2月23日(木)
沙綾が出演する舞台の初日が終わり、いつ終わるか分からなかった楽屋話も一区切りがつき、出演者は仲が良いもの同士で三々五々、帰路についたり、飲みに繰り出したり。沙綾は楽屋まで来てくれた瑞希さんと、新しい動画の仕上がりを打ち合わせるべく、市役所近くの電源が取れるカフェに向かった。
彼女らの影のプロデューサー、株式会社Mサイズさんの学生バイト、原田哲朗さん、その妹の美桜さんと共に、私も脚の高い椅子に腰掛けている。沙綾と瑞希さんは奥の席に座り、美桜さんはその横から編集画面を見ている二人を見つめている。哲朗さんは、女子三人を私の向かいからやや遠巻きに眺めていた。
ウェイターが背の高いグラスに入ったカールスバーグを運んできた。哲朗さんの前には、似たようなグラスでジンジャーエールがそっと置かれる。
「呑まないの?」
一緒に運ばれて来たチーズを摘み、グラスを傾けた。「ええ、まあ」と答えた哲朗さんは、沙綾たちのテーブルをジッと見ながらジンジャーエールの細いストローを口に咥えた。
真ん中でパソコンを操作している瑞希さんが気になるというよりは、その周りでチョロチョロしている美桜さんを気にかけているらしい。兄の視線が気になったのか、彼女はこちらを見ると、少々不満そうな表情を浮かべ、自分の飲み物を持ってやってくる。彼女は数歩手前で息を吐き、負の感情を顔から追いやった。
「お忙しいのに、ありがとうございます」
「いえいえ。日頃からお兄さんにはお世話になってますから」
美桜さんが離れると、賑やかだった編集会議が少々緊張した雰囲気に変わっている。言葉数は少なめに、キビキビと作業を進めているらしい。哲朗くんと一緒にそれを眺めていると、美桜さんは彼を小突いた。
「同席のレディをほったらかしにしない」
哲朗くんは「あ、すみません」と私に向き直り、頭を下げた。
「別に良いのよ。オバさんだし」
私の言葉に、美桜さんはとても困惑した顔をしていたが、ザックリ編集が終わった瑞希さんに呼ばれ、そっちの席へ移動した。
「政治家志望の妹さん、だっけ?」
独り言に近い呟きに、哲朗くんはしっかり頷いた。
「あなたの方が、向いてるかもね」
「え?」
「なんでもない。オバさんの独り言」
テーブルに運ばれていたカプレーゼに箸をつけた。唐揚げやポテトサラダも並んでいる。娘たちのテーブルにはピザも運ばれている。唐揚げを哲朗くんに勧めると、彼は少々かしこまり、「いただきます」と口をつける。一口かじって食欲にスイッチが入ったらしく、自分の取り皿に少しずつサラダやトマトを移していく。
「そうそう、それでいいの。どんどん食べなさい」
中肉中背、いや少し背が高いくらいなのに、なぜか線が細く思えるというか、他を威圧しない柔らかい印象をしている哲朗くん。柔和な顔の割に、時々頑固そうな気配を漂わせることもある。アーティストっぽい瑞希さんとは、意外とお似合いなのかもしれない。
美桜さんに見せていたパソコンを閉じて、今度は沙綾がそれを持ってこっちにやってくる。代わりに、美桜さんのドリンクも持って瑞希さんの方へ来いと哲朗くんが手招きされる。彼は自分のお箸とドリンクも持って、座席を移動し、哲朗くんの座っていた席に沙綾が座り、パソコンを開いた。
明日の公演終わりに劇団関係者に見せるという、新編集の映像作品。妹にやいやい言われている哲朗くんを視界の端で気にかけながら、再生が始まった動画に気持ちを切り替えた。