LINKS(仮) 第十一話
白衣を脱ぎ捨てた早苗さんは、手首や足首を軽く回し、アキレス腱も入念に伸ばした。準備運動を終えた彼女は、普段の印象からは想像もつかないアクロバティックな動きで、蜂須賀さんに襲い掛かる。
蜂須賀さんは、ジャケットの利点とハンデのどちらも受け止めながら、彼女の動きに合わせ、的確に捌いていく。高岩が組み手に付き合っていた時も、決して手を抜いていたとは言わないが、それ以上に複雑な動き、入り組んだ足の運び、体捌きで攻防を繰り返している。蜂須賀さんは、早苗さんの動きの速さも考慮しながら、決して当てないように寸止めに徹し、早苗さんは早苗さんで、よりギリギリで躱せるようにガンガン突っ込んでいく。
僕は口をポカンと開けたまま、テンポが速く複雑な展開をするダンスのようなやり取りに見惚れていたが、横から別の先輩に声を掛けられた。
「落ち着いたなら、コッチも良いかな?」
彼は自分の後ろに並んでいる機材と、それを注視している先輩たちを指した。「ああ、すみません。今、行きます」と僕が答えると、彼は新しいパイプ椅子を用意してくれた。
とても移動式とは思えない巨大な機材は、ヤマブキのジャケットの状態と、着用者である蜂須賀さんが中でどうなっているか、詳しい情報を表示してくれている。それぞれのモニターが具体的に何を表示しているのかまでは、よく分からない。
モニターをメインで見ている先輩と、左右でそれを補佐するように画面を睨んでいる二人は、マイクがついたヘッドセットも装着していた。その指先は、キーボードの上を忙しなく動き回っている。
「EVAは、どういう意味だ?」
僕の横で足を組んで座っている先輩が、急にクイズを投げかけてきた。
「えっと、船外活動を意味する略語でしたよね。確か、エクストラなんとか」
「Extravehicular activityで、EVA。平たく言えば、宇宙遊泳」
そして、蜂須賀さんが着ているのはEVAジャケット。だから、アレの本来の活動場所は大気圏外。宇宙で活動するための装置。パッと羽織って、パッと脱ぎ着する気軽さを表現したいから、「ジャケット」の名を与えられた、非常にスマートになった船外宇宙服だ。
「船外活動は、母船や遠隔地の基地と交信しながらやるもんだろ? だから、コレも合わせて、ワンセットなわけ」
「つまり、基地とオペレーター?」
先輩は笑みを浮かべ、首を縦に振った。移動式の簡易基地と、「臍の緒」がなくてもある程度自立して動けるようになった、生命維持装置付きの宇宙服。ジャケットの補修や運用だけでなく、研究開発やオペレーションまで一つになって、初めてチームになる。
先輩は、今も激しく動き回っている蜂須賀さんらを見やった。
「ジャケット着用中のアイツはあの中で孤独でも、オレたちとやり取り出来る間は繋がっていられる」
「だから、命令がきちんと伝達できているかの確認と、返事をすることが大事と」
「しょうゆうこと」
先輩は空中で、小さな何かを持つようなフリをして振り返ったが、僕にはそのギャグが分からなかった。他の先輩にツッコまれてスベったことを認識した彼は、失敗を誤魔化すように白衣の乱れを整えながら、「ち、ちなみに」と新たな話題を切り出した。
「音声認証のヘンシンって、どんな字を書くか知ってる?」
「え、普通に変わる方のヘンシンじゃないんですか」
彼は人差し指を立て、チッチッチと左右に振り、「違うんだなぁ、それが」と笑った。
「ヒントはさっきの話。あとは、システムとのやり取りを考えれば、答えは分かるはず」
「えっ……」
先輩が言っていることの意味が分からず、一瞬フリーズしてしまう。返事が大事って話はしたけど、それとシステムとのやり取りがヒント? 機械やシステムと何かする時は、ええっと……
「もしかして、返す方のヘンシンですか? メールとか、手紙の方の」
「そう。その通り」
僕にクイズを出した先輩は、なぜか向こうも嬉しそうに微笑んだ。
ヘンシンの響きだけで、勝手にヒーローモノに付き物の組み合わせを考えていた。
「対話型のシステム、オペレーションで、何にも反応がない、メッセージが返ってこないのは怖いだろ? エラーならエラーでメッセージを返せって思うしさ」
遠隔で少し離れたところにジャケットを転送する、新たに形成するとなれば、余計にリアクション無しは怖い。それはよく分かるけど、なぜ送ってもらう側がヘンシン?
「ああ、そこは響きを優先して無理やりこじつけちゃったらしい。やっぱり、言いたいんだって」
僕が心の中で思った疑問を素直にぶつけると、先輩は笑いながらも答えてくれた。
「他に相応しい表現もあるはずなんだけど、勢いで決めちゃったのが今も続いてるって噂だよ。どう思う?」
ニヤニヤしながら水を向けてきた先輩に、僕も釣られて半分笑いながら、「気持ちはよく分かります」と答えた。空中の微細なナノマシンを活用するとはいえ、魔法みたいな技術で、頭も身体も覆ってくれるスーツとなれば、着用する際は「ヘンシン」と言いたくなる。
ただ、目の前で動いているのは、人気スポーツに登場する変身ヒーローではなく、あくまでも技術開発の一環として激しく動き回れる船外作業員。宇宙開発事業の一角というのは忘れてはならない。
「ただ、君は着用者になるんだもんなぁ。オペレーションとか、メカニックを見学したってあんまり意味ないか」
「いや、そんなことないですよ」
僕はメインオペレーターたちの邪魔をしないように、詳細が分からないなりに機材やモニターに表示されたデータを眺めた。花形は目立つプレイヤー、着用者ではあるものの、研究開発やオペレーション部門にも興味があるから、この大学を選んでいる。プレイヤーになるだけでは分からないことを複合的に学び、自分に向いた分野に特化していく。それをやりたいから、今に至っている。
「じゃあ、藤田先輩タイプだ」
先輩は、早苗さんの方を見ながら言った。
「先輩も、プレイヤー兼メカニック。おまけに、時々オペレーターもやるからな」
「え、先輩もジャケット着用できるんですか?」
「今更何言ってんだ。今でこそヤマブキは蜂須賀先輩専用になってるけど、昔は兼用、というか藤田先輩がメインだったんだよ」
急な情報開示に、僕の処理が追いつかない。確かにかなり動けそうな身体で、今もなお体操選手に格闘技の専門家を合わせたような動きを見せているけど、そんなに実力があったとは。
EVAジャケットそのものは、当然ユニセックス。別に誰が着用しても問題はないが、重さや動きにくさは大して変わらないはず。体格差や性差によるフィッティングは別途調整するとしても、蜂須賀さんを抑えてメインだった時期があるとは。
イリオンには女性プレイヤーもいるし、本校の別チームはメインどころが女子だったりするけど、まさか早苗さんもそうだったとは。黄色でちょっと小柄なヤマブキも、それはそれで非常に良い。
一人で興奮しながら、目の前の二人を眺めていると、どこかへ姿を消していた高岩が、多目的ホールへ戻ってきた。彼は僕の側までやって来る。
「そろそろ一回、休憩しましょう」
メインオペレーターが、インカムを通じて蜂須賀さんに指示を出した。蜂須賀さんは、「了解」と返し、激しく動き回っていた早苗さんともども、直後の手でピタッと止まった。蜂須賀さんは、バックルとケータイを操作して、ラヴァンのマスクとジャケットを解除する。
早苗さんは足元にあった白衣を拾い、汗だくの蜂須賀さんと一緒にオペレーターチームの元まで戻ってきた。僕と高岩は二人に新しい水と綺麗なタオルを差し出し、僕は自分が腰掛けていた椅子を二人に譲った。