2231(仮) 第十一話
翌日は、起きた時から慌ただしかった。
日本では午前七時過ぎ、ローマの現地時間では日付が変わったタイミングで、チャルカ教本部から、グレゴール十八世の名前で世界中に発信された報せと、三十分後に「ザ・シティ」を名乗る団体から表明された文書とを巡って、世界中で騒ぎが起きているらしい。
どちらもあまりにも荒唐無稽な内容であり、唐突すぎる発表は度を越したただのイタズラ、規模の大きな何らかの偽計ではないかと、色んなチャンネルのコメンテーターが喚いていた。
登校時間まで各局の緊急特番を切り替えながらテレビを見ていたけど、発表の真偽も、ザ・シティなる団体の正体も、よく分からなかった。緊急に回ってきた連絡では、この辺りの駅前や街中でも騒動になっているらしく、登下校時は注意するようにとのお達しが出ていた。残念ながら、休校にはならないらしい。
雲行きが少し怪しい中、いつもの時間に天気予報もやってもらえず、とりあえず傘を握りしめて家を出た。自転車を辞めて、歩いて行く。
通学路の途中にある、少し大きめの公園でも、幟やお立ち台を持ってきて、今朝の発表に「目覚めた」人たちが近所迷惑も鑑みず、拡声器を握りしめて演説していた。目が合わないように気をつけて集団の脇を通ると、向こうから遠慮のない視線が投げかけられる。幸い、危害を加えられる雰囲気ではなさそうだ。
朝から暇で元気な、一風変わった人達はまだ極少数らしく、妙に絡まれることもなく無事に学校へ到着した。教室の中の空気は、いつもより少し張り詰めている気がする。
「あ、おはよう」
先に着いていたテッちゃんに声を掛けた。どこかよそよそしい態度で、申し訳なさそうな小さい声で「おはよう」と言った。彼はすぐに授業の準備に戻る。窓際の自席までに、稲荷さんもいたので、同じように挨拶した。先日の、修学旅行の段取りが思わしくなかったのか、逃避行のご高説を賜っていた相手とは思えないぐらいそっけない態度で、一瞥されて終わった。
彼女やテッちゃんに、何か悪いことをした覚えはない。今朝のアレを間に受けて、それが影響しているのだろうか。腑に落ちないまま、自分の席で授業に備える。遅刻ギリギリで、駿が教室に入って来た。ギリギリの割に、いつも通りに騒々しい様子で席に着く。最も、普段のような盛り上がりはない。反応の悪さに、彼も微妙な表情を浮かべていた。
駿の準備が整う前に、始業のチャイムと共にヤッセンが教室に入ってきた。週明け一発目にヤッセンの数学とは、気合が入らない。いつも通りに思える教室の様子だけど、何となく活気に欠けている気がした。
昼休みになっても、重たい空気、ピリピリした雰囲気は変わらなかった。普段は仲が良さそうな人達も、急に仲違いしたかのように、ぎこちなく当たり障りのないやり取りをしているように思える。
「今朝のアレ、どう思う? あいつのせいで、飯が不味く感じるよ」
空気を読む機能が搭載されていない駿は、そう言いながらも、普段通りの食欲で早弁後の追加の昼食を食べている。今日はガッツリ、米らしい。
「融和がどうとか言ってたクセに」
「ん〜、まあね」
駿の言い分も最もだけれども、昨日の彼はネットワークで常時繋がっているとはいえ、ただの一端末。本体と考え方の違い、齟齬はあったかもしれない。ただ、昨日の今日でこの動きなら、昨日のやり取りが何かのきっかけになっている可能性もある。
「ホラ話にしても、一千年はやり過ぎだろ。誰が信じるんだ、そんな話」
「あ〜、実は一千年ズレてるって話? 確かに無茶だよな」
チャルカ教の発表、暴露をそのまま信じるなら、今年は西暦二二三一年ではなく、三二三一年だと言う。一千年もズレているなら、NASAやJAXA、その他の研究機関が何らかの情報を掴んでいそうだけど、そんな発表は聞いたことがない。
ケータイでニュースサイトを調べてみても、今のところ、その手の報告、新着ニュースも特に見当たらない。
「昔、ファントムタイム仮説っていう騒動はあったらしい」
「それでも数百年だろ? 理由もなんとなく分からんでもないしさ」
駿も同じページを見ているらしい。最終的には否定されたっぽい騒動が、はるか昔にあったという。
「やっぱり、一千年はやりすぎだって。意味も不明だし」
駿はさっきと同じことを言う。嘘の盛り方が過剰だと言いたいらしいが、それは個人的によく分からない。一千年ズラす理由、公表する意味や意図が不明というのは同意する。
「人間さまに、大きな顔させるためだろ?」
近くで弁当を食べていた押井が、駿を半ば睨み付けながら、キツい口調で言い放った。
「出来損ないのオレたちを、創造者だと祭り上げてバカにしてたんだろ? 守ってあげなきゃいけない、大事な大事なペットだってな」
「なんだ、テメェ」
駿は押井に掴みかかった。押井は胸倉を掴ませ、身長差で上から睨み付けている。教室の緊張感が一段階上がった。二人の周りから人が離れ、小さな輪が出来る。斜向かいの席にいた江辺野さんが立ち上がり、二人の間に割って入った。喧嘩腰の男子に介入するなんて、見ているコッチが緊張してくる。
「私はまだ死にたくない。そこまでにしてくれる?」
彼女の「死」というフレーズに、周囲が一瞬ざわついた。もう一つの声明文を思い返す。江辺野さんは、駿を見た。
「古谷くんみたいに、なりたくないんでしょ?」
駿は押井の胸倉を離し、右腕をさする。駿の態度に気を削がれたのか、押井も少し落ち着いたらしい。気まずそうに背中を向けて、食べかけの弁当に向き直った。江辺野さんは周囲の視線を気にすることなく元の座席に戻ると、何事もなかったかのように嶋田さんとのランチを再開した。
教室中の緊張感が若干下がった。それでも、普段の雰囲気からするとヒリついている。
「ジャンヌダルクって、あんな感じか?」
駿も食事を再開しながら、彼女の方を見ながら呟く。
「タヌキ顔の男前か〜」
「タヌキ顔じゃなかったと思うよ。ジャンヌダルクは」
駿の言葉を訂正していると、眉間に小さくて硬い何かが、猛烈な勢いで飛んできた。昨日の出店で買わされた、プラスチック製のストラップ。飛来した方向を辿るものの、当事者っぽい女子は取り繕うこともなく平然とおしゃべりしていた。
駿は悪戯っぽい表情を浮かべ、「や〜い、怒られてやんの」とケラケラ笑った。
「誰のせいで怒られたと思ってるんだ」
「知〜らない」
彼はずーっと楽しそうに笑っている。直前の出来事を引きずることなく、切り替えも早くて図々しい。「古谷みたい」の一言でばあちゃんの最期を思い出し、ケチャップのかかったオムレツを食べにくくなった僕とは大違いだ。
深く考えるのをやめ、機械的に箸を動かして弁当を腹に詰め込んでいく。駿のどうでもいい話やギャグも気にかけることなく、なんとなく教室全体に視線を向ける。今朝の怪文書を信じるのなら、僕や江辺野さんだけでなく、この教室にいる全員に、滅びのリセット機能が組み込まれている。『人間』や「我々」かどうかに関係なく、今の時代を生きる人達全員に。
真境名は、ザ・シティとやらが仕掛けたというソレ、あるいは何らかの装置、機能を持ち出した、利用しているにすぎないのだろうか。きっかけや仕組みは全く予想もつかないが、それなら荒唐無稽さは若干下がる。
最も、チャカル教の話も、ザ・シティの存在や彼らが出した声明文も、まだまだ荒唐無稽の域を出ない。真偽は宙ぶらりんのまま、「本当ならどうしよう」と構えているにすぎない。
どちらか一方なら、作り話だと笑い飛ばせたのに。
いろんなことが腑に落ちないまま、居心地に悪い時間が過ぎていく。弁当を食べ終わる頃までもっていた天気は、いよいよ雨を降らせ始めた。