2231(仮) 第三話

仮面ライター 長谷川 雄治 2231(仮)→塔の見える街

 真珠を連れて、最寄りのスーパーへ買い出しに来た。今夜は僕が夕飯を作らねばならない。献立を考えながら会計も終え、出入り口間近の休憩スペースで真珠がプリンを食べ終えるのを待っていると、全身黒でまとめたサングラスの男に声をかけられた。

「こんばんは。と言うにはちょっと早いかな」

 サングラスで長身の、いかにも怪しい男はサングラスをズラして微笑んだ。先日から学校に来ているスクールカウンセラーの、真境名先生だ。僕は、「どうも」と挨拶して、真珠のことも紹介する。

「ああ、君は確か、ヤングケアラーでしたね」

「いや、そんな。妹と祖母の世話を手伝ってるだけですよ」

 世間には、僕より大変なヤングケアラーは沢山いる。命の恩人でもあるばあちゃんのリハビリに付き合うのも当然だし、兄貴が妹の世話をするのも当たり前だ。

「妹さんは、聴覚と声帯に不具合がある、とか。生まれつきの不備とか、不適合とか、大変でしょう」

 真境名先生は、僕ではなく、真珠に語りかけているようだった。サングラスの奥の彼の眼は、二つとも古いタイプの義眼らしく、炭素製の身体には不適合だったらしい。長袖やズボンの下も、手術痕や適合問題による副反応が出ていると、学校で紹介された時に聞いた気がする。

「そうだ。そんな君に」

 真境名先生は、自分の買い物袋から、小さなタブレットが詰まった筒状の入れ物を取り出した。形状的にはラムネっぽいが、商品名やラベルには見覚えがない。

「これを差し上げよう」

 彼は、そのラムネを僕に差し出した。未開封で、今買ったばかりの品物に見える。僕が躊躇っていると、真境名先生は「たかだか、ワンコインの駄菓子ですよ。安月給とはいえ、これぐらいは知れてます」と言った。

「ヤングケアラーのご褒美ですよ」

 僕がいつまでも受け取らずにいると、彼は僕の買い物袋にそれをねじ込んだ。

「じゃあ、また学校で」

 突き返す前に、彼はスーパーを出て行った。一人でどうしたものか悩んでいると、真珠はプリンを食べ終わったと合図した。空のプラカップとスプーンを、休憩スペースに備え付けのゴミ箱に放り込み、母さんのママチャリに荷物と真珠を乗せて帰宅した。

 夜の家事も一通り終え、真珠も自分の部屋で静かに寝ている。父も母もまだ帰ってくる気配はない。離れのばあちゃんも、もう床に就いたらしい。

 僕も風呂を済ませ、今日の分の現実逃避に没頭する。二時間ほど、文章と想像の世界に浸っている間に、父や母は帰宅したらしい。リビングの方が賑やかになったかと思えば、今度は風呂で水を使う音が聞こえてくる。

 もうそろそろ日付が変わる。流石に寝よう。小腹は空いたけど、歯を磨くために洗面所へ降りるのも面倒臭い。小さなラムネでブドウ糖を補給するぐらいなら、大丈夫かも。さっき、先生にもらったラムネを引き出しから取り出した。

 ベッドに寝転んで照明にかざしてみる。見れば見るほど、見覚えのない商品名とラベルだ。プラスティックのボトルに透けて見える中身のタブレットにも、一つ一つ小さなマークが刻み込まれている。

 印象に残りにくい、簡易な図形を組み合わせたこのマーク、最近、どこかで見たような……。本棚から、クリアファイルを引っ張り出した。この前、織林刑事に押し付けられた紙を、畳んだままここに突っ込んだ。学校でもらうどうでも良い印刷物を避けながら、目的の小さな紙を引っ張り出す。

 ボトルのラベルにも記載された、蝋燭と雷のマーク。線に縁取りがついて多少見栄えは異なるが、あの時書かれた図案とそっくりだ。小さくて丸いタブレットに刻まれているのも、どうやら同じマークらしい。

 このマークがあるから何なのか、あの時ちゃんと織林刑事に聞いておけば良かった。このラムネをくれた真境名先生にも、商品のこと、マークのことを改めて訊かなくては。

 今から連絡を取ろうにも、連絡先が分からない。一旦ラムネは開けず、カバンに詰め込んだ。ラムネのことは明日、学校で問い詰めよう。マークの件は、それが片付いてから解決するか。

 とりあえず、今夜は寝よう。明日に響く。途中までやった現実逃避をしっかり保存して、部屋の明かりを消す。布団に潜り込んだところで、微妙に興奮したまま眠れるかは分からない。兎にも角にも瞼を閉じよう。今日はもう寝るんだ、寝るんだ、寝る……。

 ケータイのアラームで目が覚めた。寝れるかどうか心配したのが無駄だったレベルで、スッと寝入ってしまった。夜中に目が覚めることもなく、朝までグッスリだった。寝間着から着替え、忘れ物がないかチェックしたカバンを持ってリビングに降りる。

 昨夜は顔を見ることもなかった父さんも母さんも、今朝は揃っていた。

「おはよ〜」

 母さんは僕に弁当を渡しながら、食卓についた。僕は弁当をカバンに詰め、自分の食パンをトースターに放り込む。紅茶用のお湯が沸くのを待ちながら、テレビを見ていた。お堅いニュースというより、ややバラエティ寄りの情報番組。普段であれば、もうそろそろ始まる天気予報を見てから、父さんは朝刊を握りしめたまま出社する。

 今日は珍しく、遺体発見のニュースが続いていた。先週と似たような内容の、同級生の遺体発見の報。

「ーー身元が判明しました。夢洲高校に通う男子高校生、二年生のフルヤトモノブさん」

 テレビ画面に、集合写真から切り抜いたらしい古谷の顔写真とフルネームが映し出された。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。