9月13日(水)

 仕事の気分転換に、必要な道具をカバンに入れて外に出る。自宅からキャンパスまでの軽いウォーキングも、頭の刺激になってちょうど良い。
 大学はまだ、夏休みの真っ只中。8月末までは見かけた小学生もいなくなり、学食も含めた校舎の中も、人影は少ない。こっちのキャンパスで部活に励んでいる人たち、卒業論文等で研究室に詰めている人たちと教職員、もしくは就活生のいずれかだろう
 それにしても、まだまだ午前中。学食も、そこのスタバも、人はほとんどいない。  電源が取りやすそうな端っこの席を探し、荷物を置いて先に座席を確保してから缶コーヒーを買った。こういうものがなくても、誰にも文句なんて言われないだろうけど、あんまりぼんやりしすぎた時の眠気覚ましに、横へ置いておこう。
 とりあえず、缶コーヒー以外はテーブルの上に出さず、カバンを横に置いて椅子に身体を預ける。何を見るともなく、食堂全体を眺めるように視線をやった。ただただぼーっと、物の輪郭を捉えるのもやめて、ぼんやりとした視界で頭を空っぽにする。
 耳に入れたノイズキャンセルもついたワイヤレスイヤホンからは、どこかの海の波の音が聞こえてくる。立体的な奥行きを感じさせてくれる心地よい揺らぎに、身も心も委ねてみる。十分に睡眠もとっているはずなのに、だんだん目蓋が重くなってきた。
 このまま船を漕いで、睡魔に襲われるのも良いかもしれない。急ぎの仕事は終わらせてある。アポイントや準備も、今日はやらなくていい。程々の上がりを出せれば十分だし、夕方ぐらいまで開店休業状態でも大丈夫。
「ねぇ」
 急に大声で話しかけられて、眠気が一気に吹き飛んだ。驚きのあまり、椅子から転げ落ちそうになる。左耳のイヤホンが僕の身代わりに耳から落ちたのは、たまたまだろう。僕に声をかけて来た人物は、自分の耳に髪をかけながら、転がり落ちたイヤホンを拾い上げた。
「驚かせちゃって、ごめんなさい」
 彼女、上坂さんはにこやかにイヤホンを差し出した。僕は恐る恐る、「拾ってくれてありがとう」と、それを受け取った。上坂さんは流れるように、僕の向かいの席に座った。
「まだ授業もないのに、どうしたの?」
 僕は右のイヤホンも取り出して、二つともカバンにしまった。僕と同様に、就活にも教職にも縁がないはずの彼女が、今日みたいな日にわざわざ茨木キャンパスまで出向く理由が思いつかない。
「もしかして、僕が何か忘れてる?」
「梅田で映画デートの約束してたって言ったら、信じる?」
 彼女の問いかけに、僕はゆっくり首を振る。少なくとも、仕事関係のアポイントでやらかした、とかではなさそうだ。
「明子さんの誕生日の件で聞きたいことがあって」
「それで、わざわざ?」
「DMだとスルーするでしょ?」
 公開のチャンネルでも聞けないことを、わざわざ聞きに来たらしい。それにしても、よくここにいると分かったもんだ。僕の疑問をよそに、彼女は自分のスマホを取り出して、写真を探しているようだった。
「去年の様子だと、若いお客さんは一人もいなくて、結構ラフなパーティみたいじゃない? でも、この間の一朗さんのパーティだとカッチリだから」
 彼女は、どこで入手したのか分からない2枚の写真を僕に見せつける。
「どっちのつもりがいいのかな、と思って」
「ど、どっちって?」
「だから、カジュアルで良いのか、フォーマルが良いのかってこと」
 どうやら、「うちのパーティ」と母の好みなんかを聞きたいらしい。それを聞いてどうしたいのか、その辺りは聞かない方が良さそうだ。さっきまで休ませていた目と頭をフル回転させて、模範解答を捻り出さねば……。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。