寒暁のノクターナス(仮) 第七話

仮面ライター 長谷川 雄治 寒暁のノクターナス(仮)

「そう言うことでしたら、私の自宅を使いますか?」

 珠緒さんは、開店前の仕込みを大学生っぽいアルバイトに任せ、私にお茶を注いでくれた。私が持ってきた菓子折りを開け、遠慮なく隣で食べているゼロくんを、ニコニコと見守っている。

 彼女は私にもお茶を飲むようにすすめ、肩肘張らない様子で味が違うらしいお菓子の中から、どれを食べようか悩んでいた。

 私は、あまりにも自然な彼女の申し出に、一瞬理解が追いつかなかった。彼女は、迷った挙句、やっぱり最初はプレーンを食べたいようで、個包装を一つ摘み上げた。

「お店の住所で困るなら、私の自宅でカモフラージュになるでしょう?」

 彼女は封を開け、クッキーだか、サブレだかの焼き菓子を一口齧った。口の前に手をかざし、小さな声で「あ、美味しい」と呟いた。

「それって、つまり……」

「ゼロくんのためになるなら、反対する理由はありません」

 彼女は、新しいクッキーに手を伸ばしたゼロくんに、「美味しい?」と目を細めて訊ねた。彼は幼い子どものように、「うん」と答えた。歳の離れた弟を見守る姉、いや、産んでもいない息子を可愛がるような乳母にも思える。私と同年輩に見えるけど、二人の間にどんな関係性があるのだろう。

 つい余計なことも考えてしまうけど、先に目の前の話題を片付けなくては。私は妄想を一時停止して、珠緒さんに次の質問を考えた。

「私が何者かも分からないのに、ホントにいいんですか?」

 珠緒さんはこちらを見ることなく、頷いた。

「誰かがゼロくんと同居する方が大事だから。それにーー」

 彼女は顔を上げ、改めて私の目をジッと見た。頭の上からゆっくり下へ視線を動かす。

「アナタなら、問題も起こらないでしょ」

 彼女は、「ねぇ?」とゼロくんに同意を求めた。彼は何を聞かれているか分かっているのか、いないのか。即座に「うん」と返事をした。彼女の発言の意図や根拠はよく分からなかったけど、目の前の問題が難なく片付いてくれるなら、別にそれで構わない。

「珠緒さんが同居しようとは思わなかったんですか?」

 私はふと思い浮かんだ質問をぶつけてみた。彼女は、「私? 私は、彼の保護者だから」と少し恥ずかしそうに答えた。

「それに、お店との両立が出来ないし。彼の邪魔だけはしたくないから」

 まだ出会って間もない私には、「彼の邪魔」の想像が付かないが、彼女はそれが何か分かっているらしい。ただのお隣さんの枠組みを越えた関係性、相互理解があるようだ。阿久津珠緒の経歴も、暇があったら調べてみよう。

「私の自宅なら自転車で数分の距離ですし、大事なお知らせがあれば、いつでも持ってきますよ」

 珠緒さんは当たり前のように言ってくれたけど、それはめちゃくちゃ助かる。いい人過ぎて逆に不信感を抱きかけるが、それもこれもゼロくんが絡むから。彼と一緒でなければ、今日の面会、ご挨拶も実現しなかっただろう。

 これで、同居の件と、郵便物の心配は解消できた。今のアパートを引き払って、ゼロくんと同居、同棲する手筈は整った。

 ゼロくんと楽しそうに遊んでいた珠緒さんは、「ただ」と一瞬手を止め、私の顔を見た。

「ゼロくんの邪魔にならないこと。彼のルール、ルーティンを守ること。それと、私以外に生活を悟られないこと。この三つを守れなければ、すぐに出て行ってもらいます」

 キリッとした顔つきでも、珠緒さんはとても可愛らしかった。迫力がなかったとは言わないけど、つい見惚れて、中身はほとんど分からなかった。最後の、「生活を悟られない」はなんとなく想像がつくけど、他の二つはちゃんと聞いても分からなかったと思う。

「話、終わった?」

 全フレーバーを一通り味わったゼロくんは、珠緒さんが入れてくれたお茶も飲み干して、席を立とうとする。珠緒さんはそれを見て、「ちょっと待って」と彼を再び座らせた。入れ替わりに立ち上がった彼女は、厨房の奥へ姿を消した。

 しばらく待っていると、大きな紙袋を提げて戻ってきた。彼女はそれを、立ち上がったゼロくんに手渡し、私に向かって深々と頭を下げる。

「あとは、よろしくお願いします」

 よろしくと言われても、身の回りの面倒を見るために同居する訳ではない。私はどうしたものかと、頬を指でポリポリと掻いていたが、あまりにも深く頭を下げ続けるものだから、「不束者ですが、こちらこそよろしくお願いします」と調子を合わせてしまった。

 相手が頭を上げるのに合わせ、こちらもゆっくり身体を起こすと、ゼロくんはもう、お店の出入り口に立っていた。こちらに「早く、早く」と手招きしている。本当に十八かと疑うレベルで、無邪気にはしゃいでいる。

 私は「では、また」と珠緒さんに挨拶すると、彼女も頭を下げて挨拶してくれた。ゼロくんの元へ駆け寄ると、彼女は既に開店準備に取り掛かっていた。

 私は先を行くゼロくんに、彼女はどんな人で、どういう関係なのか訊ねてみた。彼は質問の意図が分からないといった表情で、首を傾げる。

「珠緒さんは、珠緒さんだよ。オレの大事な人」

 大事な人というフレーズに、少々ドキッとするが、そこに他意はなさそうだ。そもそも、折角の顔と声、おまけに高身長なのに、そういう気配は微塵もない。ないからこそ、思い切った同居、同棲に踏み切れるのだけど、あまりにも淡白なのは心配にもなる。

 私が彼の顔をジッと見ていると、彼は「何?」と身を寄せた。無自覚かどうか分からないガバガバの距離感に、唐突なイケボは心臓に悪い。やっぱり、同居はやめておこうかしら。

 見栄えは良くても、図体の立派なガキだと思って接しよう。その上で、些細な飯の種でも拾ってやる。私は強い覚悟で、「なんでもない」と答え、彼の部屋へ戻った。

 もう夕方と言っても差し支えない時間帯だけど、室内と共用部の灯りは点けない。近くに人のいる気配があれば、どれだけ寒くても暑くても、空調も点けない。室外機でバレるから。外から見えない場所で、光が絶対に漏れなければ照明を点けてもいいけど、必要最小限。

 その他に伝えられたルールとしては、ゼロくんの眠りは絶対に妨げないこと。どんな長時間睡眠でも、どんな時間帯であっても、彼の意志で目覚めない限りは邪魔をしない。

 それ以外にも、不用意に部屋のものに触らないとか、彼や彼の仕事に関して家の中で詮索しすぎないことなど、様々あるようだったけど、とりあえずそこまでにしてもらった。後は、都度都度教えて貰えばいい。

 私は早速、リビングの掃除を軽く手伝い、珠緒さんから受け取った紙袋の中身を、テーブルの上に並べられるようにしてあげた。袋から出てきたのは、彼女がお店で仕込んでいた食事の数々。大きめのタッパーで、冷蔵庫で何日持つかも書いてある。

 彼の保護者と言うのは、こういうところからも来ているようだ。彼にとって重要な、社会生活の窓口であると共に、食事を支える存在にもなっている。

 でも、初めて会った時、彼は夜中にジャンクフードを購入していた。私はおまけに、シェイクなどという餌付けもしてしまった。もしかして、珠緒さん的にはイケナイことだったりするのだろうか。その辺りの事情、情報共有も後日済ませておかねば。

 生活力があるのかどうか分からない年下の男の子と同居するなんて、初めての経験だ。私自身、そんなに生活力がある方ではないし、誰かと一つ屋根の下で暮らすなんて、実家を出て以来なかったかも。たまに泊まりに来る友達は居てたけど、鍋パやタコパがせいぜいで、手料理を振る舞うようなことはほとんどなかった。

 アパートの荷物はほとんど処分するつもりでいたけど、買うだけ買ってほとんど活躍しなかった料理本、レシピ集は取り置いておこう。珠緒さんの料理を一人でパクパクと食べ始めたゼロくんを前にして、今度こそしっかり生きるぞと心を改めた。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。