寒暁のノクターナス(仮) 第十七話

仮面ライター 長谷川 雄治 寒暁のノクターナス(仮)

 自宅へ戻ると、睡眠第一のゼロくんにしては珍しく、「腹が減った」とリビングに出てきていた。私は冷蔵庫にあった有り合わせの食材を適当に組み合わせ、野菜炒め以上の名前が分からないものを作って出した。

 彼は彼で、野菜炒めの出来上がりに合わせ、パックごはんをレンジで温めていた。珠緒さんの料理か、身体に悪そうなジャンクフードしか食べていなさそうな彼の食生活は、私が一緒に暮らすことによってかなり変わってきたらしい。しばらく飲まず食わずでも生きていけるそうだが、彼が生きていく上での喜びや楽しみの一つになっているようなら、何よりだ。

 彼は自分で食卓へ配膳し、行儀良く夜食を頬張る。私はそれを見ながら、酔い覚ましの冷たいお水と、迎え酒のウイスキーを飲んでいた。庇護欲だの、母性だのとは無縁な人間だと思っていたけど、私が作ったご飯で年下の男の子が嬉しそうにしているのは、何となくくすぐったい。自然にニヤける顔を誤魔化すように、私は慌ててウイスキーのグラスを口元に運んだ。

 産んだ覚えのない長男とか、歳の離れた弟でもいればこんな感じなんだろうか。そういう経験がない私には、良く分からない。私がボーッと彼を眺めていると、彼はあっという間に平らげ、「ご馳走様でした」と両手を合わせていた。彼は私のグラスを引っ掴み、中の水をガブガブ飲んだ。私が、「あっ」と声を上げる前に、彼は食べ終えた皿と空になったグラスを持って流しへ向かった。皿は水に浸け、グラスには新しい水を注いだ。

 水を補充したグラスを持って戻ってくると、「結構飲んだんじゃないの?」と私の顔を見て言った。私は頷いた。

「お高いお店で、ボスの奢りだったから」

「お高いお店? ああ、オジさんのところの」

 二十歳未満のクセに、夜のお店にも詳しいらしい。彼や彼らにとっては、この街は庭も同然なのだろう。あるいは同業他社、対抗勢力になりうる相手の周辺事情には特別詳しい可能性もある。

「頼まれごとの件もあるから、時間をズラして何度か報告に行ったんだけど、結局不在だったんだよね」

 私がそう言うと、食器を洗い終えたゼロくんは手をタオルで拭いながら、「ああ、それは無理だろうね」と言った。私は思わず首を傾げる。

「オジさんはしばらく、『こっち』には居ないから」

 ゼロくんの補足らしい説明に、ますます脳内の「?」が増殖する。

「今朝『あっち』に連行されたから、二、三日は『向こう』じゃないかな?」

 ゼロくんが何故犬上さんの動向を把握しているのかも訊きたいけれど、犬上さんが連行された事情も気になるし、それ以上に「あっち」とか「向こう」が何を意味するかも気になって、話が全然入ってこない。

 絡まりまくった話を解すべく、聞きやすいところから手を付ける。

「犬上さん、捕まったの?」

「らしいよ。相手が相手だし、警察沙汰ではなさそうだけど」

 ゼロくんが使った「相手が相手」という表現も気になるけど、取り敢えず何らかの犯罪でしょっ引かれた訳ではなさそうだ。もしかしなくても、犬上さんもゼロくんみたいな人だったりするのだろうか。そうすると、仲が良さそうな編集長やバーのマスターも、同類だったりする?

 先日明らかになった風祭先輩の本性、裏の顔を受け止めるだけでも精一杯なのに、編集長までややこしい可能性があるとか、私の処理能力では対処できそうにない。

「『あっち』とか『向こう』って言うのは?」

「あれ、知らない? オレたちの製造元というか、影の支配者というか」

 彼の方が目を丸くして言った。「そっか、お姉さん『こっち』の人だった」と呟いた。

「オレとか珠緒さん、あのボスと一緒にいるから知ってると思ってた。ゴメン、ゴメン」

 彼の口ぶりからすると、やはり編集長もクロのようだ。そちらの住人故に知り得ること、独自のパイプを使って仕事をこなせているという意味では、私や風祭先輩と大して変わらない。つまり私も、「闇の住人」に片足突っ込んでるってことだ。ここで彼と暮らすと決めた時から分かっているつもりだったけど、全然理解が及んでいなかった。

 ゼロくんやお兄さんに改造手術を施した研究所を有する秘密結社で、ノクターナスや編集長、犬上さんらを使った治安維持部隊も持っていた組織。影響力の差はあっても、巨大な勢力であることは間違いない。

 元関係者とはいえ、そんなところへ何故犬上さんが? 品行方正なマトモな社会人とは思えないけど、巨大な秘密結社に身柄を拘束されるような極悪人にも思えない。

 私が考え込んでいると、ゼロくんは珍しいものを見るような表情でこちらを見る。

「そんなに気になるなら、オタクのボスに聞いてみなよ」

「編集長に? なんで?」

 私の質問に、ゼロくんは欠伸で答えた。彼は眠そうに目を擦りながら、「それなりに事情通なんでしょ? オジさんのことも、オレより詳しいさ」と言った。最後の方は、欠伸に飲み込まれて、よく聞こえなかった。

 私に背中を向け、その場を立ち去ろうとした彼に、私は「歯を磨いてから、寝ること」と小言を言った。彼はこちらへ面倒臭そうな顔を見せながら、渋々といった様子で「へい」とも「はい」ともつかない返事をした。

 彼はただの飯の種、貴重なネタ元であって、それ以上でも、それ以下でもない。彼がいつどこで何をして、どんなサイクルで生活しているかも自由でいいはずなのに、つい世話を焼いてしまう。私にそんな甲斐性や、世話焼きな一面があるとは思わなかった。

 彼は私に言われた通り、洗面所へ歯を磨きに行ったようだ。向こうの方で水道を使う音が聞こえてくる。私が来るまで使われた痕跡のなかった洗面所も、お風呂場も、今はとても綺麗になっている。彼が定めたルールに則った生活を守りながら、人間らしい暮らしを彼に刷り込みつつもある。

 このまま「普通の暮らし」を強いたとしても、彼の睡眠への欲求はそんなに変わらないだろうけど、私が無意識にそれを押し付けているのなら、そろそろ自粛しなくては。今更「普通」にはなれないだろうし、普通になられたら、私がココにいる意味もなくなる。彼には出来るだけ彼らしく、今まで通りを貫けるようにしてあげよう。私の庇護欲、母性も程々にしなくては。

 ボーッとしたままウイスキーのグラスを口に当てると、中には氷の溶け残りも入っていなかった。どうやら、飲み過ぎたらしい。ゼロくんもとうの昔に歯磨きを終え、もう寝床に就いている頃だろう。

 私は空のグラスを流しで静かに洗い、他人に言った手前、私も歯を磨きに洗面所へ行った。鏡には、メイクが残ったままの私が映っていた。シャワーは明日でも構わないけど、メイクはしっかり落としておかねば。

 私は歯を磨く前に化粧を落としにかかった。大分頭がぼんやりするけど、歯を磨き終えてベッドへ入るまで、翌朝のアラームをセットするまでは、シャンとするぞ。瞼はだんだん落ちてくるけど、睡魔には負けないぞーー。

「で、風邪ひいたと?」

 電話口の向こうで、呆れ顔をしていそうな編集長の声が聞こえて来た。私は洟をすすりながら、「すみませんが、そういうことで」と答えた。

「高熱が出てるなら仕方ない。ゆっくり休め」

 編集長はサッと電話を切った。私はケータイを枕元へ置き、布団の中へ戻った。彼は呆れていたが、私も驚いている。いつの間にか洗面所で寝落ちしたら、酔っ払っていた時以上に頭がボーッとして、高熱が出るなんて思いもしなかった。

 出社したら編集長を捕まえて、ゼロくんに言われた通りに質問するつもりだったのに、とてもそんな元気はない。今日は丸一日、大人しく寝ていよう。隣で寝ていたはずのゼロくんが珠緒さんを呼んでくれたし、彼女に必要な物は揃えてもらったし……。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。