11月20日(月)
この二、三日ずっと嗅いでいるような匂いが、急に漂ってきた。今日こそはあの匂いと距離を置くつもりだったのに、オフィスに備蓄しているカレー味のカップ麺に、哲朗がお湯を注いでいる。
「私も、カレーにしようかな」
哲朗の姿を見ていた香織も、同じカップ麺を手に取り、お湯を注いだ。同じ匂いが、微妙に違う角度から漂ってくる。その匂いに若干辟易しているのが顔に出ていたらしく、香織に怪訝な表情を向けられた。
「どうしたの? カレー嫌いだったっけ?」
「あ、いや、そういう訳じゃ」
一足先に出来上がったらしい哲朗は、僕の方を気にかけながら蓋を開け、箸でよくかき混ぜる。香織も「変な奴」と言いたげな表情を浮かべながら、哲朗の後に続いてカップ麺を食べ始めた。
普段なら自分も匂いに釣られてしまうが、自宅でも外でも偶然とは言えカレーが続いてしまうと、流石に嫌になってきた。少々肌寒いけど、オフィスの窓を開け、そこら中に漂っているカレーの匂いが外に出ないか期待してみる。
打ち合わせスペースで同じカップ麺を向かい合って食べながら、香織は合間に哲朗への質問を織り交ぜる。
「そう言えばさ、哲朗のお袋の味って何?」
彼は想定外の質問だったのか、「え?」と一瞬詰まると、答えを探して言い淀む。
「何かないの? それこそカレーとか、唐揚げとか」
「実家に帰った時に出てくるとしたら、ローストビーフとかステーキとか。でも、あんまりお袋の味って感じはしないですね」
哲朗の回答に、香織は「何それ、変なのー」と笑って茶化した。
「実家にいた時も、カレーは滅多に出なかったかな。レトルトとかは、こっそり隠れて食ってましたけど」
香織は「ふーん」とさっきよりは真剣な面持ちで話を受け止めている。
「じゃあ、うちのカレーはコレ、みたいなのもないんだ」
「全くないっすね。こっちに来てからも、一回も作ってないかな〜」
「一人暮らしだと、そうだよね。良ければ今度、招待しようか?」
香織の提案に、哲朗は「え、良いんすか?」と思わぬ反応を見せた。すぐに良い反応が返ってきて一瞬驚いていた香織だったが、すぐに何か悪いことを思いついたのか、影のある表情を浮かべながら、「じゃあ、また調整して声かけるね」と言った。哲朗は素直に、それに応じようとしている。
僕は彼らの間に割って入った。
「香織のカレーも良いんだけど、コレは行った?」
哲朗に、イベントのチラシを差し出した。ウチも少しだけお手伝いして、イベントの概要や中身もある程度把握しているであろう、万博で現在開催中の、カレーの祭典。哲朗は気の抜けた声で、「ああ、例の」と呟いた。
「武藤さんは初日に行ったんですっけ?」
「マジで美味いカレーも、ちゃんと知っとかないと」
哲朗は僕の圧に負けたのか、それともとりあえず受け流そうとしているのか、相変わらず気が抜けた調子で、「ああ、はい」と相槌を打った。哲朗の隣からチラシを覗き込んでいた香織が、「23日もやってるんだ」と言った。
「子供らと行ってこようかな。哲郎も、一緒に行く?」
「行きたいのは山々なんですけど、その日はバタバタで」
哲朗の答えに香織は顔を背け、彼には見えにくいところで小さく舌打ちをした。どうやら何かのあてが外れたらしい。
「あ、でも別の日に行きますよ。皆さんの応援にも行きたいし」
哲朗は香織の思惑など微塵も気にならない様子で、明るい表情を浮かべて言った。こういう男が近々行きますんで、現地のルミちゃん、スタッフの皆さん、もう一踏ん張りしてくださいーー。