壊乱(仮) 第四話

 前を歩くネウロは、どんどん城の奥へと進んでいく。行き交う兵士も多い公的な空間から、徐々に私的な生活空間へ移り変わっていく。この先の階段を登って二階に上がれば、完全なプライベート空間。国王や近親者の寝室や、個々人の部屋、公にはしない倉庫や宝物庫があるぐらいで、よほどのことがない限り、一般兵士、一般市民に用事はない。

 ネウロはすれ違う従者に簡素な挨拶を繰り返しながら、一番奥の部屋まで僕らを案内した。彼は警護のドアマンに声をかけ、大きなドアをゆっくりと開けさせた。扉の奥に広がる広い部屋には、天蓋付きの立派なベッドが真ん中に据えられている。床や壁のシミを見る限りは、壁際に他の調度品もあったはずだが、チェストや机といった類のものは一つも見られない。

 ネウロは部屋の唯一の目標物、中央のベッドへ歩み寄った。そこには部屋、いや王宮の主人が横たわっている。彼は呼吸を補助するマスクを付け、腕には直接栄養を送り込む管が二、三本ほど付けられていた。

 我々がドアの外で待っていると、ベッドの横まで行ったネウロは我々を手招きした。僕は後ろに並ぶアレンやドルトンの方を見るが、彼らは僕の肩や背中を押して「先に行け」と無言で示す。

 僕は仕方なく一歩前に出ると、二人を従える形で部屋の中に入った。最後尾にいたフューリィは、部屋に入るとドアを閉めさせ、扉の横で待機する。

 ネウロはベッドの側で世話をしていたメイドに声をかけ、一旦彼女らを下がらせた。僕は彼女らに軽く挨拶しながら、ベッドの側に立った。ベッドの中に横たわる人物の顔を覗き込む。

「これが、国王?」

 ベッドの中を覗き込んだドルトンが、声を漏らした。アレンは彼を咎めるように睨んだが、ドルトンの失望めいたその気持ち、物言いは僕にも良く分かる。剛腕、豪傑と称された、ドルトンをも凌ぐ巨漢にして勇猛果敢な武人。敵国には厳しく、自国民には太陽のように優しい父親のような人が、見るも無惨な姿で横たわっている。

 我々も礼拝堂で任命式をしてもらった時は、お年を召されていたとは言え、まだまだ逞しさもご健在だった。力強い腕や力強い声に、式典のたびに身体の芯から打ち震えたことを昨日のように覚えている。

 その偉大な父が、しばらく見ない間に細く小さく萎んでしまい、今にも命の灯を絶やさんとしている。惨めにも、少しでも生き永らえるようにあらゆる手段を施されながら。

 ネウロは実の父の手を握りながら、優しく語りかける。

「父上。ブレイズたちが来てくれましたよ」

 息子の言葉にも、国王は目立った反応を示さない。ネウロはそれに特別な反応を示すことなく僕らの方を向き、「一言、声をかけてやってくれ」と言った。僕らは言われた通りに、順番に国王へ声をかけた。僕らの言葉にも、国王はみじろぎ一つしない。本当にまだ生きているのかどうかも怪しんでしまう。

 ネウロは僕らの声かけが済むと、再び国王に声をかけ、身体を何度かさすった後、握りしめていた手を放し、控えていたメイドに声をかけた。彼女らは再び、王の世話に戻る。僕らはそれを邪魔しないよう、ベッドのそばから一歩下がった。

 ネウロはきびきびと歩きだし、出入り口にいたフューリィの方へ近付いた。フューリィは待機のポーズを解き、僕らを見た。その顎のしゃくり方を見るに、どうやらまだ解放されないらしい。僕は渋々ネウロの後を追い、アレンやドルトンは一歩遅れて僕の後を追いかけた。

 国王の容態がよろしくないというのは、風の噂で聞いていた。ただ、わざわざ直接見舞わせるために、僕らを連れ回したとも思えない。ネウロは僕らを従えたまま、今は使われていない元王妃の部屋に足を踏み入れた。王妃が亡くなった後は、彼の私的な書斎となっているらしい。

 部屋の中には、巨大な机と世界地図、膨大な資料が所狭しと積み上げられていた。おまけに、部屋の隅には先客がいた。先客は顔を上げ、闖入者の顔を確かめた。僕と視線がかちあうと、明確に嫌そうな表情を浮かべる。

「待たせたな、グレイシア隊長」

 ネウロは彼女に声を掛けながら、上座の席へ座る。その右隣にフューリィが腰掛けた。ネウロは控えていた兵士に指示を出し、机の上に大きな地図を広げさせる。地図の上に、追加の資料も並べさせた。

「ほら、君らも座れ」

 ネウロは空いている席を指差しながら、僕らへ指示を出す。アレンは新たに追加された写真を一枚拾い上げ、それをじっくり眺める。横からそれを見ると、僕も見覚えのある龍が写っていた。

「何も聞かず、このまま帰るという選択肢は?」

 僕の発言に、ネウロより手前にいたグレイシアが顔を上げ、こちらを流麗な目で睨みつけた。その手は、腰の細い剣に添えられている。

「自由はあるが、貴様の安全は補償しない。それでも構わないなら、今すぐ帰れ」

 ネウロの右隣にいるフューリィも、軽い侮蔑を込めた目で僕を見た。

 僕は渋々了承し、「手短に頼む」と手前の椅子を引いた。グレイシアとは距離を置いて、ネウロの向かいに腰掛ける。アレンとドルトンは、僕を挟んで左右の席に座った。

「よかろう。では単刀直入に言おう」

 ネウロは、アレンが手放した写真を、兵士に拾わせた。彼の手元に、さっきの龍が移動する。ネウロはその写真を持ち上げ、僕に見せつける。

「貴様が仕留め損ねた龍だ。貴様が、殺せ」

 ネウロは写真を放り投げた。

「軍に復帰しろとは言わん。だが、やり残したことは完遂しろ」

 ネウロは突き放すように言うが、彼の言い分も良く分かる。僕は結局、自分がなすべきことを最後まで果たせなかった。一時的な撃退は叶ったが、その後も仕留めるには至っていない。

「除隊したブレイズ一人で龍退治なんて、無茶が過ぎるぜ」

 当時も側にいたドルトンが、ネウロに抗議した。向かいに座るアレンが、「だから、オレたちにも声を掛けたんだろ?」と言った。

「この国がどれだけ危機に瀕してるか、わざわざ見せつけながら」

「流石にアレンは、頭がキレるな」

 ネウロはアレンを褒めたが、アレンはさほど嬉しくもなさそうに「そうでもないさ」と漏らした。ネウロは視線を僕に向け直し、ネットリとした口調で「それで、引き受けてもらえるかな?」と言った。

「貴様一人で果たせるとも思っていない。我が国の総力を上げて挑まねば、再戦すら危うかろう」

「つまり?」

「ここにいる全員が貴様の下につく。表向きは、私が隊長となるがね」

 ネウロの台詞に、僕は思わず眉を動かした。次期国王であるネウロとフューリィは、王都防衛軍の指揮官。僕を延々と睨みつけている美貌の麗人、グレイシアは精鋭集団で構築された突撃遊軍を率いている。

 アレンとドルトンがどんな戦い方をするのか、どんな能力を有しているかは、僕は長年、目の当たりにしてきた。僕が少佐の地位につけたのは、彼らがいたからと言っても過言ではない。

 国境警備や国土防衛も鑑みれば、現在考えうる範囲でほぼ最高戦力。そんな一団を僕に任せて龍殺しに旅立つとなれば、国防力の低下は免れない。

「そんな大胆な動きを見せて、大丈夫なのか。次期国王さんよ」

 アレンは僕も抱いた疑問を、ネウロにぶつけた。不遜な態度にフューリィは剣に手をかけ立ち上がりかけるが、ネウロはそれを片手で制した。

「そもそも、今回の相手が相手なだけに、表沙汰にはできん。王宮も王都も、奴との戦いで追った傷はまだ残っている。なあ、ブレイズ?」

 ネウロの舐めるような視線が、僕を真っ直ぐ見つめる。

「下手に不安を煽って、国民を苦しめる訳には行かん。戦力の低下も、他国はもちろん、誰に悟られてもならんしな」

 この国の軍部、街に不穏分子がいるとはとても思えないが、ネウロの家や王政をよく思わない市民がいないとも限らない。他国からの侵攻も防ぎ、足元のクーデターも未然に防止するなら、主力が戦いに出たとは思わせない方が良い。

「表向きは次期国王就任へ向けた外遊、慰安と視察の形を取る」

 ネウロの外遊となれば、ズラズラと地位の低い軍人を連れ歩く訳にも行かない。人数を絞った少数精鋭で向かう必要がある。そこに、多少は戦力として見込める予備役まで終えた元軍人がいるのなら、おあつらえ向きだ。

「引き受けてもらえるかな?」

 ネウロは僕の目を真っ直ぐ見て言った。視線を逸らしたくても、簡単に逃れさせてはくれない。

「断ったら?」

「別に、何も起こりはしない。ただ、緩やかに我が国の国力は衰退し、世界中の戦死者は増えるだろう。それらは全て、貴様の責任だ。逃れようもなくな」

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。