藤倉の記録 vol.1
彼女をきちんと認識したのは、高校一年の春。「街」から外に出て進学した先で、同じ中学校出身の先輩が生徒会にいると聞いて、一度覗きに行った時だった。真っ赤なメガネと広いおでこの女の子は、随分昔に見たような気がしていた。
本人が目の前にいるときには思い出せず、帰宅後に親から教えてもらい、やっと当時の記憶を思い出した。「街」にいた時に通っていた子ども園で出会った二つ上のお姉さん。
小学校も中学校も同じ学校へ進学していたはずなのに、学年が二つも異なる異性だと、大した付き合いは生まれようもない。どうやらお互いに部活も真剣にやっていなかったらしく、ますます接点は増えそうになかった。
状況が一変したのは、私が中学へ進学する頃。ネフィリム計画に携わっていた父の身に起きた、研究中の事故だろう。アレがなければ今頃、私は「街」の中で生活し、「街」の中から出ることもなく、進学していたはず。
事故に巻き込まれた父は元の身体を失い、四肢と脳の一部を機械化することとなった。生体組織と機械を無理やり接合する一連の実験でも、ある程度安定性が認められていた技術が父の身体に組み込まれ、身体の欠損を補うとともに研究者の地位を剥奪されることになった。
父は「街」の研究機関、中枢から追いやられ、ハチ公タワーのメンテナンス要員という末端の仕事を任されることになった。頭を使う仕事から、身体を酷使する仕事に切り替えられ、慣れないだろうに苦言は一言も漏らさず、我々家族のために身を粉にして働いてくれた。
ただ、私や兄の生活は一変した。「街」の中枢から追い出された我々は、在籍中だった学校には継続して通えたものの、進学先は「街」の外を選ばざるを得なかった。再び「街」の中へ戻るには、大学や院へ進学し、「街」に有用な人物となるしかなかった。
私は、研究職という神にも等しい領域にいる父が誇らしかった。高い志を持ち、科学のため、「街」のため、人のために役に立とうと目を輝かせている彼の姿が好きだった。母や兄は、事故後に汗水垂らして働く父も素晴らしいと称賛していたが、私には理解も納得もできなかった。
神と等しい地位から、下僕にも等しい地位へ堕とされた父に、もはや尊敬の念は抱けなかったし、興味も持てなかった。私が人生を捧げるなら、彼が輝いていた時の仕事しかない。朧げながらそう心に決め、中学、高校と脇目も振らず、勉学へ打ち込むことにした。
高校へ入学してからは、男女共学の普通科ということもあり、年相応の不純異性交遊、愛だの恋だのの真似事もした。「街」の外へ出てから気がついたが、見た目もそんなに悪い方ではないらしく、寄って来る女は年上も年下も関係なく、途切れなかった。
ただ、どんな女も私の渇きを満たすことはできなかった。どれだけ交わっても満たされることはなく、どこかに虚しさを感じていた。私はその答えを求め、文学や演劇にも手を伸ばした。人や心を分ったフリをすれば、そのうち満たされる日が来るかもしれない、と。
だが、それは大きな間違いだった。読んでも読んでも答えは見つからず、演じても鑑賞しても、上手くなるのは表層のマネばかり。どこまで行っても心は満たせず、惚れた腫れたの修羅場をどう凌ぐか、女を取っ替え引っ替えする時はどう振る舞えば面倒臭くないのか、それらしい見せ方、嘘のつき方だけが上達して行った。
同級生とのそれらしい付き合いも難なくこなし、高校、大学を卒業して研究員として「街」へ戻ると、配属された先には彼女がいた。高校で一瞬だけ顔を合わせた、詩恵留先輩。当時はひどいルックスだったが、相当な努力を積み重ねたのだろう。知的な美人研究員へと成長していた。
見た目だけでなく、研究者としての実力も申し分なく、研究分野が少し異なるために、お互いがお互いを補い合ういい関係で、仕事を進めることが出来た。彼女の力を借りれば、父の進めていた研究をより一層前進させられるかもしれない。
私は淡い期待を抱きながら、時々彼女を食事に誘った。彼女も私のことを悪いとは思っていないらしく、他に肌を重ねる人がいるのも知っていながら、食事後のベッドも何度か共にした。
幸か不幸か、彼女と私とでは種族の壁が立ちはだかり、どれだけ交わっても子を成す可能性はない。女にとっては不幸だろうが、私にとってはそれも幸いした。
年末を控えたある日のディナーで、私があけすけに本心を明かすと、彼女はそれら全てを知っていて、それでもいいと答えた。「都合のいい女」で構わないから、嫌わないでくれ、と。
私の何が良くて、彼女がそんな献身的なのか理解が追いつかなかった。ただ、彼女がそうしたいというのなら、そうするだけの価値が私にはあるのだろう。彼女が私を信仰するのなら、私が神と等しい存在になればいい。
私は気合を入れて、父が追い出された研究に手をつけた。安全性が確認された機種、機材を接続するのではなく、もっと大胆で大規模な実験をしなければ、到底神には近づけない。
私は詩恵留の力も借りながら、どんどん危ない領域へ踏み込んで行った。周りの分からず屋な同僚は無視して、私の高邁な理想、崇高な精神を理解してくれる連中だけを相手に、研究に没頭した。
寝食も忘れて研究に取り組んでいると、いつの間にか所属部門のトップに立っていた。昇進などしても神に近づける訳でもないのに、今まで反対していた同僚も、一緒に力を尽くしてくれていた詩恵留も、とても喜んでくれた。
これは非常に喜ばしいことらしい。昇進してトップに立ったばかりの私に、部下たちは休暇を取るように勧めてくれた。永らく研究室に篭りっぱなしだったし、実家の父や母、兄にもしばらく会っていない。
昇進の報告もするべく休みを取り、実家に戻った。止せば良いのに、無理やり外に出てそこそこ高いレストランでお祝いをした。晴れやかな気分のまま、久しぶりに父の仕事場近くを周って帰っている最中、私の身体は強い衝撃を受け、急に意識を失った。
次に目を覚ますと、私は研究者から実験動物に降格されていた。自らの残した研究で、自らが求めていた被験体となって、全身の機械化を施されていた。
義肢や機材の一部は、父が使用していたものの流用だと言う。それらを使用していた父は、車に同乗していた母や兄と共に亡くなっていた。
私は再び、全てを失った。父の身に起きた事故も、今回巻き込まれた自動車事故も、全ては詩恵留と同じ、キカイの仕業。私はベッドの側に立つ看護師役の詩恵留に密かに腹を立てながら、献身的に世話をしてくれる彼女に、前より深い愛情も抱いていた。
詩恵留は科学や技術の最先端を追い求める研究からは身を引き、私の世話や保護、リハビリに付き合ってくれた。彼女が愛した声も顔も身体もないと言うのに、こんな醜い姿になってからも、以前と変わらぬ愛を注いでくれている。
私は、ベッドの側で私の身体に触れている詩恵留に、仰臥したまま話しかけた。
「詩恵留は何故そんなに、私に尽くしてくれるんだ?」
彼女は微笑みを浮かべ、「理由が必要?」と言った。
「アナタは私の全てだから」
「こんな姿でも、か?」
彼女は再び笑って頷いた。
優秀な彼女を、こんなことに付き合わせていてはいけない。彼女にはもっと、やるべきことがあるはずだ。私はベッドの中で身体を休めながら、来る日も来る日も頭を捻った。彼女と自分がこれから何をすべきか。そのために必要な計画、準備は何なのか。
ベッドの上で身体を起こすことが苦にならなくなった頃、私は詩恵留にノートとペンを要求した。彼女は私に言われるがまま、サイドテーブルにノートとペンを持ってきた。
私はベッドの中で延々と考えていたことを、監視カメラに映らないよう書き出した。途中で誰かに回収されても、真意が分からないよう気をつけながら。細心の注意と入念な暗号化を駆使して、自分の思考実験をどんどんノートにまとめていく。
全てを失った私にも、生きる希望はココに残っている。私はそう信じ、ノートにペンを走らせた。