11月11日(土)

 久々に午後からオフの土曜日なのに、リビングには何となく緊張感が漂っている。普段なら僕が帰宅するまで食卓でゲームに勤しんでいる智希が、今日は晩ご飯を終えるなり自分の部屋に引き揚げていた。
 キッチンで食器を片付けながら、史穂が壁の時計をチラチラ見ている。彼女の鋭い目つきが、リビングに緊張感をもたらしているようだ。僕はできるだけ平静を装い、彼女が入れてくれた食後のコーヒーを飲みながら、普段はあまり見ることがないテレビをぼんやり眺めている。興味深いという気持ちや新鮮さがなくはないものの、気もそぞろに僕も時計の方が気になっていた。
 食卓に置いていたスマホが鳴った。画面を見ると、哲朗からの通話。普段はほとんど文字のやり取りなのに、珍しい。僕は史穂に哲朗からの電話だと伝え、スマホを持ってリビングから掃き出し窓を開けてベランダに出た。夜風に何か一枚羽織れば良かったと思いつつ、ゆっくり窓を閉めて電話に出る。
「遅くにすみません。LINEより電話の方がいいと思って」
 電話の後ろが若干賑やかだ。声の後ろで色んな音が行き交っている。
「全然いいよ。で、どう?」
「今、そっちへ行くバスに乗ったんで、よっぽどでなければ間に合うと思います」
 ベランダから家の中を覗いて、時計を確かめる。もうそろそろ、20時15分といったところ。
「JRだっけ?」
 僕の問いかけに、哲朗は「そうです、そうです」と答えた。東口のバス停から乗ったら、まぁ、何とかなるか。家の中を見ていると、史穂が食卓に置いた自分のスマホを手に取っている。
 僕は心の奥底でゆっくり胸を撫で下ろし、夜空を見上げた。
「半日、密偵みたいなことさせて悪かったね」
「いえいえ。タダでライトアップ見れて、いいリフレッシュができました」
「それは良かった」
 哲朗は、「じゃあ、また月曜日」と言い、僕は「ああ、おやすみ」と返した。哲朗からの返事を聞いて、通話を終えた。ベランダより少し暖かい室内に戻る。
「なんだったの?」
 史穂は「哲朗くんから、こんな時間に電話なんて珍しい」と食卓を拭きながら付け加えた。僕は「いや、別に。仕事の話」と適当にお茶を濁すと、彼女はそれ以上追求してこなかった。
 史穂は食卓を拭き終えると、息をつく暇もなさそうに、納戸の方へ向かった。扉を開け、掃除機を引っ張り出す。僕は彼女に「ああ、いいよ。オレがやる」と掃除機を受け取った。
「そう? じゃあ、お願い。終わったら、ウエットシートで床拭きもよろしく」
 僕は「りょ〜かい」と返事をして、とりあえずリビングまで掃除機を持っていく。
「あと、智希の部屋まで行ったら、お風呂の準備もお願いしてきて。本人も分かってるとは思うけど」
「ほ〜い」
 僕の返事を聞く前に、史穂は食卓に戻り、家計簿をつけ始めた。普段は、こういう掃除も陽菜や智希がお手伝いしてくれているのだろう。四角いところを丸く掃かないように気を付けながら、掃除機を動かす。
 家具の下や絨毯の上の埃も逃さないように、腰をかがめたり、物を避けたりしながら反復運動を繰り返す。コードの長さやベストな電源の位置、本体の動きも我ながら全然分かっていないなと思いながら、このまま平穏な土曜日が終わりますようにと心の片隅で祈っていた。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。