番ね」
 香織は受話器を胸に押し当てて、僕に言った。僕は「了解」と、小さくまとめた弁当を持って立ち上がった。哲朗は慌てて、弁当の残りを掻き込んでいる。
 ちょっと早いけど、昼休憩はここまで。デスクに置きっぱなしだったコーヒーで喉を湿らせ、受話器を片手に赤く光っているボタンを押した。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。