11月5日(日)
久しぶりに、丸一日オフの日曜日。午後から雨模様で、夕方のケビンの散歩まで、家で独り静かに読書か映画鑑賞でもと思っていたのに、何故かキッチンから延々と賑やかな音が聞こえてくる。
読書に集中したくても、音が気になって仕方がない。字面をゆっくり追いかけながら、少しでも物語に入り込めるよう試行錯誤してみる。
「本当に誕生日会やらなくて良かったの?」
やっと物語の世界、空気を掴みかけたところで、キッチンから沙綾が声をかけてきた。彼女は手元の作業から顔を上げ、私の方を見る。
「一日オフの日曜日なら、お客さん呼べば良かったのに」
彼女は私の返答を待たず、失敗したらしいレシピを最初からやり直すべく、手元のスマホに視線を落とした。何度もトライしているが、SNSの動画と簡単な文字情報しかなく、彼女のスキルでは参考動画のようにパパッと成功には辿り着けないらしい。
私は壁にかけたカレンダーへ視線をやった。色々と書き込んであるカレンダーだけど、自分の誕生日までは印をつけていない。家族や親戚、知人の誕生日ならいざ知らず。それに、もはや祝ってもらって嬉しい年齢でもない。
「あっちの家で沢山人呼んで、私が女王だ、ってやってたお母さんも好きだったけどな」
「私が女王だなんて、一回も言ってないけど」
「口には出してないけど、全身からそういうオーラが出てた」
一度集まるのをやめた頃より、さらに数年前。沙綾と共に暮らしていた頃は、まだまだそんな感じだったかもしれない。流石に今は丸くなったと自分では思っているけど、周りの様子を見るに、まだまだ尖りっぱなしのような気もする。今度の誕生日でアラフィフなのに、いい加減に落ち着かなくては。
キッチンの方から、沙綾の唸り声が聞こえてくる。どうやら、また上手く行っていないらしい。読みかけの本に手近な栞を挟み、彼女の方に近付いてみる。沙綾は「手は出さないでよ」と、燦々たる状況を手で覆いながら私に注文をつけた。
「手は出さないし、口も出さない」
私は沙綾のスマホを摘み上げ、レシピ動画を再生した。出来上がりは確かに見栄えする、透け感のあるパイらしい。その見栄えを作り上げるまでの工数も、相応にかかるようだ。扱う材料も中々クセがありそうな物がチラホラ。ベースのパイ生地をシートでお手軽にしたところで、そんな簡単にお手本通りにできるとは思えない。
沙綾は眉根を寄せながら、腕を組んで考え込んでいる。失敗も一度や二度ではなく、彼女が持ってきた材料の半分ぐらいが失敗作に費やされていた。出来損ないと言えるレベルですら、まだまだ程遠い。
「無理しなくていいわよ」
私がそう言っても、沙綾は納得していないようで、しかめっ面のまま不機嫌そうにしている。
「ケーキもパイも、無いならないでいいし、出来合いのものを適当に買ってくるのでも十分だし」
年々、甘すぎる物も積極的に食べたいとは思わなくなってきた。どうせなら、コンビニスイーツよりは美味しいものを食べたいと思うけど、それで誰かに負担をかけようとも思っていない。
「貴女の気持ちはよく分かったから」
そういうと、やっと納得したのか、沙綾は頷いて腕組みを説いた。
「じゃあ、あと一回だけ。手も口も出さなくていいから、そこで見ててもらってもいい?」
彼女は私からスマホを受け取ると、改めてレシピ動画を食い入るように見つめ、手順を何度も確かめる。やる気と気合いに満ちた表情で、再び最初の工程に着手した。