3月31日(金)

 いつもの我が家では信じられないぐらい、あっちにもこっちにも煌々と灯りがついている。微妙な緊張感を保ったまま、いつもはしない「脱衣所での着替え」を済ませ、適当にほっぽり出しておく見られたくないものはしっかり隠して、鍵を開ける。
「へー。それが部屋着?」
 ハンガーにかけるパンツを抱えてキッチンを横切ると、当たり前のように食卓でお茶を飲む透に声をかけられた。一瞥だけくれて、すぐに自分の部屋に入った。キッチンから呼びかける声が聞こえてくるけど、反応すればするだけ調子に乗るのは分かっている。ガン無視を決め込んで、形を整えてパンツを掛ける。消臭スプレーも振っておく。
 ここの灯りは落としてからキッチンに向かう。そっちを見ると、透が椅子から立ち上がるところだったから、ちょっぴり冷や冷やした。後ろ手に外から静かに鍵をかけ、何事もなかったかのようにキッチンで手を洗う。透はそれを横に突っ立って眺めている。
「何?」
 タオルで手を拭きながら、透の顔を見上げた。「いや、別に」と言いながら、彼は私を頭の先から爪先まで、じっくり上から舐めるように見ている気がする。
 そこを退け、と手で示し、透に前を開けさせる。食器棚からグラスを取り出し、冷蔵庫から500mlのビール(正確にはリキュール)を取って食卓に腰を下ろした。
「オレももらっていい?」
「勝手にどうぞ」
 彼は今までお茶が入っていたグラスを空けると、そこに私のグラスに入りきらなかった残りのビールを注いだ。美味しそうに一口飲んだ。
「何?」
「透もビール飲むんだなぁ、と思って」
 「何だよ、それ」と言いながら、彼はもう一度、グラスに口をつける。ビールを飲む姿どころか、今着ている仕立ての良さそうなスーツ姿も見慣れない。どうしても、坊主頭で野球部のユニフォームを着ていた姿を重ねてしまう。
「洗顔はいいのか? お肌の曲がり角はとっくに過ぎてんだろ?」
「あんたが帰ったらするから、お構いなく」
 透は、私のグラスが空になりそうなところで冷蔵庫の前に立つ。「もう一本いる?」の仕草に頷くと、流れるような手付きで私のグラスと自分のグラスに半分ずつ注いだ。
「帰るよね?」
「どうしよっかな。久々にココでお泊まりするのもいいな。思い出のベッドで一緒に寝るってのも、アリだな」
「はあ?」
 こいつ、今年の年賀状に愛娘との写真を載せてたのに……。
「冗談、冗談。コレ飲んだら帰るよ。遅くなりすぎると嫁にも怒られるし」
 透の、人を馬鹿にしたような笑いに何度ブチ切れてきたことか。でも、私はもう大人。そんなムカつく顔で一々腹を立てないし、煽り文句も華麗にスルーしてやる。腹式呼吸で苛立ちもしっかり身体の外へ吐き出した。
「ルミはルミのままだな。元気そうで良かった」
 彼はグラスに残ったビールをグッと飲み干した。
「じゃあ、オレはコレで。また飲もうぜ」
 透は席を立ち、椅子にかけていたジャケットを羽織り、コートを腕にかけた。カバンをしっかり握って、玄関に向かう。彼が出ていくと、滅多に人が来ない我が家にまた戻る。
 「また飲もうぜ」のセリフに若干イラつきながら、普段より灯りの多い家で独りになると思うと、ちょっぴり怖かった。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。