4月26日(水)

 すっかり夜も深まった時間帯に、水尾東公園のベンチで身体をほぐすことになるとは思いも寄らなかった。もうそろそろ半月になりそうな夜空を見上げながら、「乳酸よ、出ていけ」と強く念じながら、念入りにストレッチする。
「ごめん、遅くなっちゃった」
 彩夏が、裏手の水尾図書館の方からではなく、表通りの方から、ファミリーマートの袋を提げてやってきた。
「フレスコ、9時までなのね。そっちのファミマまで行ってたら、遅くなりました」
 私はお尻を浮かせて、彼女の座るスペースを確保する。彼女はビニール袋から「ファミマ限定」と書かれた500ml缶を取り出して、私に差し出した。彼女も、自分の分を手に持って、ベンチの腰を下ろすや否や早速開ける。吹き出しかけた泡を口から迎えに行って、乾杯もなしにいきなり始めてしまった。
 私も置いて行かれないように、缶を開ける。向こうが落ち着くまで一応待って、遅まきながら「乾杯」と缶を軽くぶつけた。グッと喉に流し込むと、だんだん夜も暑くなってきた時期に嬉しい冷たさが、程よい刺激や苦味とともに駆け抜けていく。
「ルミとここで缶ビールを傾けるなんて、夢にも思わなかったな」
「アラサーにもなって、花見でもないのに月を見ながら外飲みなんて、私も想像してなかったな」
 「アラサーって」と彩夏は笑った。彼女が隣にいなかった学生の頃は似たようなところでよくやったけど、最近はこういうの、やってなかった。
 ぼーっと目の前を眺めていると、案外、交通量はそれなりにある。その割に、背後に広がる団地、住宅街は恐ろしいくらいの静けさが広がっている。私の家も、彩夏の実家も、この静けさの中に含まれている。
「ゴールデンウィークは、なっちゃんとどっか行くの?」
 さっきまで背中に感じていた重み、温もりを思い出しながら、彩夏に訊いた。彼女は「な〜んにも決めてない」と言った。
「仕事もいっぱいもらっちゃったし、まだまだ勉強しなきゃいけないこともあるし」
 仕事も勉強も依頼したのは、私だったっけ。在宅でも稼げる時に稼いでもらおうと、比較的簡単な仕事をお願いしたつもりだったけど、彼女の「頑張ります」の熱量に甘えて、やりすぎちゃったかもしれない。
 配慮が足りずに申し訳ないなと、後頭部を掻いていると、彩夏は「でもね」と明るい声で言った。
「お母さんと一緒に、沢山お出かけするんだって。森田さんのところとも、遊ばせてもらう約束しちゃった」
「へぇー。それは、凄いね」
 そういえば、芽衣さんのところの亜衣ちゃん、同い年ぐらいだったっけ。彩夏ママもまだまだ若いし、孫とのお出かけを口実に、色んなところへ繰り出しそうだ。
「お仕事紹介してくれて、本当にありがとう」
 彩夏は勢いよく、深々と頭を下げた。
「気持ちはよく分かったから、もう頭上げて。お願い」
 彼女の体を揺すって元に戻るように促すものの、彩夏は彩夏で身体をガチッと固めて、頭を下げたまま戻る気配はない。私が揺さぶりを強めると、彩夏の手中にあった缶から、ビールが飛び出した。勢いよく彩夏の顔に直撃し、彼女の顔面がビシャビシャになる。
 彩夏はやっと顔を上げ、無表情で私の方を見る。無言のプレッシャーに、「ごめんなさい」と小さく謝ると、彼女はプッと吹き出して笑った。満面の笑みを浮かべる彼女に、私はタオルハンカチを差し出した。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。