1月30日(月)

 隣に座る女性は、空になったグラスを握りながら、カウンターの上から下げられている紙を順番に見ていく。読み方がよく分からない銘柄が書かれた紙は、入り口の方までズラッと並べられている。後ろの方を気にかけながら、身体をグッと引いて遠くの字を読もうとしている。
「もう一回、十四代もらおうかな」
 隣で注文を待っている店員さんに、少し先の紙を指した。店員さんがメモを取る間に、私に注文を促した。まだ何口か残っているけど、同じ奴でいいかな。手元の小さなホワイトボードの文字を指し、「コレで」と告げる。「十四代と、東洋美人ですね」とメモした店員さんは、隣の女性、郁美さんの空のグラスとコースターがわりの小皿を回収すると、すぐに戻ってきて、背後の冷蔵庫を開けた。ズラッと並ぶ酒瓶から、注文した物を探してきて、私たちの前で「こちらですね?」とグラスに注いでいく。
 自分の分が注がれる前に慌ててグラスを空にして、今入れてもらった新しいお酒を一口嘗めた。郁美さんは、ナスの辛子漬けを摘む。
「ゴメンね。オバさんの徘徊に付き合わせちゃって」
「こちらこそ、わざわざご足労いただいて、すみません」
 郁美さんに軽く頭を下げると、少しだけクラクラする。「いいの、いいの」と言いながら、彼女はスマートウォッチをちらりと見た。
「時間、大丈夫ですか?」
「全然大丈夫。まだ九時前だし、子なしの独身アラフォーだし?」
 そういえば、さっきもそんな話を聞いたっけ。
「ルミちゃんこそ、こんな時間にオバさんとサシ飲みしてていいの?」
 郁美さんの視線が刺さる。優しい言い方が余計に苦しい。お酒を口に含む。
「仕事が恋人〜とかやってたら、十年ぐらいあっという間よ」
 すぐこうなる、と郁美さんは自分を指した。嘲笑気味にお酒を飲み、残っている料理に手をつける。居酒屋で照明は少し落としてあるけど、十分綺麗に見える。容姿や性格の好みはそれぞれだろうけど、真剣に調理をする様と彼女の作るプロの味に、心もお腹も掴まれない男性が一人もいないとは思えない。
「私は、素敵だと思います」
 郁美さんは一瞬動きを止めて、私の方を見た。
「年齢なんて聞かなきゃ分かんないし、素敵な生き方だと思うし」
 郁美さんは、「ありがとう」と呟くように言った。自分のグラスを傾け、日本酒を一口飲んだ。
「ルミちゃん、いい子だね。香帆さんも、いいお母さんだわ」
 郁美さんはニッと歯を見せて笑うと、グラスに残ったお酒をグッと飲み干した。私のグラスを見て、「次、何する?」と言う。
「気分いいから、奢っちゃう。選んどいて」
 そう言いながら席を立つと、すぐ後ろのトイレに入った。グラスのお酒は、まだたっぷり残っている。隣に置いた水を飲み干し、お冷やのおかわりをもらう。店員さんが、水がたっぷり入った大きなグラスを交換するのと同時に、郁美さんがトイレから戻ってくる。彼女は椅子に戻りながら、「決めた?」と訊いてくる。
「いや、もう……」
 目の前でバツを作る。
「そう。遠慮してない?」
 私が頷くと、彼女は自分の水をゆっくり飲んだ。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。