5月27日(土)

 月末の土曜日、久しぶりにのんびり出かけようと思っていたのに、急に沙綾から連絡があったために、自宅でゆったりと本を読んでいる。数日前までは晴れ予報だったのに、前日の予報では曇りのち雨だから丁度いい。
 窓の外は雨がパラつき始める中、私のいるリビングでは雨の音なんか微塵も聞こえず、キッチンで悪戦苦闘している沙綾の建てる音が響き渡っている。永らく積んでいた本を紐解いて、読書に集中して読み切りたかったのに、娘のドタバタが気になってしまう。顔を上げ、沙綾の様子を眺める。
「オーブンだったら、あっちの家にもあるでしょう? レシピは貸してあげるから、自分の家でやったら?」
「ダメダメ。現地のオーブンとキッチンがシミュレーションできなきゃ、意味ないでしょ?」
 沙綾はレシピ本をジッと睨みつけながら、薄力粉をふるいにかけている。お昼を食べたばかりだけど、今からその段取りで、夕方までにケーキなんて出来上がるのかしら。
「もっと簡単なクッキーだって載ってるでしょ?」
「せっかくの誕生日なのに、クッキーじゃ現地で作る意味ないじゃない?」
 沙綾は私の提案を突っぱねて、作業に戻る。
「あなたがわざわざケーキを作ろうだなんて、よっぽど大事なお友達なのね」
 最近懇意にしてる、歳が少し離れたお友達。仕事仲間でもあり、将来の義理の妹かもしれない、可愛い妹分。沙綾は私の茶々を完全にシャットアウトして、ケーキ作りに没頭している。辿々しい手つき、細かいことが苦手そうなのもよく分かる。一緒に暮らしていた時も、せいぜい簡単なチョコ菓子を作る程度だったし、今も料理なんてそんなにしてないんだろう。一輝さんは普段、どんなものを食べているのか、他人事ながら可哀想な気もしてくる。
 沙綾は、ボーッと彼女を眺めていた私の顔を見ながら、「なに?」と聞いてきた。私は「なんでもない」と首を振る。
「お手伝いしましょうか?」
「ありがとう。お気持ちだけいただいておくわ」
 本当にケーキなんか出来上がるのか心配だったけど、本を読みながら覗きにいくと、少しずつそれっぽいものに近づいていく。レシポ本の通りではなさそうだけれども、彼女らしいアレンジが効いていて、不格好なりに美味しそうな気がする。
 上手に焼き上がったスポンジを切り分け、間にフルーツを挟んでクリームを塗っていく。美味しそうな匂いに、遠くでケビンが切なそうに声を上げる。彼にオヤツを上げてから、もう使わなさそうな調理器具を洗っていく。
 あらかた片付いたら、コーヒーメーカーを動かして、エスプレッソを入れる。沙綾はそれらしいケーキが出来上がったところで満足して、試食のセッティングにまで気が回らない。私があれこれ段取りしてやって、やっとお皿に切り分けるところまで来た。
「この、残りはどうするの?」
「お母さんが食べればいいんじゃない?」
 そこそこしっかりした手作りのホールケーキ。二切れ食べたところで、まだまだたっぷり残っている。
「適当にラップするから、持って帰りなさい」
「えー、めんどくさい」
「いいから。あの彼氏にも食べさせなさい」
 私はとりあえず、残りのケーキにラップをかけて、食卓につく。フォークを手に、「いただきます」と一口食べる。甘さ控えめと言えば聞こえはいいけど、単純に甘みが足りない。
「ちゃんと計って作らないと」
「いやぁ、失敗、失敗」
 彼女は舌を出して可愛らしく言った。
「じゃあ、もう一回だ」
 え、まだ作るの? もうそろそろ夕方の散歩に出かけて、夕飯の段取りをしたいところなのに、沙綾は私の予定を考慮する気など微塵もなさそうで、やる気満々な表情で自分のお皿に乗ったケーキを食べていく。ちょっぴり鬱々とした気分になりながら、本なんて読まずに陰ながらお手伝いしなくてはと、密かに決めた。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。