10月11日（水）

　作業着姿でない弟を見るのは随分久しぶりだった。私服の中でも比較的かっちりしていそうなボタンダウンシャツとチノパン、カジュアルなジャケットというのも、非常に違和感を覚える。
　晃が来ているものといえば、サッカーのユニフォームか、中学や高校の制服、そうでなければ母がイオンや平和堂で買ってくる謎の服といったイメージしかない。流石に、実家の仕事を手伝うようになってからは自分で色々買いに行くようだ。
　その中でも、今日は比較的ちゃんとしている部類の服装をしている。ユニクロで買い揃えたのは間違いなさそうだが、そこら辺の大学生に見えなくもない。
「なんだよ」
　晃は僕の方を見て、嫌そうに言った。
「いや、絵に描いたような『馬子にも衣装』だなと思ってね」
「どうせオレは、都会的でオシャレな兄貴と違って、ダサいの土方だよ」
「そんなことは言ってないだろ」
「目がそう言ってるんだって」
　晃は僕がさっき入れたコーヒーに口をつけた。
「ウチじゃ、コーヒーメーカーも床暖房もないぜ？」
「そうだっけ？」
　一度足を踏み入れたっきり、しばらく顔を出していない実家のリビングを脳裏に思い描く。あの時もしばらくぶりだったから、何がどう変わっていたか、一つずつ確かめる余裕もなかった。
　真新しい電気ポットぐらいはあったような気がするけど、食器棚や冷蔵庫、エアコンがどんな形で、どんな色をしていたかも覚えていない。
「わざわざスリッパも履かないし」
　彼は自分が履いている来客用のスリッパに目をやった。向こうに行った時、来客用のスリッパは出てきた気がする。僕は晃に「スリッパは、お客さんだけだよ」と答えた。
　晃は自分の腕時計を見た。そろそろ昼過ぎ、僕の昼休みもボチボチ終わる。
「出発は何時だっけ？」
「予定では、午後１時。連絡もらってから、下で集合、のはず」
　じゃあ、ほぼ予定通りか。沙綾だけならいざ知らず、今日は朋子さんも同行するらしいから、とんでもない遅刻はしないだろう。晃は一瞬スマホを確かめ、すぐにスリープへ戻した。
「で、結局、兄貴はあの人と結婚すんの？」
　晃はぶっきらぼうに言い放った。答えを求めている様子ではなかったが、僕は答えを濁しながら、曖昧に肯定した。すると、彼は「マジかぁ」と項垂れた。
「あの人はともかく、あのオバちゃんが親戚か」
「別に、そんな親戚付き合いもしないって」
「たま〜にだから、余計にさ。兄貴はいいけど、緊張しっぱなしというか、馴れる気がしないっていうか」
　あ〜、それはそうかもしれない。彼より頻繁にやりとりしていそうな瑞希も、朋子さんの前ではまだまだ緊張しまくっている。もっとも、それは僕にしたって大して変わらない。
「でも、別に怖い人じゃないよ。気持ちがピリッとするだけで」
「それが怖いんだろ〜」
　でも、その「怖い人」と今日は半日一緒にいることになる。間に沙綾がいて、ただの運転手に近いポジションだったとしても、ピリついたままの半日は中々の試練だろうな。
　晃への言葉を考えている間に、彼のスマホが鳴った。どうやら、いよいよその試練が始まるらしい。慌てて出ていく弟に心の中でエールを送りつつ、僕は僕で、午後からのリモート業務を開始した。