1月7日(土)

 沙綾が物珍しそうに、居住スペースのリビングやダイニングを眺めている。私は私で、そこに娘がいる光景を新鮮な気持ちで見ている。居間や吐き出し窓の向こうの景色を確かめると、いつも通りの手付きで使い込まれた椅子に腰を下ろした。隣に置いた紙袋を覗き込み、カバのぬいぐるみを取り出した。
「カバの何がそんなにいいのかしら」
「ただのカバじゃなくて、コビトカバよ、コビトカバ」
 カバのぬいぐるみを抱えて、キョロキョロしながら辺りをウロつく。何かを思いついたように階段の下へ降りようとするから、「サロンスペースにカバはダメよ」と呼び止めた。
「あの空間に置いていいのは、ホワイトタイガーだけ」
 沙綾は不満げな声を漏らすけど、私は首を振って改めて否定する。そこで面倒臭くなったのか、隣の和室へぬいぐるみを置いた。
「ニフレルのホワイトタイガーだけど、ファミリーランドのホワイトタイガー、だっけ?」
「そう。宝塚の空気をちょっとだけ、ね」
 ニフレルで買ったぬいぐるみに宝塚の要素は微塵もないし、ファミリーランドも閉園してから永いけど、サロンのイメージを少しでも補強してくれたらと思って置いている。リラクゼーションに丸いコビトカバも悪くないけど、ハイソなイメージは保ちたい。
 テーブルに戻ってきた沙綾にコーヒーを出す。沙綾はスマホの画面を見たまま椅子に座る。
「一輝、もうすぐだって」
 沙綾は顔を上げ、コーヒーを啜った。時計に目をやると、もうそろそろ17時半。お店の予約は1時間後だから、流石に間に合うだろう。沙綾はコーヒーを飲みながら、インスタでも見ているらしい。
「あっちの部屋はどう?」
 スマホの画面をスリープにして、テーブルに置いた。
「まだまだ、な〜んにも」
「全部持ってきちゃったけど、良かった?」
 沙綾は頷きながら、「今のところは」と言い添えた。スマホを手に取り、写真を見せてくれた。少ないなりに家具はあるものの、部屋の広さを持て余しているといった感じで、部屋に馴染んでいる、納まりがいいという雰囲気ではない。
「彼は才能豊かなデザイナーさん、じゃなかったっけ?」
「外側と中の空間づくり、はね」
「お友達のインテリアコーディネイターさん、紹介しようか?」
 私が返したスマホを受け取りながら、沙綾は首を振った。
「春までに決着つかなかったら、その時はお願いするかも」
 沙綾のスマホに、新しく通知が届いた。「一輝、駅に着いたって」。彼女はスマホを仕舞い、そそくさとコートに袖を通し始める。私は汚れのないシンクに、2脚のコーヒーカップを置き、支度が済んだ沙綾に、「先に行ってあげて」と声をかけた。彼女はなんの遠慮もなく、自分の鞄を肩にかけて階段を降りていく。
 戸締りを確かめ、空調を切って、灯りを消す。いつもの家、いつもの暗がりが少しだけ広く思えた。和室のコビトカバの頭を撫でて、玄関へ。靴を履いて待っている沙綾と共に家を出て、ちょっぴり賑やかな土曜日の住宅街を、地元駅の方へ向かって歩き始めた。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。