2231(仮) 第六話

仮面ライター 長谷川 雄治 2231(仮)→塔の見える街

 高層ビルやタワーマンションが立ち並ぶ麓、谷間のような場所で、レトロな雰囲気の「純喫茶」と呼ばれるタイプのカフェが生き延びていた。座席やテーブルも一つ一つ選び抜かれ、年季の入った調度品に囲まれながら、僕の目の前に座った米利刑事は、ネクタイを緩めながらタバコを取り出した。

「デートの邪魔して、悪かったな」

 彼は灰皿を引き寄せ、僕と隣の江辺野さんに一言断ってから、タバコに火をつけた。ゆっくり一服して、ゆるゆると天井へ登っていく煙と、自分が吐き出す煙の行方を追いかけている。軽く灰を落とし、もう一口吸った。ようやく、顔がこちらに向けられる。

「単刀直入に言う。上から圧がかかった。これ以上は動けない」

 彼はタバコを消し、頭を下げた。

「散々巻き込んでおいて、非常に申し訳ない」

 米利刑事はしばらく、頭を下げ続けた。やがて、革張りのソファに座り直しながら、ゆっくり頭を上げる。

「オレも織林も表立って動くことはできなくなったから、ここから先はたまたま居合わせた知人同士の世間話だ」

 彼は新しいタバコに火をつけ、口の端に咥えた。声の調子とボリュームを下げ、僕の目を見ながら、「いいか」と言った。

「ヤツの行動にはしばらく監視が付く。だから安心しろとはとても言えないが、野放しにすることはない」

 僕が小さく頷くと、彼は言葉を続ける。

「それと、例のブツは販売元にも製造元にも怪しいところは一つもなかった。製造ラインも調べたが、妙なところは一つもなかった」

 ただ単に、流通量が多くないだけで、この辺りのスーパーや駄菓子屋にはたまに出回っている代物らしい。実際に販売されていた物の鑑定も、製造元にある材料の調査もシロだと判断された。

「身元不明の遺体とヤツの関係性は、まだ分からない。状況証拠と妙な証言だけで、決定的な物証は出てこない。まずはヤツの身元を辿るつもりだ」

「捜査はできないんですよね?」

「ヤツの身元と身分証偽造のセンは、まだ止められていない」

 米利刑事は、「そっちは任せとけ」と誇らしげに言った。ただ、真境名という名前も顔も偽装だった場合、振り出しに戻るだけ。一介のスクールカウンセラーにしては、工作の手が混み過ぎている。

「それともう一つ」

 米利刑事は、テーブルに分厚い本をドンと音を立てて置いた。さっきから、僕らの話が微塵も分からないという様子の江辺野さんは、急な音に身体をびくつかせた。小さな事典のような本には、「タロット入門」と書かれていた。

「命輝保育園のマークも、そのスポーツバッグのロゴも、例のラムネのマークも、全部、塔のマークじゃないかってね」

 彼は目の前で本をめくり、「塔」のページを開いた。細長い棒状のものに、雷が落ちて途中から崩れかかっている絵が描かれていた。バリエーションもいくつかあるらしく、コレを図案化して幅を持たせると、ああいうデザインになるんじゃないか、というのが占い好きな織林刑事の推理らしい。

「それが何を意味するのかは、オレには全く理解できん」

「でも、実際にそれっぽいマークが街中の至るところに存在している、と?」

「マークの意味、点在の背景と上からの圧までがセットだとすると、何もかも、お膳立てされてる気もするよなぁ……」

 米利刑事は咥えるものを、タバコからアイスコーヒーに刺さるストローに切り替えた。氷がたっぷり入ったグラスの中身が、一息で半分ぐらいまで吸い込まれていく。

「考え過ぎじゃないですか?」

 江辺野さんにしては珍しく、自信がなさそうな声で米利刑事に言った。米利刑事は首を振りながら、「いやぁ、ヤツのことだからなぁ」と呟く。僕も、それに同意した。

「その本は君にやるよ。最悪の誕生日だっただろうし、お詫びも兼ねて」

 米利刑事は、開いた本を化粧箱に戻しながら言う。彼からのプレッシャーというか、断りにくい雰囲気に飲まれ、それなりにいい値段のする重たい荷物を受け取った。

「ただ、捜査は打ち切りで、公的には介入しづらくなった。納得行くまで首を突っ込むタイプだろうが、無理はするな。公務執行妨害で逮捕するなんてことはしたくない」

 米利刑事は、「いいか、約束だぞ」と喫茶店の会計を終えて外で別れるまで、何度も繰り返した。あくまでもポケットマネーによる奢りを受け、彼は「ちゃんと彼女を送っていけよ」と言い残して去って行った。

 気がつけば、辺りは夕暮れ時。もうしばらく明るいとは言え、状況が状況なだけに一人で帰らせるわけにも行かない。ただ、彼女の方が強そうだけど……。

「もしかして、とんでもないことに巻き込まれちゃった?」

 薄暮の住宅街を並んで歩いていると、江辺野さんは急に口を開いた。閑静な住宅街、自動車を避けながら道端で遊ぶ小学生も一杯いたのに、事件があってからは人通りが少なくなっている。帰宅途中の自転車に乗ったサラリーマンや、学生さんとすれ違うぐらい。細い道での無灯火に気を付けながら、右を歩くか左を歩くか、頻繁に動いている。

「なんであの時、バスを降りちゃったのかなぁ」

 彼女は独り言のように言う。先に降りた僕を追いかけて、一つ先のバス停から戻ってきた理由は、彼女に分からなければ誰にも分からない。不思議そうにこちらを見ても、答えようがない。

 視線を逸らすと、その先の通りから、真境名先生が「やぁ、今晩は」と顔を出した。闇を縫うように、全身黒っぽい服装とサングラス姿で、音もなくヌッと姿を現す。江辺野さんの前に立ち、柔道の授業を思い出しながら少しだけ身構えた。

「そんなに身構えないで。そこら中で監視されているのに、何もしませんよ」

 サングラスの下、義眼がどこを見ているか正確には分からないが、通りの角や住宅の陰に警察が潜伏しているらしい。監視や尾行もバレバレのようだ。

 真境名先生は、少し先の公園を指差した。

「あそこのベンチで、少しお話ししませんか? お時間は取らせませんので」

 彼はあくまでも淡々と、「構いませんよね?」と江辺野さんに視線を向けながら言う。僕は江辺野さんを遠ざけるように軽く押したが、真境名先生は「せっかくなので彼女も一緒に」と冷たく言った。僕は不本意ながら同意を示し、不安そうな表情を浮かべる江辺野さんに「大丈夫。信じて」と目一杯虚勢を張ってみせた。

 真境名先生の先導で、隣に田んぼと駐車場が広がる公園に辿り着いた。遊具もほとんどなく、草刈りがなんとか終わったばかりという公園だった。照明の下にベンチが二つ置いてあった。

 二人掛けのベンチに僕と江辺野さんが座り、もう一つのベンチに、真境名先生が腰を下ろした。江辺野さんは、真境名先生から出来るだけ遠ざける。

「先生が犯人なんでしょ?」

 真境名先生は、小さく笑った。

「もうそんな関係じゃないのに、まだ先生と呼んでくれますか。いい生徒ですよ、君は」

 彼はサングラスをずらし、独特の義眼で僕を見つめる。

「そんな君に、釘を刺しておきましょう。くれぐれも、内密に。私の作品に、警察の出番はもう十分だ。野蛮で無粋な三流役者には退場願いたい」

「作品って、一体ーー」

「それと、私は機械仕掛けの神だ。君なら意味は、分かるよね?」

 真境名はサングラスを掛け直す。そうか、マキナだ。

 彼はシャツの胸ポケットから、小さな鍵を取り出した。それを僕に差し出す。拒否する権利はない。素直に受け取って、周りから見えにくいようにポケットへ仕舞う。

 真境名はそれを見届けて、口角を上げた。

「そう、それでいい」

 彼はベンチから立ち上がり、ズボンの尻を払った。急に思い出したように、「あ、そうそう」と言った。

「プレゼントがもう一つ」

 彼は僕のケータイを指し、「すぐに分かるよ」と付け加えた。

「じゃ、健闘を祈る」

 真境名はそう言うと、さっさと公園の出口へ向かう。彼の言っていることがよく分からない。真境名の動きに合わせ、潜伏していた警官の尾行が再開するらしく、遠くの方で人影がモゾモゾ動き出した。

「大丈夫? 何かされなかった?」

 背後から、織林刑事が走ってきた。草むらにでも隠れていたのか、細かい葉っぱが頭や上着に付いている。

「いえ、何も」

 彼女は、僕と江辺野さんの身体を頭の先から足の先までじっくり確かめた。彼に渡された鍵は、見つからなかったらしい。目立つ外傷も特になく、織林刑事は無線で何やらやり取りしている。

 彼女のやり取りが落ち着くまで待っていると、僕のケータイが鳴り始めた。嫌な予感に、胸がギュッと締め付けられた。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。