5月28日(日)

 哲朗くんは胴回りがやや大きなワイングラスを傾け、ちょっぴり白濁した黄色い液体を身体の中へ流し込む。口に含んだ瞬間、苦そうな表情を浮かべる。僕はそんな彼に見せつけるように、同じグラスに注がれたビールをグッと飲んだ。初夏の暑さに、つい一口で飲み過ぎてしまう。
 彼は僕の方をジッと見ながら、手元のワイングラスを持て余していた。
「やっぱり、運動した後のビールは旨いね」
「せっかく運動したのに、ビール飲んだら一緒じゃないですか」
「細かいことを気にするなって。それより、せっかく奢ってるんだ。もっと旨そうに飲んでくれよ。地元醸造の旨いビールなんだし」
 哲朗くんは「別に奢ってくれって言ったわけじゃ」などと呟くものの、ビールスタンドでは手元のビールを飲むしかない。サーバーからたっぷり注いでくれたスタッフさんが、こちらに満面の笑顔を向けてくれる。まだ若そうに見える彼らがここで作っているビールだ。それを、いつまでも不味そうに飲むような哲朗くんじゃないはずだ。彼は再び、ビールに口をつけた。今度はさっきほど嫌そうな表情を見せなかった。
「一輝さんって、友達とかいないんですか?」
「なんだよ、藪から棒に」
「僕とか沙綾さんとかと飲み歩いてる印象しかなくて」
「だんだん、そういう遊びだけになっていくのさ」
 東京にいた頃だって、知り合いに連れて行ってもらった店で顔なじみを作って、時間があればとにかくそういうところへ行って、終電ギリギリまで飲んだり、時には朝までぶっ通し飲んだり。おごりおごられ、時には男女の出会いもあったり、限界を超えて路上で吐いたり。
 ちょっと前の出来事なのに、随分昔のような気がしてしまう。
 こっちの友達、同級生と落ち合ったって、やることは多分変わらない。カラオケかボーリングか、山か河原でバーベキューか。こうやって、身近な仲間と一杯ひっかける方が、いくらも健全じゃないか。それにーー
「先月から心理学部生なんだったら、こういうところで人間観察とかすべきじゃないか? あっちの二人はどういう関係か、とか、お店の人はどういう背景でココにきたのか、とか」
 哲朗くんは僕が示した人たちに、ゆっくり視線を向けていく。一通り観察すると、店内をグルっと見回していく。
「照明がどうとか、テーブルの素材がどうとか、スタンディングにしてる理由とか、遊びながら勉強にもなる」
「デザイン的にも、ビジネス的にも、確かに生きた教材ですね」
「答えが知りたければ、質問することもできるしな」
 哲朗くんはそれなりに納得したらしく、小刻みに頷いて、ビールを飲んだ。
「それはそれとして、お父さん、どうでした?」
「別に。なんともなかったよ」
 肩透かしレベルで、何にもなかった。ただお互いに異常にぶっきらぼうなだけ、こっちがありもしない想像を働かせて勝手に嫌悪感を募らせていただけ、のような気もしてくる。割と永年悩んできたつもりだったのに、蓋を開けてみれば、独り相撲に過ぎなかったとは。
「ただ、やっぱり好きにはなれないな」
「それで、いいんじゃないですか。僕も、親父のことは嫌いというか、苦手だし」
 哲朗くんの言葉に、自然と口元が綻んだ。「なんすか、急に笑って」と彼には気持ち悪がられたが、そんなことは気にしない。
「もう一杯行こうか。どれにする?」
 哲朗くんはグラスに目をやり、「まだ残ってますよ」と言うが、知ったこっちゃない。僕は彼をカウンターまで引きずって、メニューを突きつける。選べないなら、強めのIPAにしてやろう。さぁ、もう一回、乾杯だ!

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。