2231(仮) 第二話

仮面ライター 長谷川 雄治 2231(仮)→塔の見える街

 修学旅行までに戻って来ればいいと思っていた僕の傘は、赤茶色のサビと白い粉に塗れていた。青白い体液を保っている部分もある。それを見て、「電池の液漏れと同じ色だ」と、どうでもいいことを考えていた。

 傘は、ビニール袋に包まれていた。ビニール袋ごと差し出して、織林と名乗った女性刑事は、「君のもので間違いないね?」と言った。元々の造作に自信があるのか、朝からの呼び出しで化粧する暇がなかったのか、ボブカットの髪は整っているのに、ほぼすっぴんに見える。

 僕は頷いて、ビニール袋に手を伸ばすと、後ろの席で学生証を確かめていた米利と名乗った体格の良い男性刑事が、「まだ鑑定中なんだ。悪いね」とビニール袋を回収した。同席の記録係が証拠品を持って退室する。

「コレもありがとう。確認は取れた」

 米利刑事は学生証を差し出すと、織林刑事の隣に座った。威圧感を減らすためか、彼女より随分後ろに椅子を引く。

「遺体に残っていた補助記憶との照合結果も、間違いない」

「甲斐益巳さん、あなたは昨日、入駒祭さんにこちらの傘を貸した。間違いないですね?」

 織林刑事の質問に、僕は回答を飲み込んだ。補助記憶を見たのなら、わざわざ確かめなくても良い。米利刑事の鋭い目は、僕の一挙手一投足、どんなに些細な表情の変化も見逃すまいとしているらしく、微動だにしない。

「昨夜、6月9日の午前2時から4時の間、どこで何をしていましたか?」

 織林刑事の詰問は、僕の返事を気にすることなく、機械的に進んでいく。

「これって、任意の事情聴取ですよね?」

 僕は、後ろで腕組みをしている米利刑事に言った。米利刑事は腕組みを解き、口角を上げて、「そうだ」と言った。米利刑事はゆっくり立ち上がると、織林刑事の肩を叩いた。ポットの方を顎で示し、さっきまで自分が座っていた椅子を引き寄せる。

「この部屋でのやり取りは、映像も音声も全て記録されている。要求すれば、開示も可能だ。当然、君の黙秘権もある」

 米利刑事は背もたれを前にして、椅子に座った。

「僕に容疑がかかってるんですか?」

「それには答えられない。念のため、形式的なもんさ。昨夜、というか今朝まで、君はどこで、何をしていた?」

 米利刑事は、「答えられる範囲で構わない」と付け加える。黙秘権を行使しても構わないが、変な嫌疑をかけられるのも、印象が悪くなるのも避けたい。僕は、「自室で寝ていた」と答えた。

「それを証明する人は?」

 自宅にも離れにも家族はいたが、深夜にズッと寝ていたと証明するのは難しい。僕が答えあぐねていると、「まぁ、そうだろうな」と米利刑事は頷いた。

「十六歳の男子高校生が夜中に部屋で何してたか、証明なんか無理だよなぁ」

 織林刑事が入れたコーヒーを啜りながら、「俺もそうだった」と彼は言った。僕の前には、湯呑みに入った緑茶が置かれる。米利刑事は「飲んで」と手で促すが、湯気が立っているお茶に、スッと手を伸ばせる心境ではない。

 お盆を元の場所へ戻した織林刑事が、米利刑事の隣に座る。

「被害者に、何か変わったところはなかったかな」

 米利刑事の真面目な口調に、僕も釣られて真剣に昨日の様子を思い出す。変わったところも何も、最近の、普段の彼女をそこまで見ていない。たまに学校へ来た時の姿とか、断片的にしか覚えていない、幼い頃の彼女の様子ぐらいしか、覚えていない。

 夢洲の駅前で、遅い時間に露出の多い派手な格好で、ヤンチャそうな若い人たちと集まっているのは見たこともあるが、ここで話すべきことではないように思う。

「昨夜、たまたま総合病院で見かけただけなので」

「総合病院で? 君はなぜそんなところに」

「祖母のリハビリで、定期的に付き添いを」

 いつの間にか部屋に戻ってきた記録係が、米利刑事に何かの資料を手渡した。彼はそれと僕の証言を突き合わせているらしい。時々、「なるほど」とか「合ってるね」と相槌を打った。

「彼女が病院に来た理由は?」

「補修だと言ってました」

「補修ねぇ……」

 外回りが多いのか、6月の頭だというのに、米利刑事はよく焼けた肌をしていた。織林刑事の肌は、綺麗な灰白色。長時間屋外にいない限り、紫外線焼けが起こるような時期ではない。

「他に、気になったところは?」

「例えば、外傷とか」

 織林刑事が、米利刑事の言葉に付け足した。そういえば、顔にアザがあったような。あまり触れない方が良さそうな話題なだけに、答えに迷う。僕をじっと観察していた米利刑事は、資料に目を落とした。

「被害者の素行不良や、家庭内暴力は報告されている。彼女の父親からの証言も取れているが、事件当日の暴行や、遺体から電子を含めたドラッグ等の検出は報告されていない」

 その言葉に、なぜか少しホッとした。良かったと言える状況ではないのに、自分の中の罪悪感、モヤモヤが少し減った気がする。

「アザとか、派手な格好はちょっと気になりましたけど」

「それが直接的な死因に繋がった可能性は低い、というのが現状だ」

「新しい手がかり、出ませんね」

 僕の目の前で溜息をついた織林刑事を、米利刑事は「バカ野郎」と怒鳴りつけた。

「同級生が亡くなってるんだぞ。なんだ、その態度は」

 織林刑事は非常に申し訳なさそうに、僕に謝った。米利刑事は、「頭が高い」と彼女の頭を机に押し付ける。僕はオロオロしながら、「もう、大丈夫なんで」と言った。

「ウチのバカが、大変失礼した」

 おでこが赤くなった織林刑事に「大丈夫ですか?」とハンカチを差し出すと、彼女は「ああ、結構です。ありがとうございます」と、しょんぼりした様子で答えた。

「事件解決まで、ちょくちょく話を聞くかもしれない。協力、よろしくお願いします」

 米利刑事は立ち上がり、隣に立つ織林刑事と、深々と頭を下げた。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 同級生、幼馴染の死の真相を知りたいのは、僕も同じだ。座ったまま、頭を下げた。米利刑事に頭を掴まれていた織林刑事が、少しだけ顔を上げた。

「ちなみに、フィロウイルスってご存じですか?」

「フィロウイルス? いえ、全く」

 米利刑事は「何聞いてんだ、このバカは」と、織林刑事の頭をもう一度下げさせた。一瞬、鋭い眼光で僕の方を見たような気がする。

「もう、良いですか? 今から、彼女のお通夜なので」

「ああ、すみません。ご協力ありがとうございます」

 僕が席を立つと、来た時と同様に、記録係が出口まで案内してくれようとするが、米利刑事が織林刑事に「お前が行け」と促した。僕は彼女の先導に従って、夢洲署の玄関まで向かう。

 入駒祭は、死んだ。蘇生も遺品整理もされず、廃棄処分される。機能不全の後期高齢者でも、遺品整理と部品回収がなされ、クリーニングと輪廻、転生を経るはずなのに、廃棄処分? 換装も交換も蘇生もできないなんて、一体何が起こっているのか、僕の頭では処理できなかった。

「あ、そうそう。もう一つ」

 建物を出たところで、織林刑事が足を止め、手帳とペンを取り出した。薄手の手帳に、何やら図形を描いている。

「こんなマーク、見たことない?」

 彼女は、紙を千切って図形を僕に見せた。本物を見かけなくなって久しい蝋燭のような図形に、雷が重なったようなマーク。どこかのロゴマークにしては、あまりセンスがないような気がする。

「いえ、全く」

 どこかで見かけていても、あまり印象に残る図案でもない。織林刑事は少し残念そうな表情を浮かべ、「そう? じゃあ、お気をつけて」とマークを書き付けた紙片を僕に押し付け、警察署の入り口で僕が敷地を出て行くまで見送ってくれた。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。