LINKS(仮) 第十八話

 高岩の目の前で、デモンストレーションのように基本的な動作を披露する。これなら、マスク有りの方が視線を気にしない分、気楽だったかもしれない。何かのオーディションか、試験を受けているような感覚で、疲労と緊張が折り重なる。午前中はもっと出来ていたような気がするのに、今はトロくて鈍い動きにしかならない。

 もしこれが何らかの審査なら、受けた側も文句のない不合格だろう。厳しい言葉を突きつけられる覚悟で、恐る恐る高岩の方を見た。彼は、僕が初めて見る表情を浮かべた。

「ちゃんと訓練したんだな。昨日の今日、それも半日でコレなら上出来だ」

 意外と優しい笑みを浮かべる彼に褒められると、無上にこそばゆかった。彼はすぐに、「だが」といつもの無表情に近い、厳しい顔つきになる。

「それでは戦えない」

「そりゃそうだろ。体力も技術も、すぐに向上するはず」

「ああ。その通りだ。だから、上出来だと言った」

 高岩の言いたいことがよく分からない。彼は、「お前には申し訳ないが」と前置きを挟む。

「ヤツに目をつけられている以上、自分の身は自分で守れるようになってもらわねばならない。出来るだけ早いうちに」

 高岩の言いたいこと、彼が半日で練習に復帰した理由が何となく分かった。

「万が一は、助けてくれるんだろ?」

 僕が甘えるように言うと、彼は「お前は何も見なかったんだろう?」と突き放すように言った。

「秘密は口外しないと言ったのは、嘘だったのか?」

「嘘じゃないさ。嘘じゃないけど」

 高岩の目つきも声も、いつにも増して厳しい気がする。彼は半ば怒っているかのようだ。

「お前も一人の男だろうに、同級生をアテにするとはな。見損なった、いやオレが勝手に買い被りすぎたな」

 高岩の口が落ち着いてくる。感情が一度ピークアウトしたらしく、彼が醸していた厳しそうな雰囲気も、徐々に引いていく。このまま興味を失って、完全に突き放されたら僕は終わりだ。僕は居住まいを正し、深々と頭を下げた。

「僕が間違っていた。すまない」

「口だけじゃないだろうな?」

 高岩の鋭い指摘に、思わず小さく跳ね上がる。

「まぁ、どちらでも構わないか。お前がどうあれ、オレは手を抜く気はない」

 彼は鋭い目で僕を睨みつけ、「いいな?」と付け加える。僕はその気迫に押され、無意識に頷いた。そこに大した意思が介入しなかったのも彼は分かっていただろうに、それ以上何も言わず、彼は自分が用意してきたメニューを実施するべく、淡々と準備を進める。

「気を引き締めろ。行くぞ?」

 高岩はこちらの返事を待たず、予備動作なしに拳を突き出した。完全な不意打ちに、回避も防御も間に合わないが、彼の拳は目の前でピタリと動きを止める。殴られずにホッとした瞬間、流れるように足を払われ、体勢を崩されてしまった。尻餅をつく前に、高岩はジャケットの上から僕の首根っこを引っ掴む。

「非道いと恨みたければ恨めばいい。ルール無用の奴からお前が生き延びられるなら、オレはそれでいい」

 高岩の補助で立たせてもらうと、彼は僕から少し離れ、十分な間合いを取ってゆっくり構えた。今度はもっと分かりやすく打ち込んでくるようだ。今の一撃も、寸止めで終える必要など微塵もなかった。彼なりに、最低限の配慮はしてくれているらしい。

「お前が覚えることは三つ。逃げる、避ける、それからいなす、あるいは受け身だ」

 高岩は、僕へ見せつけるように指を折りながら言った。

「逃げ切れなかった場合の訓練だ。まずは回避すること、避けることを身体で覚えろ」

 なぜ最初に受け身、防御じゃないのか。その疑問を挟む前に、高岩は距離を詰めて攻撃を仕掛けてきた。ジャケットを着て機敏に動けない僕は、足を止めた状態でそれを受け止める。

「まずは避けろと言っただろう?」

 高岩は僕の顔面を狙った左拳をスッと引き、体重の乗った右拳を僕の腹へ叩き込んだ。ジャケットの防護機能の上からだから衝撃はかなり吸収されたし、急所を僅かに外してくれたようだから痛みは多少軽減されたが、それでも痛かった。

 僕は思わず高岩を睨みつけたが、彼は表情一つ変えることなく、元の位置へ戻る。今の一発も、僕が気が付かない高岩なりの配慮がふんだんに盛り込まれているのだろうが、彼はその程度で緩めるつもりはないらしい。

 授業中に教室で見かける気に抜けた表情ではなく、気合に満ちた本気の目だ。少しでもふざけたことをすれば、彼の手で命を奪われるかもしれない。そういう、鬼気迫る顔をしていた。

「もう一度だけ言う。お前は奴に狙われていて、自分の身は自分で守らねばならない。生きるか死ぬかの問題だ。本気で向き合え」

 高岩は言い終える前に、再び突っ込んで来た。これを迎え撃ってしまうと、もう一度、パンチやキックをもらってしまう。疲労困憊で身体は機敏に動かないが、痛いのも嫌だ。僕は高岩の動きをよく見て、パンチが当たらないように空いたスペースへ移動する。もっさりした動きで余分な動作も多い、不恰好な回避行動だ。僕にパンチを躱された高岩は、僕を追いかけるように連続でパンチを打ち込んでくる。僕は後ろに下がってそれを避けるも、もう後ろへ下がる場所がない。高岩がパンチを繰り出した隙を狙って、横を擦り抜けるように身体を動かした。それを予見していた高岩は、僕のボディへ蹴りを叩き込む。

 僕は慌ててそれを腕で受け止めるが、勢いを殺し切れずに後ろへ吹き飛ばされた。僕が体勢を整えていると、高岩は淡々と距離を詰めてくる。その様子は、無情な殺戮マシーンにも思えた。

 僕は周りを見回して、次にどうするか必死に考える。

「そう、その調子だ。一発避けるだけじゃなく、生き延びるための考え方、動き方を身につけろ」

 高岩はさっきと同じ調子で、僕に向かってくる。僕は彼の場所を確かめると、背中を向けて思いっきり走った。僕が走ると、高岩も全力で僕を追いかけてくる。今の僕には、例のアイツより、目の前の高岩の方が恐ろしい。後ろを振り返って何度も高岩の位置を確かめると速度が落ちるし、高岩は高岩で不規則な動きで撹乱しながら、着実に距離を詰めてくる。

 彼はジャケット未着用故の身軽さで、一気に僕へ飛びかかって来る。生命維持装置と防護服を兼ね備えたジャケットを着ている僕の方が追い込まれるなんて、理不尽すぎる。僕は高岩の動きをしっかり見て、一度左へ踏み込んだ。そっちへ攻撃を繰り出したのを目視してから、僕は高岩とスレ違うように右前へ駆け抜けた。十分に距離を取ったところで振り返ると、空振りした高岩はこちらを見て、満足そうな表情を浮かべている。

 微かな不気味さも思えるその顔に気持ちが削がれてしまい、僕はその場でバランスを崩し、転んでしまった。幸いジャケットを着ていた上に、勢いもなく膝をついた程度だったので、痛みや怪我はなかった。

「その調子だ。やればできるじゃないか」

 音も気配もなく、いつの間にか目の前に立っていた高岩は、僕に手を差し伸べていた。僕は顔を引き攣らせながら笑みを浮かべ、「ありがとう」とその手を取って立ち上がる。

「だが、まだまだ無駄が多い。マスクを着けた時の視界も考慮しろ」

 彼はやはり鬼教官らしく、今のではとても合格とは言えないようだ。僕としてはそれなりに必死と言うか、限界以上をやったつもりだったが、それでもまだまだとは。求められていること、到達しなくてはいけない領域は、遥かに高いところらしい。

 蜂須賀さんら、試合に出場する人たちも、皆その世界に到達している。ヤマブキの後継者に名乗りを上げるなら、これくらいの山は乗り越えなくては。

 高岩は「どうする? 少しぐらい休憩するか?」と僕に尋ねたが、僕は「いや、大丈夫だ」と強がってみせた。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。