奈落の擬死者たち(仮) 第十五話

仮面ライター 長谷川 雄治 奈落の擬死者たち(仮)

 ついさっきまでいた対岸を、少し高いところから見下ろしている。間を流れる川は、両岸から降り注ぐ都会の夜景を映し出していた。

 本当なら今頃、緊張感で肌がひりつくような環境の中、一瞬たりとも気が抜けない交渉に臨んでいるはずだが、なぜか土地柄に相応しいレトロで小洒落た川沿いのカフェで、目が覚めるような寒さを感じながら、川の向こうを眺めている。

 交渉相手の小僧は随分と楽しそうな表情で、グラスとオレの財布を手に、こちらへ戻ってきた。彼は財布とレシートをオレに差し出す。小さなグラスなのに、それなりにいい値段のするクラフトビールを注文していた。

 彼はオレのグラスに乾杯すると、それを旨そうに飲んだ。自分が金を出さない高いビールは、極上に決まっている。彼はオレに礼を述べ、次の話題に移った。

「蜂も蟻も、下っ端じゃダメだね。やっぱり、女王じゃないと」

 アルコール類の注文時に年齢確認を求められそうな少年の言葉がピンと来ず、オレは思わず、「女王?」と聞き返した。彼はオレに頷き、もう一度グラスに手を伸ばした。

「選ばれた存在と、何の価値もないその他大勢と。兵隊にするなら強い方がいいのに、変なところでケチるからなぁ……」

「王様だらけのチームで、お前がテッペンに立つ保証もないぞ」

「それ、本気で言ってる?」

 少年は、真っ直ぐオレの目を見る。醸し出す雰囲気こそおちゃらけているが、眼光は決して緩くない。オレはその目を真っ直ぐ見つめ返した。少年はすぐに破顔して、「冗談だよ、冗談」と目を細めて言った。目の奥は、相変わらず真剣そのものに思える。

「それで、話って? 金の返還と、身内への不干渉だっけ」

「それと、仕事の辞退、もしくは中断だ」

 彼は残りが少なくなってきたビールで、惜しみなく喉を潤した。空になったグラスを弄びながら、「最初の二つは承諾しよう。問題ない」と言った。

「最後の件も、問題ないだろう? 金はそっくりそのまま返したんだ」

 ビタ一文減っていないことは、先ほど本人に確かめてもらった。金を返して、口約束を白紙に戻す。どこかに問題があるとは思えない。

「話の続きをしたいのは山々だけど……」

 彼は空のグラスを、オレに見せつけるように持ち上げた。オレが注文したメジャーブランドのビールはまだまだ残っているのに、彼は遠慮という言葉を知らないらしい。オレが渋々財布を差し出すと、彼は表情を明るくさせ、喜び勇んで次のビールを選びに行った。彼はまた、安くはない銘柄を選択し、その結果をグラスとレシートで教えてくれた。

「そんな歳で、クラフトビールなんて分かるのかよ」

 彼はグラスを口につけると、一息で半分ほど飲んでしまった。それなりに値段のする液体を、随分と大きな一口で消費してしまうとは。彼は、「年齢は関係ないでしょ」とケラケラ笑った。

「オレには味も関係ないけどね。でもーー」

 彼はグラスを目の高さに持ち上げ、中の液体を見つめる。

「ーーここには夢が詰まってる。作り手の夢が。オレはそう言うのが大好きでね」

 彼はグラスを卓へ戻し、笑顔で視線をこちらへ向けた。

「オレも、アンタたちも、誰かの夢の結晶だ。最高だろ、そういうの」

「押し付けられた側には、永遠に覚めることのない悪夢かもしれんがな」

 唐突に夢だの何だの、尻の青い話をし始めた小僧に、意地の悪い切り返しを叩き込む。彼は如実に顔を歪め、不機嫌そうな表情を浮かべる。

「お前の言う蜂とか蟻にも、細やかな幸せという素朴な夢があったかもしれない。下っ端らしい、小さな夢がな」

「取るに足らない個人の小さな夢なんて、どうだっていいでしょ。大勢が夢見る巨大な夢や、選ばれた人間が抱く強い夢、野望の方が重要だ。小さな夢に、価値も興味もない」

 彼は力強い目でオレを見る。やり取りをすればするだけ、だんだん腹が立ってくる。尻が青い理想論を掲げるだけなら可愛げもあったが、自分に都合よく屁理屈を掲げているのは気に食わない。

 交渉の中身なんて、どうだっていい。交渉以前の問題で、噛み合うとは思えない。

「直接交渉したくて来たんじゃなかったっけ。そんなに苛立ってて、大丈夫?」

 生意気な小僧に見透かされるとは。オレも、そろそろ引退して、マトモな仕事に就いた方がいいかもしれない。その前に、目の前のコイツと背後に控える計画は叩き潰さねば。

「お前は随分、余裕なんだな。アジトもバレて、計画も潰されかねないのに」

「オレの方が若いし、オレの方がオジさんより強いしね」

 彼は鼻で笑った。製造年月で言えば、大して変わらない。キカイとしての古さは横並びのはずだが、肉体年齢から来る性能低下は確かにある。それを補ってあまりある経験も染み付いていると自負しているが、そこにも明確な差はないのだろう。

「それに、オレはただの神輿。総意で動いているに過ぎない。オレを潰しても、代わりの神輿が用意されるだけさ」

「そう思ってるのは、お前だけかもな」

 誰かに担がれても、本人にその気がなければ神輿は成立しない。コイツは認めないだろうが、本人の意思と能力も関与している。とどのつまり、コイツの代わりが見つからなければ、一連の動きは霧散する。つまり、コイツを潰すだけの意味はある。

 だが、今すぐこの場でという訳にも行かない。周りには、小洒落た空間と美味い料理、酒を楽しむ人たちがいる。仮に上手く避難させられたとしても、コイツの口ぶりからするに、縞田や久木薗の時みたいな戦いでは済まないだろう。こちらも本腰を据えて挑まねばなるまい。

「で、どうする?」

 彼は二杯目も飲み干すと、空のグラスを掲げながら言った。

「オレはお前が気に食わない。お前らの依頼は受けられん」

「そいつは困るな。アンタクラスの人材は、ウチにもいない」

 彼の狼狽え方からするに、どうやら本音のようだ。弟を筆頭とする人材へのスカウト、リクルーティングは上手く行っていないのか。蜂だの蟻だの、下っ端などと呼称していたが、雑兵だろうといないよりはマシだったのでは? 力尽くでオレを引き込むために、頭数を減らしたのは悪手だったに違いない。

「オレを高く買っているようだが、有望なツテはオレにもない。オレを頼られたところで、できることは何もない」

 彼らが反攻を企んでいる相手、「街」はオレも繋がりは強くない上に、関係も良好とは言い難い。おまけに、この数日間でお互いの印象は悪化している。パイプ役に等しい牧とも疎遠な上に、身元引き受けの刑部さんとも、可能なら顔を合わせたくない。彼らの期待に添えるような動きは、恐らく取れまい。

「じゃあ、こう言うのはどうだろう?」

 彼は深々と背もたれに身体を預けていた体勢から、前のめりの体勢に座り直した。

「アンタは、ロジャーが隠した金を見つけてくれるだけでいい。野久保の件は忘れてくれて構わない」

「お宝探しは管轄外だ。オマワリにでも頼むんだな」

 オレは、グラスに残っていたビールを飲み干した。席を立とうとすると、「野久保の行方が不明でも構わないのか?」と言った。

「あの日野久保は何をして、何をしなかったのか。何故ロジャーと関わって、どこへ消えたのか。ロジャーの金を探すついでに見えてくるとしても、興味はない、と?」

 目の前の小僧がどこまで真相を掴んでいるのか、全く読み切れない。完全にハッタリという線もあるが、野久保に繋がるとなれば、興味が全くないとは言い切れない。アイツがキッカケで始まったような事件、文句の一つや二つ、ぶつけてやらねば気が済まない。

「ついでに、アンタの『買い取り』に必要な額を出す。見つけた金から、成功報酬で。どうだ、悪くないだろう?」

 いい加減に、「死んだふり」を貫くのも飽きてきた。五体満足なうちに、穴蔵から地上へ移って、マトモな暮らしを取り戻したい。これを最後に、引退するのも悪くはない。

 ただ、仕事を受ける前から、余計な持ち出しが発生している。今後も支援は細いままだろうに、完全な成功報酬とはいただけない。

「手付金は請求させてもらうぞ」

 オレがそう言うと、彼は鼻で笑って、「お好きなように」と言った。オレは、幾ら請求するか改めて考えを整理するために、空のグラスを持って立ち上がった。小僧のグラスも手に取り、「お前は何にする?」と注文を訊いた。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。