寒暁のノクターナス(仮) 第十三話

仮面ライター 長谷川 雄治 寒暁のノクターナス(仮)

 二、三日は家を空けるとゼロくんから伝えられていた私は、灯りと温もりのある珠緒さんの部屋へ上がり込んでいた。

 窓から差し込む月明かりと小さなキャンドルで過ごす生活にも大分慣れたけど、普通に電灯を点け、生活音を過剰に気にかけることなく暖房器具や文明の利器を扱えるのは、非常にありがたい。

 人間らしい生活と引き換えに、ゼロくんからは経済的な恩恵も受けてはいる。それはそれでありがたいけど、もう少しお金が溜まったら、別の部屋を借りようか。

 私は背中を丸め、炬燵の中で暖をとりながら、先々のことを妄想していた。後ろでは、家主の珠緒さんがせっせと家事に勤しんでいる。少しぐらい手伝わねばと思いながら、カニと一緒に送られてきた蜜柑を手に取った。中々自分では買わないそれを、久々に手の中で揉んでみる。

 洗濯物を干し終えた珠緒さんは、洗濯カゴから三面鏡と化粧ポーチに持ち替えて、炬燵へやって来た。私の向かいに潜り込む。彼女は三面鏡を拡げ、邪魔な髪を頭の後ろで一つに束ねた。

「さっきから、何を悩んでるの?」

 珠緒さんは、自分の作業に取り掛かりながらも、横目で私の様子を伺っている。私は蜜柑を見つめながら、「大したことじゃないんですけどね」と答えた。

「次の部屋、どうしようかなぁって」

「悩むだけの選択肢があるなんて、素敵じゃない」

 珠緒さんは、明るい調子で楽しそうに言った。本当に部屋探しで悩んでいるなら、彼女のように明るく悩むのだけど、悩みどころはそこではない。彼女が前にいるからこそ話題にしにくいが、相談するなら彼女しかいないのも悩みどころな訳で……。

 私は順調に顔を作っていく珠緒さんを眺めながら、切り出し方と言葉の組み立てを考える。気持ちもしっかり作って、えいやと話題を振ってみる。

「ゼロくんって、あの部屋じゃないとダメなのかな?」

「どういうこと?」

「だから、あそこを出て違う部屋で暮らすとか」

「それは、アナタと一緒にってこと?」

 珠緒さんは表情一つ動かさず、淡々と作業を続ける。時々こちらに向けられる眼光は、普段より若干強い気はする。私が頷くと、彼女は一旦手を止めて私を見た。

「今は難しいんじゃない? 仕事が仕事だし」

 私は彼女の言葉を元に、想像を膨らませた。今の部屋よりは人目につきやすい場所で、今と変わらぬ仕事を終えた彼を出迎えるのは、確かに厳しい印象はある。

「だったらーー」

「それも難しいかな。あの子が生きられる世界は、限られてるから」

 珠緒さんは私が言い切る前に、話に割り込んだ。ニコニコと笑みを浮かべながら、メイクに戻った。

「自分の物差しで、決めつけないで。別にあの子は、不幸じゃない」

「でも、それは」

「知ったから、何? 今更、普通の暮らしなんて出来ないじゃない」

 珠緒さんの物言いこそ、決め付けではないのだろうか。ただ、彼女と彼との付き合いを考慮すると、それを否定するだけの材料が私にはない。

「それとも、アナタになら出来るとでも?」

 仕事用のメイクを終えた珠緒さんは、三面鏡で仕上がりを確かめてからこちらを見た。

「とても、そんな風には見えないけどね」

 社会的にも経済的にも上に立たれている彼女にそこまで言われてしまうと、私には立つ瀬がない。

「でも、私は彼じゃないし、彼がどう思うかも分かんないけどね」

 珠緒さんは、私に柔らかく微笑んだ。束ねていた髪を解きながら、「やりたいようにやってみて」と言い添える。

「ただし、二人で決めたら最後までやり通すこと。私も出来る範囲でサポートはするけど、責任は持たないから」

 珠緒さんは目を細めながらも、ビシッとした口調で言い切った。彼女は三面鏡と化粧ポーチを引っ掴むと、炬燵から出て寝室へ引っ込んだ。私は目の前にあった彼女の真剣な眼差しを引きずりながら、「責任か……」とボヤいて蜜柑を剥いた。炬燵の熱にボーッとしながら、半ば機械的に白い筋を取り、小さな房に分けて口に運んだ。見極めが甘かったらしく、大分酸味の強い蜜柑だった。

 私が想定外の酸っぱさに衝撃を受けていると、呼び鈴が鳴った。私は家主がいる寝室に視線をやったが、珠緒さんは「ごめ〜ん。代わりに出てくれる?」と大きな声で叫んだ。

 私は慌てて炬燵を抜け、玄関へ向かった。僅かに開いていた寝室のドアから中を覗くと、珠緒さんは部屋着から仕事用の服へ着替えている最中だった。私はこっそり足でドアを閉め、繰り返し押される呼び鈴に、「今、出ますよ」と返事をしながら扉を開ける。

「アレ、なんでアンタが?」

 ドアの向こうには、犬上さんが立っていた。彼は急いでここまで来たらしく、息を弾ませている。彼は、ドア横の呼び鈴辺りへ視線をやった。

「珠緒さん家で合ってますよ」

 私が彼の疑問に答えると、彼は安心した様子で「ああ、そう」と言った。言葉にはしないが、「で、なんでアンタが?」と心の中で繰り返しているのがよく分かった。

「友達なんです。最近、よく遊びに来るんですよ」

 私が答えに窮していると、着替えを終えた珠緒さんが後ろから助け舟を出してくれた。珠緒さんの顔を見た犬上さんは、安堵の表情を浮かべている。

「私にご用ですよね。もうすぐ出勤なんで、お話はお店でも良いですか?」

 珠緒さんの提案に、犬上さんは「ああ、そうだな。そうしてもらおう」と頷いた。

「じゃあ、出かける支度を済ませるので、ちょっと待っててもらっても良いですか?」

「ああ、もちろん」

 珠緒さんは、「一度閉めますね」と犬上さんの同意を待たずに扉を閉めた。彼女は私の方を見ると「アナタも、帰る準備して」と言った。今からだと、私の出社には少し早い。私がぐずぐずしていると、彼女は戸締まりにかかりながら、「ほら、早く」と私を急かした。

 私は仕方なく、帰る支度に取り掛かった。食べかけの蜜柑はラップとティッシュで上手く包んで、カバンに放り込み、忘れ物がないかを確かめてコートを羽織った。珠緒さんの方がやることも多かっただろうに、彼女の方が先に靴を履いて外へ出ている。玄関先で、犬上さんと何やら話す声まで聞こえてくる。

 私は自分の靴を履き、二人の邪魔をしないように外へ出た。私が外へ出ると、珠緒さんはしっかり鍵を掛けた。

「じゃ、行きましょうか」

 珠緒さんの号令で、犬上さんと私は彼女の後について歩き始めた。別に私までキツネ亭へ向かわなくても良いのに、何故か別行動は憚られた。少しでも離れようとすると、珠緒さんの優しくも鋭い目が、私を捕らえて離さない。仕事にもまだ早いし、私は大人しく付き合うことにした。

「アンタが、あの小僧と?」

 開店準備中の札がかかったままの店内で、何故か犬上さんと斜向かいの席に座らされた。私をそこへ誘導した張本人は、来客用のお茶を用意するべく厨房に入っている。

 道中で犬上さんにどう説明したのか知らないが、彼は既に私とゼロくんの関係を聞かされたらしい。私は犬上さんの言葉に、ただただ頷くことしか出来なかった。

「へ〜。そいつは意外だな」

 犬上さんと編集長の仲を思うと、リアクションすら気を使う。この間の目撃談も、実際はどうだったか、私には分からない。

 三人分のお茶を入れた珠緒さんは、お盆に乗せて戻ってきた。犬上さんと私、それから自分のお茶をテーブルに置くと、彼女はお盆を脇に寄せ、犬上さんの向かいに座った。

 犬上さんと珠緒さんの話によると、変死体にはやはり「野久保」という人が関わっているらしく、どういう経緯かは全く分からないけど、そこにゼロくんたち、ノクターナスの仲間も関係しているらしい。

 犬上さんに直接コンタクトしてきたゼロくんのお兄さんと連絡を取りたいらしいが、糸口が掴めずに、珠緒さんのところへ辿り着いたらしい。

 ゼロくんのお兄さんといえば、随分前に上の部屋にも来た。私がゼロくんと暮らしていると知った彼は、珠緒さんを訪ねて来たはずなのに、私の方を見る。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。