10月25日(水)

 笠井さんとコーヒーを飲みながら、哲朗が来るのを待っている。僕はアイスコーヒーを飲み、笠井さんはホットコーヒーを飲んでいる。彼はカッターシャツの上にベストまで着込んでいた。
「すっかり冬の装いですね」
 僕に比べれば厚着の彼に、僕はそう言った。彼は苦笑いを浮かべながら、「いやいや、コレはそこまで分厚くないですから」とベストを摘みながら言った。
「週末ぐらいから、また冷え込むって言ってましたよ」
「もう11月ですもんね」
 多少寒くてもあまり厚着をしない僕でも、流石にそろそろジャケットやコートを羽織らないとダメかもしれない。日中の日向はまだまだ暑い分、朝夕の冷え込みとの落差が体に堪える。
 笠井さんは自分のシステム手帳を見ながら、何かを言おうと顔を上げた。その顔の奥に、哲朗の姿が見える。僕は椅子から立ち上がり、手を振った。哲朗は小走りで「遅くなって、すみません」と近づいてくる。
 僕は財布を握ってレジの方を指しながら、「なんか頼む?」と彼に尋ねる。哲朗は空いている椅子に腰も下ろさず、「いえ、すぐに戻らなきゃいけないんで」と言った。
「そっか、そっか。じゃあ、とりあえずコレ」
 立ったままの彼に、椅子に腰を下ろしたまま半分に畳んだA3用紙を差し出した。
「再来月はコレで決まりそうだから」
 哲朗はA3用紙を開き、横長の紙にザッと目を通す。
「了解しました。で、コレだけですか?」
 哲朗は再び用紙を半分に畳んで持ち、ゆっくりした口調で僕らに確かめる。僕は頷きながら、「忙しいのに、ごめんね」と答えた。
「データで送ってもらえば良かったのに」
「せっかく印刷してもらったからさ。それにコッチがついでだから」
 僕は真新しいクリアファイルも哲朗に差し出した。彼はそれを受け取ると、「じゃあ、戻りますよ?」と確かめ、僕が頷いて返すと、「じゃあ、失礼します」と資料をクリアファイルに入れ、来た時と同じような小走りで来た道を戻って行った。
「なんか、すみません。僕がランチしましょうと言ったばっかりに」
 笠井さんは椅子に座ったまま深々と頭を下げた。
「いえいえ、気にしないでください。そういうのも大事じゃないですか」
 忙しそうな哲朗には申し訳なかったが、たまにはこうなってしまう日もある。彼には後で何らかのフォローを入れておけば何とかなる。
「そういえば、さっき何か言おうとしてませんでした?」
 僕は、哲朗が来る直前の笠井さんを思い出し、彼に訊ねてみた。彼は「ああ」と再びシステム手帳を開きながら、「来週一日、息子さんの誕生日ですよね?」と言った。
「え、そんなことまでメモしてくれてるんですか?」
「ええ、まあ。大したことじゃないんですけど」
 笠井さんは謙遜するが、彼の付き合いを考えると、膨大な量のメモがあの手帳には書き込まれていることになる。その量を想像するだけでも気が遠くなるが、彼はそういうのが得意そうなのも何となく分かってしまう。
「中学一年生、でしたっけ」
「そうです、そうです」
 笠井さんは「いやぁ、若いなぁ〜」と声を漏らしながら、システム手帳をゆっくり閉じた。
「将来の進路は」
「いや〜、まだまだ全然」
「そうですか。娘さんも優秀だからな〜」
 智希も陽菜も、直接笠井さんとの面識はなかったはずだけど、彼は色んな情報を整理して、彼や彼女らを想像しているように見える。この細かさがあればこそ、か。せめて薄手のベストかホットコーヒーぐらいは見習わなきゃな……。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。