10月7日(土)

 土曜の昼下がりから、息子の事務所で仕事の邪魔をしないよう、平日は娘が座っているらしい席に座り、先日刷り上がったばかりのヒイラギ、第三号を読み耽っている。浪川さんでもいれば、目の保養にずっと眺めていられただろうし、哲朗くんらがいれば若者の話や仕事ぶりを楽しむこともできただろうに、残念ながら今日はそれぞれ学校らしい。
 浪川さんのライバルらしい上坂碧氏も、今頃は真面目に講義を受けているのだろう。中々に骨太で、底知れない暗さを称えている文体の持ち主ながら、非常に器量の良い華の女子大生というのも、興味深い。
 私の後ろで盛り上がっていた会議が、どうやらひと段落ついたらしい。幸弘や森田さんが、打ち合わせスペースから順番に姿を現す。
「森田さんにも伝えておいたから」
 誌面に目を落としていると、頭上から幸弘が声をかけてきた。中身にのめり込んでいたから一瞬何のことか分からなかったが、森田さんの顔を見て思い出した。
「姉には僕からきっちり伝えておくんで」
「ああ、そうですか。よろしくお願いします」
 私が頭を下げると、森田さんも「いえいえ、こちらこそ。いつもありがとうございます」と深々と頭を下げてくれた。
「撮影の方も、一旦学生チームはお休みですし、こちらで工夫して対応しますんで」
「勝手を言って申し訳ないんですが、すみません」
「いえいえ。いつも無理なお願いに付き合っていただいて、本当にありがとうございます」
「本当、本当。武藤さんも、もっとお父様に感謝しないと」
 森田さんの後ろから、奥野さんが姿を現した。息子のオフィスには似つかわしくない、優美な衣装が、彼女には非常によく似合っている。化粧品特有のキツい香料も感じない。
 水を向けられた幸弘は、笑顔でやり過ごしながら、「で、この後、朋子さんは」と予定を尋ねた。
「駅からバスで戻るわ。夕方からの予約も入ってるし」
「森田さんは?」
「僕も今日はバスかな。用事は済ませちゃったし」
 奥野さんと森田さんは、それぞれバスの時刻表を確かめている。手段の多い森田さんとは違い、彩都西までの本数が少ない奥野さんは、しばらく駅前で時間を潰さなきゃいけないらしい。
「嫌でなければ、お二人とも送りますよ」
 私は、ヒイラギに指を挟んだまま二人に言った。幸い、今日は車で来ている。
「耳原の辺りなら近所だし、彩都西もたかが知れてるし」
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
 奥野さんはそう言うと、一旦鞄を椅子に置いて、ハンカチを取り出すなり、「その前に、お手洗いに」とオフィスを出て行った。森田さんは答えを決めかねているらしい。そんな彼に、幸弘は「森田さんも乗って行きなよ。積もる話もあるみたいだし」と背中を押した。
「じゃあ、僕もお願いしていいですか?」
「えぇ、もちろん」
 幸弘は、私の顔を見てニヤニヤ笑いながら、「それも持って行きなよ」と言った。私が「いいのか?」と訊くと、幸弘の代わりに森田さんが「どうぞ、どうぞ」と応えてくれた。
「じゃあ、私もお言葉に甘えて」
 数少ない手荷物に、ヒイラギ第三号も加える。奥野さんが戻ってくると、入れ替わり立ち替わりでトイレを済ませ、幸弘のオフィスを後にした。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。