壊乱(仮) 第十七話

 宿内の浴場で湯浴みを終え、旅の疲れと汚れをすっかり落とした状態で、ロビーの脇にある食堂の一角で、ドルトンとネウロを待っていた。隣のアレンも、「どいつもこいつも、いつまで待たせるんだ。全く」と椅子の上で悪態をついていた。

「ネウロはともかく、風呂も入らず出て行ったアイツはいい加減、戻ってきても良い頃だろ?」

 彼は同意を求めるように僕を見た。個人的には、「会議がある」と部屋から出てこないネウロやフューリィにも同様の感想を抱いているが、とりあえず頷くことにした。「風呂より飯だ」と僕らより一足先に店を探しに行ったドルトンは、「店を決めたら戻る」とも言っていた。余程入念に探しているのか、それとも迷ってしまったのか。まぁ、待っていれば、そのうち戻ってくるだろう。

 僕の同意にも納得が行かないのか、アレンは募らせたイライラを僕にぶつける。

「お前の姉ちゃんも、どうなってんだ?」

 アレンの口から、グレイシアへの文句が飛び出すとは思わなかった。彼女は部屋が決まると、それっきり単独行動を貫いている。それについて、誰かが注文をつけるようなこともない。階級としては大佐のはずだが、相応の人望があるのかないのか、我が姉ながら、よく分からなかった。

 アレンの愚痴を適当にやり過ごしていると、ようやくドルトンが戻ってきた。いつの間にか雨が降り始めたらしく、彼は少々濡れていた。宿の係員から未使用のタオルを受け取ると、それで豪快に頭を拭う。

「迷った上に雨だもんな。いやぁ、参った、参った」

「日没後の初めての街で、よくやるよ」

 僕が突っ込むと、彼は「全くだ」と他人事のように笑った。

「たかが飯屋に、時間かけ過ぎなんだよ」

「そいつは違うぞ、愛書家くん。長期の遠征に、良質な睡眠と食事は重要だ。戦うためとなれば尚更な」

 ドルトンにしては珍しく、声量を抑えて諭すように言った。普段は即座に突っぱねるアレンも、今回は二の句を継げなかった。

「地元客も大勢いたし、ぼったくりが無いことも確認済みだ」

 ネウロという無限に近い財布と同行しているとは言え、財布に優しいのはありがたい。ただ食い意地が張っているだけとも言えるが、行く先々で寝床と食事をしっかり調達できる彼の才能には、今後も地味に助けられるかもしれない。

「おお。カーペンターも戻ったか」

 資料を手にしたネウロは、フューリィを伴ってドルトンの後ろに立っていた。

「会議ってのが終わったなら、さっさと行こうぜ」

「気持ちは分かるが、もう少し付き合ってもらおう」

 逸るドルトンを宥めながら、ネウロは広いテーブルへ僕らを誘った。彼は僕らを座らせると、手元の資料、地図を広げた。

「単刀直入に言うが、私とフューリィ、それから馬車は明朝から別ルートでマール・ドゥへ向かう。理由としては非常に単純で、馬車に適した道が寸断していて回り道する他ないからだ」

 彼は口頭で説明しながら、山の中を通るルートを手近な調味料の瓶で塞ぐと、海岸沿いに出るルートを指で辿った。南に突き出た半島は西側が微かな弧を描いており、海へ出てマール・ドゥへ向かうとなると、外側へ余計な膨らみが発生してしまう。

「我々二名と御者のみであれば、馬車を飛ばすことも出来る」

「つまり、オレらは楽をするけど、お前らは急峻な道を歩いて来い、と?」

 さっきから機嫌が悪かったアレンは、ネウロの説明を随分悪し様に要約した。ネウロは苦笑いを浮かべ、「楽をするつもりも、苦労を押し付けるつもりもないが、端的に言えばそうなるな」と言った。

「ただ、馬車を引いて遠回りする余裕はない。荷物を置いて行くか、時間を掛けるか。その二択をするぐらいなら、マシな策だと思うが」

「もっともらしい理屈を捏ねて、ただ山道を歩きたくないだけだったりしてな」

 ネウロの回答に、ドルトンも意地悪くツッコむ。食事を後回しにされて、ゴキゲン斜めなのだろう。その様子に、アレンは「良くやった」と言わんばかりの表情でドルトンに視線を送り、二人は静かに笑い合った。ネウロの隣でやりとりを眺めているフューリィは、今にも怒鳴りそうな雰囲気を醸している。

「真相はどうあれ、コレは相談ではなく、決定なんだろう? それなら、従うだけさ」

 僕の回答に、アレンやドルトンは不満タラタラらしい。

「意見しても揺らがないなら、さっさと終わらせて飯に行こう」

 「飯」の一言に、ドルトンは不満そうな顔をパァッと明るくさせた。

「そいつはそうだな。明日の不満より、今夜の飯だ」

「食い意地の張ってるバカは単純でいいな。ただ、コイツらに不満をぶつけても、ハイキングは確定だろうしな。仕方ないか」

 アレンは不承不承ながら、ネウロらの決定を受け入れた。この場に居ないグレイシアは口を挟む余地もなく、僕らのハイキングに付き合うことが決まってしまった。それに比べれば、不満を述べられただけマシなのだろう。

「そうと決まれば、諸君らに必要な物資はこちらで見繕って取り分けておく」

 ネウロはテーブルに広げた地図を畳み、それを僕に押し付けた。フューリィは、彼の片付けを手伝っている。

「じゃあ、食事は?」

「それは諸君らで楽しんでくれ」

 ネウロはフューリィに片付けが完了したか確かめると、彼を率いて自分たちの部屋へ引き上げて行った。

「それならそうと、さっさと言えっての」

 ドルトンは、使い終えたタオルを係員に差し出した。きちんと礼を述べ、ついでに傘が借りられないか、やり取りしている。アレンと僕は宿の玄関で、外の様子、雨の振り方を確かめていた。そこまで強い雨ではないが、濡れても構わないと思えるような雨足でもない。

 ドルトンは、別の係員を引き連れてやって来た。青年は人数分の傘を腕にかけ、ドルトンの後ろに控えている。

「店の名前を伝えたら、道案内もしてくれるって言うからよ」

「え? 場所を覚えてないのか」

 アレンは青年から傘を受け取りながら、驚きの声を上げた。

「ぼんやりとは覚えてるけどよ。行きと帰りで迷ってるからな」

「宿の方から案内してくれるって言うなら、素直に甘えようよ」

 僕も傘を受け取りながら、青年に「何から、何まですみません」と言うと、彼は「お客様のためですから」とにこやかに答えた。僕なら、つい「仕事だから」と答えそうなところだが、流石に手慣れている。

 全員に傘が行き渡ると、青年は一足先に外へ出た。ドルトンがその後ろをついて行く。僕とアレンは、傘がぶつからない程度に距離を取り、彼らの後を追いかけた。

 青年の案内に従って、見慣れぬ街を練り歩く。ドルトンが見つけた店は、街外れの路地裏にあった。青年の誘導に任せてしまって、どこでどう曲ったか、良く覚えていない。店へ辿り着く頃には、雨はすっかり止んでいて、僕らは店の前で青年に傘を返した。彼は僕らに深くお辞儀をすると、器用に来た道を戻って行った。

「帰りも案内が必要だったかもな」

 道に迷ったドルトンを嘲っていたはずのアレンが、ボソッとつぶやいた。

「でも、ズーッと付き合ってもらう訳にもいかないでしょ。仕事があるだろうし」

「彼には刺激が強そうな店っぽいしな」

 アレンは店の看板や佇まいを見て、ポロッと零した。確かにこの佇まいでは、表通りや街のど真ん中には構えられまい。本当にぼったくられないのか、ドルトンから聞いた前情報が全て怪しく思えてくる。

「おい、どういうことだ?」

 僕の疑問を先回りして、アレンがドルトンにぶつけてくれた。ドルトンは頭をかきながら、「旅先でこそ、こういう楽しみがさ」と取り繕う。その考えも、分からなくはない。

「ま、とりあえず入ろうぜ」

 ドルトンは扉に手をかけようとするが、向こうから開けられた。扉の奥には、髭面で長髪の中年男性が立っていた。

「アレ? さっきの兄ちゃんか。今夜のステージなら、全部終わったよ」

 彼は店の外へ出るなり、ドルトンに話しかけた。彼の話を聞いたドルトンは、「ええっ?」と残念そうな表情を浮かべる。彼はポケットからタバコを取り出すと、出入り口の脇でタバコに火をつけた。たっぷり一口吸ってから、ドルトンに「戻ってくるのが遅いよ」と告げた。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。