9月7日(木)
「へー。これがそのうち並ぶんだ」
僕は沙綾にA3サイズの見本を返した。昨日のうちに、彼女からPDFのデータも受け取ってはいたが、タブレットやスマホで見るより、大きく印刷されたものを見るほうがやっぱり良い。
「哲朗くんは、見た?」
斜向かいに座っている哲朗くんは、首を振った。沙綾は彼にもデータを転送しているようだったが、彼のそぶりを見るにそれすら目を通していないようだ。沙綾は彼に「見る?」と半分に畳んだ見本を差し出すが、彼は「すみません。ありがとうございます」と断った。
「製本されてから見ます」
彼の隣に座っていた瑞希の肩が微かに動いた。それからは表情を変えることなく、普段通りの動きでグラスを傾けている。
「コレで、父さんも母さんも鼻高々だ」
フリーペーパーの見開き1ページのみとは言え、ポスティングされることもある地域の有力誌。同世代のクリエイターとして、上坂さんと二人だけのインタビュー記事がどんと掲載されているのは兄弟の自分もなんとなく誇らしい。
ちゃんとスタイリストもついたインタビューだったようで、普段通りのヘアメイクとあまり変わらないように見えて、実物よりはるかに美人に撮ってもらっている。
「写真のレタッチも、かなりしてもらったんだろ?」
見本がぐちゃぐちゃにならないよう、慎重にカバンへしまっていた沙綾が顔を上げ、「ぜ〜んぜん」と応えた。
「全体の色味補正とか、一本だけ跳ねちゃった髪の毛とかは修正してもらったけど、あとは無加工だよ」
「盛るとか加工とか、そういうのとは無縁の雑誌らしいんで」
横から哲朗くんも沙綾の言葉を補強する。多少の演出、魅せ方の工夫はあっても正直が信条なんだっけ。そういうスタンスだから、地域密着の素朴なタウン誌だけど信頼が厚いのか。普段のルミさんからは想像もつかないけど、あれで案外、真っ当な編集者だったとは。
「ただ、お義父さんには内緒でお願いします」
哲朗くんが小声で言う。
「お義母さんと晃さんには伝えてあるんですけど、お義父さんには秘密で通したいそうで」
彼の隣で、瑞希はちょっぴり縮こまって下を向く。秘密も何も、父と会う予定はしばらくないし、会ったとして話すこともないとは思うけど、わざわざ哲朗くんの口から言わせるぐらいの想いがあるのか。
「瑞希がそうしたいんだな?」
一応、本人の意思も確認しておきたい。目の前の頭頂部へ声をかけると、彼女はそのまま頷いた。
「顔を見せろって」
僕は椅子から身を乗り出して、瑞希の顔に両手を添える。彼女が持っているビールが零れないように気をつけながら、グイッと顔を上げた。ようやく本人の眼が見えた。一瞬驚いた様子だったが、すぐにまっすぐな目で僕を見つめ返してくる。眼が泳ぐ様子は微塵もない。
「よし、分かった」
僕は瑞希の顔を離して、自分の席に座り直した。瑞希は瑞希で、手元のビールを零さないよう、元に戻る。
「でも、コレのスタンド、そこら辺に結構あるよな?」
幸い、実家の地域ではポスティングされていなかったように思うけど、求人募集のフリーペーパーに混ざって置いてあったりする。万が一家に届いても母さんか晃が上手に隠すんだろうけど、本人が出先で不意に手に取る可能性もゼロではない。
瑞希は「その時はその時で」と言ったが、緊張感に満ちた日々が始まるぞと、心の中で他人事のように心配しておいた。