奈落の擬死者たち(仮) 第十八話
年末恒例のイルミネーションも終わり、クリスマスムード一色の神戸でマユミちゃんに連れ回されていると、船着場近くの大規模商業施設でお嬢ちゃんに呼び止められた。ここまで順調にマユミちゃんを口説いていたのに、肝心の情報まであと一歩というところで、彼女の心の扉は閉ざされてしまった。
オレと六花ちゃんがどれだけ言葉を尽くしても無駄なようで、「もう良いわ。帰る」と彼女は一人で最寄駅へ向かって歩いて行った。
「デートの最中に、ごめんなさい」
六花ちゃんはいつも通りの服装で深々と頭を下げた。どうやら、ショッピングや遊び、あるいはオレとデートしに来た訳ではないらしい。オレは彼女に「いいよ、気にするな」と声を掛ける。
「別のそういうデートじゃないしな」
頭を上げた彼女は首を傾げる。目的を果たせなかったという意味では残念ではあるが、そこは彼女へ説明しても仕方あるまい。オレは「どうやってココに?」と彼女に尋ねた。彼女は、「ああ、えぇっと電車でって、そういうことじゃないですよね」と笑う。
「誰かと出かけたって聞いたので」
それを誰から聞いたのかは、追求しない。オレが「それで?」と促すと、彼女は「出先の方が都合がいいかと思って」と言った。
「二人で直接会って話すのは控えた方が良いとは思うんですけど、一回きちんと整理しておこうと思って」
彼女なりに気を遣って、時期を見計らっていたようだ。それなりに積もる話がない訳ではない。直接対面し、膝を突き合わせてこれまでの話を整理したくなる気持ちもよく分かる。ただしーー。
「オレへの監視はまだ緩んでいない。地元を少し離れたところで、効果はそれほど無いかもしれんぞ」
オレがそう言うと彼女は口に手を当て、「えっ? それじゃあ」と気落ちした表情を浮かべる。オレは思わず、「いや、大丈夫だ。聞かれているつもりで話をすればいい」と付け加える。
「知人の色恋沙汰に横恋慕するお邪魔虫の体でな」
オレは笑いながら、できるだけ冗談っぽく聞こえるように言ったつもりだったが、それでも彼女のお気に召さなかったらしい。六花ちゃんは、「それでいいです」と投げやりに言った。彼女が乗り気かどうかは、オレには関係ない。彼女の闖入で取り逃がしたマユミちゃんの件は、彼女に埋めてもらうことにする。
オレはそれまでマユミちゃんに振り回されていたデートの続きを繰り広げるように、彼女を商業施設の方へアテンドする。オレもそれほど詳しい方ではないが、彼女よりはマシらしい。観光客でごった返す中、何とか入れる喫茶店を探し出し、二人で海が見える窓際の席へ案内してもらった。
こうやって、明るい場所で向かい合って座るのはほぼ初めてだ。カレーを提供した時も、マジマジと顔を見る機会はなかったが、ここでこう見ると中々の美人に見える。ウェイターが運んできたメニューを、先に彼女に見せる。オレは彼女が選んだものと同じものを注文した。ウェイターは厨房へ下がり、六花ちゃんはお冷で口を湿らせた。
「とりあえずこの間の件なんですけど、その後どうですか?」
オレが小僧を介して彼女に頼んだ件だろう。オレは「まだ、何も」と答えた。アイツも警戒しているのか、目ぼしい情報は入ってこない。
「万が一の時、大丈夫ですかね」
「万が一? アイツのことだから何も無いとは思うが、全部オレのせいにすればいい。実際、オレが頼んでるしな」
オレは、運ばれてきたばかりのコーヒーに口を付けた。それなりに値段の張るコーヒーだったように思うが、店内装飾の力の入れ具合や値段を考慮すると、見合うクオリティではない。これなら、オレが自分で淹れるコーヒーの方が美味い。勝手に人が集まる場所なら、美味い不味いは二の次なのだろう。
「先輩を追うことが手掛かりになるんですか?」
彼女の問いに、オレは肩をすくめる。
「ただ、今はそれぐらいしかヒントがなくてね」
もう一つのキッカケは、さっき君に潰されたんだけどね。辛うじて恨み言は口から出ずに済んだ。彼女はコーヒーを啜り、何やら考えているようだ。
「それ、お手伝いしてもいいですか? もちろん私にできる範囲で、ですけど」
彼女の思わぬ申し出に、オレは一瞬思考が止まる。彼女には彼女の仕事があるし、彼女とアイツの関係を考慮すれば、オレからお願いすることは難しい。オレはコーヒーに口を付け、頭を働かせる。
「本当に良いのか?」
オレがそう言うと、彼女は首を縦に振った。彼女が積極的に関与しなくても良いように「アレ」を仕込んでもらったんだが、彼女が動いてくれるのなら、それはそれで助かる。彼女は少し体を小さくして、「その代わり」と切り出した。
「編集長との昔話とか、聞いても良いですか? 直接聞いても相手にしてくれないし、調べたくても取っ掛かりがなくて……」
彼女が何のために牧を調べたいのか、オレには見当もつかない。ただ、それが彼女の望みであるなら、断る理由もオレにはない。
「わざわざ協力を打診しに来たのも、牧が原因か?」
彼女は小さく頷きながら、「まぁ、全部じゃないですけど」と言った。
「でも、一泡吹かせたいと言うか、一矢報いたいと言うか」
彼女と牧の間に何があって、何がなかったのかはオレには分からないが、その目つきや跳ねっ返りは応援したくなる。素直すぎて顔に出るのはどうにかした方が良さそうだが、中々優秀な人材じゃないか。
「良いだろう。交渉成立だ。ただ、無理はしなくていい」
オレは伝票を自分の手元へ引き寄せ、彼女にウィンクした。オレが残りのコーヒーを飲み干すべくカップへ手を伸ばすと、彼女は「あ、じゃあ」と声を上げた。
「パンケーキ頼んでも良いですか?」
オレの返事を待つ前に、彼女はウェイターを呼び止めてパンケーキを追加注文する。出来ればさっさと外に出て、歩きながら「昔話」を披露したかったのだが、彼女はもう少しこの場に居たいらしい。
「横恋慕を演出した方が良いんですよね? だったら、もう少しカモフラージュしないと」
彼女は良いように表現したが、結局は食い意地が張っているだけだろうに。安くないコーヒーに、安くないパンケーキが追加される。他人の金で飲み食いするのは、美味いし楽しいか。その気持ちはオレもよく分かるから、ここはお嬢ちゃんの好きなようにしてやろう。
運ばれてきたパンケーキを、彼女は美味しそうに頬張った。離婚した上に、思春期になって一緒に食事をする機会が激減した娘の代わりと思えば、可愛いものだろう。オレは追加費用が掛かるのを確認してから、コーヒーのお代わりを注文した。
彼女がパンケーキを頬張る間、オレはどこで披露しても当たり障りのない「昔話」を披露した。彼女はどこまで本気で聞いているかが全く分からなかったが、聞き漏らしたことがあれば、何度でも聞きにくるだろう。何せ、彼女は記者だから。
六花ちゃんがパンケーキを食べ終えるのに合わせ、コーヒーを飲み干す。オレはしっかり領収書を発行してもらい、先に店を出ていた六花ちゃんと連れ立って三宮の方を目指して歩く。
店の中では話しにくかった「昔話」も、歩きながら彼女に聞かせる。今度の彼女は要所要所、手帳にメモを取りながら話を聞いてくれた。
地下街へ入る頃、彼女はメモ帳をカバンにしまい、「そう言えば、あのお姉さんとのデートは良かったんですか?」と切り出した。
「フォローのメッセージとか、電話とか大丈夫でした?」
六花ちゃんの前で、オレがケータイを操作する瞬間は確かになかった。だが、今更フォローしても、もう何の意味もなさないだろう。
「彼女とのことは気にしなくていい。君の方こそ、大丈夫か?」
オレが切り返すと、彼女は「あっ」と慌ててケータイを取り出した。電話やメールの着信を必死に確かめている。どうやら、折り返さねばならない電話があったらしい。彼女はオレの顔を見て、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「忙しそうだな。じゃあ、オレはこの辺で」
オレがそう言うと、彼女は「すみません」と頭を小さく下げた。彼女はオレから少し離れ、通路の端の方で電話を掛け始める。オレは彼女の忙しそうな様子に、娘の将来像を重ねてみた。