6月16日(金)
「森田さんもいつか、茨木を出ていくのかな?」
武藤さんはコーヒーを入れ、応接スペースに戻ってきた。その顔には、割と本気っぽい寂しさが漂っている。
「確定じゃないですけど、ないとも言い切れないですね」
「そっか。そのときは、寂しくなるな」
彼は心底悲しげに、コーヒーを啜った。
「でも、せいぜい池田ですよ。陽菜ちゃんの通学と似たようなもんですって」
僕はなぜか必死になって取り繕う。リモートワークも充実して久しいこのご時世に、ほんの少し距離が生まれる程度で何が寂しくなるのか。分かるような気もするけど、分かりえない気も少しある。
実際、今も別に近いと言えるほどの距離感ではない。ココのオフィスまで、徒歩で30分くらいはかかる。武藤さんのご自宅までは、さらに20分ちょっと。それがグッと伸びて離れたところで何が変わる? 何も変わらない気もする。
「両親もそろそろいい年だし、亜衣もそろそろ小学校なんで、学校に上がってから転校するぐらいなら、今のうちにじっくり考えなきゃなぁ、と」
「そうだよねぇ。森田さんは元々池田の人、だったもんね」
武藤さんはしみじみと語る。
ただ、僕らや武藤さんたちの時代とは違い、別に池田と茨木とで大きな違いはない。花の第一学区だった時代はとうの昔。今はそんなの、関係ない。関係ないとは思いつつ、父母の今後を考えると、同居は僕ら一家になるだろう。だったら、早めに決めて向こうで暮らすことも考えなきゃいけない。
「それも、茨木っぽいと言えば茨木っぽいのかな」
「どこからかやって来て、定着する人は定着して、そうでない人はどこかへ出ていく」
「出戻って居着く人と、出戻りながら、もう一度出ていく人もいる。茨木は特に、それがしやすいのかもなぁ……」
地元で生まれ育った人も、地元に縛られることなく自由に出入りする。地元愛、郷土愛がないんじゃなくて、そういう緩やかな器、雰囲気がココにはある。
「だから、『今を切りとれ』か」
「そして、『撮りたい表情、景色を撮れ、捻り出せ』ですね」
武藤さんは、僕の言葉にニヤリと笑った。
浪川さんの要望を叶えるなら、彼女が撮りたいものをとことん撮るべきだ。そして、その題材は恐らく、奥野沙綾という人物以外にない。だったら、気を衒わないベタベタなシナリオをベースに、監督と主演女優がやりたいようにやって、紡ぎあげたものをブラッシュアップする程度でいい。
武藤さんは、浪川さんがロケハンで撮ってきた川中心の写真を手元に引き寄せる。
「川物語が完成したら、次は山物語だな」
僕は思わず微笑んで、「ですね」と付け足した。
なんだかパチンコ、パチスロみたいなネーミングだけれども、山間部の話、イバキタを舞台にした作品があると、より魅力的になっていいかもしれない。
「おや? 森田先生?」
武藤さんは僕の表情から何か読み取ったのか、伺うような目で僕を見る。
「もう一班スタンバイして、ガチの山物語、作っちゃう?」
彼は底意地が悪そうな表情を浮かべ、僕に語りかけた。
キャストと機材があれば、シナリオと監督次第で作れなくはない。若手の作品だけっていうのも寂しいし、勉強がてらやってみてもいいかもしれない。
武藤さんの悪そうな笑顔に、僕も無言で笑いかけてみた。