5月8日(月)

 授業中の内職も順調に進み、授業そのものも卒なくこなした。あとは仕上がったデータのアップロードと、Slackでの共有ができれば一つ片付く。まだ時間には余裕があるし、帰宅後にゆっくりやろうと思ったのに、あと少しで家というところで、上坂さんに捕まった。
 先々週は帰り際に捕まってしまったから、ちょっぴり警戒して帰ってきたのに、茨高すぐの古びた本屋の前でばったり出会した。自転車でそのまま走り去っても良かったのに、なぜか気が引けて自宅の方まで一緒に歩いてきてしまった。
 で、なぜかそのままアレよアレよと、部屋の中に押し入られてしまった。先々週も取り巻きっぽい青柳さん、鈴木さんとともに家の前までやってきて、彼女だけ僕の部屋まで着いてきている。一人暮らしの狭い部屋に、二人っきりというのは落ち着かない。
 彼女は「ちょっと暑いね」というと、自分の鞄を置き、財布だけ持ってどこかへ行ってしまった。一人で困惑していても仕方ないし、とりあえず手を洗い、机の前まで行ってMacを立ち上げる。Slackで作業に関して連絡をしていると、上坂さんがビニール袋を下げて戻ってきた。
「おぉ〜い、哲朗く〜ん」
 台所の方からドアを開け、可愛らしい顔を覗かせた。
「あ、ごめんなさい。お仕事中だった?」
 僕は「いや、大丈夫だよ」と答えつつ、部屋の中を極力見せないように台所へ移動した。後ろ手に扉を閉めるが、台所の狭い空間に二人でいる方が緊張するな。判断を誤ったか。
 上坂さんは僕のことなどさして気にかける様子もなく、コンビニで買ってきたドリンク、お酒を冷蔵庫に詰め込んでいく。残った2本のうち1本を僕に差し出し、自分はそのまま手元の缶を空けて口をつけた。狭い台所で立ったまま、極々喉を鳴らしながら豪快にビールを飲んでいく。
 さっきよりちょっと赤くなった顔で、僕の顔を見上げる。
「あれ、飲まないの?」
「ああ、うん。まだ、仕事があるから」
 胸ポケットのスマホも震えて教えてくれる。もう少ししたら、次の動画について打ち合わせをするために、みぃちゃんがやってくる。
「私の酒は飲めないんだ」
 彼女はビールを片手に、僕の方へ身体をグッと寄せてくる。狭い台所では後退りのしようもない。暖かくて柔らかいものが押しつけられ、生理的な怒張が下腹部で存在感を主張している。
「そ、そういうのは止めようって約束したじゃないか」
「あら。お友達のままでそういうのはしちゃダメなの?」
 彼女は舐めるような目付きで、吐息がかかりそうな近さで見つめてくる。僕は拳をグッと握りしめ、血と意識を必死に拡散させる。永遠にも感じられる数秒間、ジッと硬直していると、僕にかけられていた体重がフッと消えた。熱いぐらいの熱もスッと遠のく。
「冗談、冗談」
 上坂さんはケラケラ笑って、手に持ったままだったビールに口をつけた。
「そんなにあの子が大事なんだ。立派だけど、ツマンナイのね」
 彼女はビールの残りをグッと飲み干すと、中を適当に洗ってから分別してある袋に投げ入れた。自分の鞄を持って、「じゃあ、帰る」と言った。
「あら、どうも」
 上坂さんはドアを開けると、扉の向こうで誰かとしゃべっている。彼女は僕に「じゃあね」と笑顔で手を振って、そのまま靴音を鳴らしながら遠ざかっていった。入れ替わりに玄関に姿を現したのは、みぃちゃん。
 台所に残っているコンビニの袋に、未開封の缶ビール。そこらへんに漂っている気がする、ちょっぴり蒸し暑そうな空気を、一刻も早く外に出したい。みぃちゃんは険しい表情のまま、玄関の中に一歩入って後ろ手にゆっくりと扉を閉めた。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。