12月31日(日) 午前0時

 翌朝起きてからでは間に合わない黒豆の仕込みを終え、ようやく日元から離れた。甘い匂いがまだ微妙に漂っている。換気扇にはもう少し働いてもらおうか。
 基本的には自分が食べる用の、おせちとはとても言えないレベルの代物。この時期限定の、ちょっぴり特別な常備菜と言った方が正しいんだろう。どうしても食べたいものだけ、自分で作る。必要に応じて後は買えば、それでいい。
 母が祖母から受け継ぎ、私が母から受け継いだ手書きのレシピを、本棚のいつもの場所に戻した。これも良い加減にデジタル保存しなきゃと思いながら、スキャンしてPDFにするだけの作業を、ついつい先送りしてしまう。また来年、また来年と言いながら、このまま時間と共に消えていくような気もする。
 最低限の灯りしかつけていない部屋の片隅で、ぼんやりと本棚の暗がりを見て物思いに耽っていると、屋外で雨が降り出した音が聞こえてきた。天気予報では、夜の遅い時間から明け方にかけて降ると言ってたっけ。
 雨に合わせて、家の中も少しひんやりしてきた気もする。寝室の灯りを点けに行き、キッチンに戻って換気扇と照明を切った。足元に気をつけながら、自分の部屋へ入る。隣のケビンは、静かによく眠っているらしい。
 このままお風呂に入って床に就いても良いんだけど、明日は休みだし、読みかけの本を最後まで読んでから寝ようかしら。読書のお供に、それっぽい音楽でも探そうか。
 スリープにしていたパソコンを立ち上げた。動画サイトやプレイリストを開く前に、メールやSNSをチェックする。年末とあって、みんな楽しそうにやっている。タイムラインを眺めていたら、チャットが立ち上がった。

ーーママ、起きてる?

 私がオンラインになったのを見たらしく、健人がメッセージを送ってきた。

ーーおはよう、早起きなのね。
ーー今日なら、ママも起きてると思って。

 向こうは多分、土曜日の朝。17時間の時差は、中々合いそうで合わない。普段はメールでやり取りするのが精一杯だけど、今日ならほぼリアルタイムでコミュニケーションできる。

ーービデオ通話にしても良い?

 お風呂に入っていたら、ノーと答えていた。一応、机上の鏡で確かめると、いつもの顔は保てているように思う。健人は私の答えを待たずに、通話を掛けてきた。私はビデオをオンにして、それに出た。
「元気?」
 数年ぶりに見る息子の顔は、だいぶ大人の顔つきになっていた。こっちで生活していた頃より、顔も体も相当しっかりして、母親似だったはずの彼はいつの間にか、父親にそっくりになっている。
「元気よ。そっちは朝から元気いっぱいじゃない」
「まあね。朝の自主トレしてきたところだからさ」
 彼は笑いながら、脇に抱えたバスケットボールを指先で回して見せた。彼の背後には、所属するチームのユニフォームが飾られている。
「お父さんはどう? 元気?」
「お父さんもおばあちゃんも、とっても元気さ」
 健人は画面の向こうで、オーバーにリアクションして見せる。その様子に、「ああ、向こうの子になったんだな」と妙に納得してしまった。
「そっちのパパはどう?」
「まだまだ元気にしてるけど、だんだん歳は取ってきたかな」
 私はドアの向こうの愛犬を思い描いた。健人はちょっぴり寂しそうに、「そっか」と言った。
「来年こそそっちに行って、また撫でたいな」
「いつでもいらっしゃい。お姉ちゃんと一緒に待ってるわ」
 お姉ちゃん、のワードに健人は少し嫌そうな顔をした。その様子がおかしくて、私はつい笑ってしまった。
 もうすぐ来年。明日1日過ごしたらやってくる来年が、今から楽しみになって来た。健人と他愛もない話をしながら、どんどん楽しみを募らせていく。

(完)

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。