10月2日(月)

 お昼過ぎにオフィスを訪れたときには在席していた香織さんは、夕方前には帰宅した。打ち合わせを終えて上長向けの資料を作り始める頃には、仲良し女子大生三人組がタイムカードに退勤時刻を打っていた。
 上長からの返事を待ちながら、私は打ち合わせスペースの方へ目を向ける。武藤さん、森田さんと哲朗くんたちの白熱した会議はまだまだ終わりそうにない。
 私は、隣で動画編集に勤しんでいる瑞希さんの横顔を何となく眺めていた。動画サイトへの投稿が完了するのを待ちながら、隙間時間を上手に使っているらしい。可能なら私もオフィスへ戻って、溜まっている事務作業を処理したいところだけど、上長から「武藤さんへの伝言があるから」とのメッセージに、この場を動けずにいる。
 せめて、内容だけでも送ってくれたらメモを残して動くのに。チャットツールに目立った動きは特にない。
「返事、まだないんですね」
 瑞希さんは左耳からイヤホンを外しながら、話しかけてくれた。彼女は作業の手を止めずに、壁の時計に目をやる。
「この時間だと、忘れて帰っちゃってるかも。一回、オフィスに電話しちゃうとか」
 瑞希さんの言葉に、「流石にそれはない」と言いかけるものの、断言できないと思って取り下げる。「じゃあ、ちょっとうるさくするけどゴメンね」と彼女に断りを入れ、少しは静かそうな窓際の一角に移動した。外の廊下に出ても大して変わらないし、ここでボリュームを抑えてしゃべる方がマシでしょう。
 事務員さんが帰っているのか、数コール待ってようやく誰かが出てくれた。電話口の同僚に、上長の行方を確かめてもらう。しばらく保留の音楽を聴きながら待っていると、上長は既に退社しているとのこと。感謝を述べ、私もこのまま直帰する旨を伝えて電話を切った。
 定時をとっくに過ぎているとは言え、返事の一言ぐらい返して欲しかった。元の席に戻り、チャットツールで上長宛に、伝言は後日受け取る旨と、定時を過ぎたので直帰する旨を伝え、私のステータスを「離席中」に変更してツールを終了した。
 日報をチャチャっと出して、オンラインで「退勤」ボタンを押す。
 私の隣で作業していた瑞希さんは、動画サイトの設定画面を開いて、作業していた。タイトルやらサムネイルやらを設定して、公開する時刻も指定して設定を保存すると、その画面もブラウザも閉じてしまった。
 デフォルトの壁紙になっているデスクトップを、ゆっくりと閉じる。一瞬、打ち合わせスペースの方へ視線を送るも、すぐに目を逸らしてノートパソコンを片付け始めた。
 私も遅れないように帰り支度を整え、何となく彼女の支度が終わるのを待つ。瑞希さんは机上のペンと哲朗くんの机にあった正方形の付箋を引き寄せると、大きめの字で「先に帰ります」と私の名前も添えて書いてくれた。
 それを哲朗くんの机にあるモニターに貼り付け、ペンと付箋を元の場所に戻してからスマホを取り出し、誰かにメッセージを送信した。
「さ、帰りますか」
 瑞希さんはさっぱりした様子で、柔らかい笑顔を私に向けてくれた。私は「お先に失礼しま〜す」と一応声を出し、返事を待たずに瑞希さんとオフィスを後にした。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。