4月8日(土)

 大きな鏡の前で動きを確かめながら身体を動かす人影が、3つから4つに増えた。さっきまで構えていたアクションカメラを哲朗くんに預け、瑞希も沙綾たちに混ざって身体を動かしている。
 瑞希からカメラを預かった勢いで、彼女の取材、素材撮りまで引き継ごうと一所懸命画角を探して動き回っていた哲朗くんだったが、どう動いても思った画にならないのか、あるいはどれだけ気を使ってみたところで邪険な視線が向けられるからか、心底打ちのめされた表情で、僕の隣へ戻ってきた。
 撮れ高を確認している彼に、「お疲れさん」と水が入ったペットボトルを差し出した。
「君はほんっとに、偉いな。折角の週末まで、瑞希に付き合わなくても良いのに」
「そういう一輝さんこそ、沙綾さんのために時間割き過ぎじゃないですか?」
 哲朗くんは「ありがとうございます」とペットボトルを受け取り、僕の隣に座る。
「まぁね。でも、良い光景だろ?」
 カメラに記録された撮影データをじっと確かめている哲朗くんの肩を叩き、目の前に広がっている生の動きを示した。彼は真面目そうに僕の顔を見返したが、ゆっくりと瑞希たちの方に目をやると、そちらをしばらくじっと見て、「そうですね」と低い声で言った。
 彼はカメラの電源を落とし、瑞希のカバンへ戻した。僕と同じように、目の前の鏡に正対するよう、座り方を変えた。目の前で躍動する女性たちの動きに合わせ、スタジオの床もわずかに振動するのが心地いい。
 華やかさにパッと目が行ってしまうのは、中央の沙綾だが、その後ろで沙綾の動きを追いかける小野寺さん、お友達の野村さんも、キレやスピードにやや欠ける印象はあるものの、要所要所のキメるところはキマッていて、様になっている。
 一番後ろでポニーテールを振り回している瑞希は、リズムが微妙に合わないのと、動きに固さと重さを感じさせている。ちょっぴりボテっとしてるところがこなれれば、まとまりも出てきそうなんだけど……。
 音楽が止まるとともに、女性陣の練習も一時休憩に。小野寺さんたちは二人で水分補給なり、タオルで汗を拭くなりしている。沙綾と瑞希は僕らの方へ来て、哲朗くんは瑞希に「お疲れ様」と声をかけ、タオルとペットボトルを差し出した。
 僕も沙綾に「お疲れさん」とペットボトルを差し出す。彼女は水をグッと飲み、肩にかけたタオルで、口元も拭った。
「二人とも随分楽しそうに、ジロジロ見てたね」
「みんな頑張ってるなぁ、輝いてる女性は美しいなぁって。なぁ、哲朗くん?」
 哲朗くんに話題を振ると、彼は瑞希の視線を受け止めながら、「え、えぇ、まぁ」と上擦った声で言う。沙綾も瑞希も、少々軽蔑が混じった疑いの眼差しを保っている。
「ほんとに〜?」
「本当だって。邪な気持ちとか、一切ないって」
 必死に否定するのも逆効果な気はするが、他の戦略が見当たらない。沙綾をなだめながら必死に思考を巡らせていると、彼女は「ルミさぁ〜ん」と小野寺さんに声をかけた。沙綾に呼ばれた彼女は野村さんとの談笑を切り上げ、沙綾の方を向いた。
「ちょっと、音楽かけてもらっていいですか?」
 小野寺さんは、沙綾に言われるがまま、さっきまで彼女たちが使用していた音楽を再生した。状況が今ひとつ飲み込めていない彼女らは、キョトンとしたまま僕らの方を見ている。
「見てたんなら、できるよね?」
 沙綾は僕と哲朗くんに視線をやり、鏡の前へ立つように促した。瑞希も「それはいい」と言わんばかりに、哲朗くんの背中を押し出した。小野寺さん、野村さんも楽しそうな目でこちらを見ている。
「どうします?」
 哲朗くんは困り果てた表情で僕を見た。
「どうするったって、やるしかないだろ」
「えぇっ!」
 哲朗くんの驚きに一々反応する余裕はない。音楽のリズムを掴んで身体を揺らしながら、沙綾たちの動きを思い出すしかない。哲朗くんがついてこれるかは分からない。他人を気にかける余裕が、そもそもなくなっていく。
 肚を括って、記憶を頼りに思い切って身体を動かしたーー。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。