9月8日(金)

「おかえり〜」
 マイバッグを肩にかけてリビングに入った僕へ、芽衣が声をかけてくれた。さっきまで映美とお昼寝でもしていたのか、まだ眠そうな顔をしている。映美の方が元気そうに、目を大きく開いていた。
 野暮用ついでに買ってきた翌朝分のヨーグルトと食パン、子供たちの牛乳を冷蔵庫にしまう。もうそろそろ亜衣を迎えに行く時間帯だけれども、おやつタイムには少し早い。僕は一旦冷蔵庫を閉めて、手を洗うために蛇口を捻った。
 血の巡りが悪いのか、曇り気味の微妙な低気圧が作用しているのか、芽衣は状態こそ起こしているものの、珍しくボーッとしている。手元のタオルで両手を拭い、水切りカゴに伏せてあったコップをカウンターに並べた。冷蔵庫から麦茶のポットを取り出して、食卓まで運ぶ。
 映美は器用に自力で椅子によじ登り、僕がよく冷えたお茶をコップに注ぐのを大人しく待っていた。僕は自分が飲む分と、芽衣の分もコップに注ぎ、映美にコップを渡す。彼女が零さないか見守りながら、自分の喉も潤した。
 映美は空になったコップを僕に差し出した。「おかわり?」と訊くと、彼女は頷く。言われるがままに半分より少し多めに注ぐと、彼女はさっきと同じ勢いでググッと飲み干した。
 お茶をひっくり返すことなく、コップを食卓に戻す映美に笑いかけながら、芽衣は隣の椅子に腰を下ろした。誰も手をつけていないコップを手にとると、一口で半分ほどを飲んだ。僕は減った分を継ぎ足した。あっという間にポットのお茶が尽きかけている。
 僕は冷蔵庫を開け、ドアポケットを確かめた。すぐに次のお茶を沸かさないと、亜衣が帰ってきた時にはなくなりそうだ。雪平鍋に水を張り、換気扇とコンロのスイッチを入れた。
 ストッカーの中を探り、麦茶パックを取り出した。予備のポットは食器棚か。回転が速いから大丈夫だろうけど、一度蓋も解体してサッと水で洗う。角の方も届く範囲で手を入れて、もう一度濯いだ。蓋と共に水切りカゴへ伏せて、水の沸騰を待つ。
 芽衣は僕が椅子に置いたマイバッグに手を入れ、残っていた荷物を外へ出した。出てきたのは、USBメモリと中身が入ったクリアファイル。彼女はクリアファイルの外から中の書類を眺め、裏から透けて見える中身を隙間から覗こうとしている。
「見ても良いよ」
 芽衣は、「先に見ても良いの?」と言った。先も何も、僕は印刷した時点で既に見ている。僕が頷いて返すものの、彼女はこちらを一切見ることもなく、嬉しそうに二つ折りの紙を開いた。芽衣は大きく頷きながら、「へー、これが月末に印刷されるんだ」と言った。
「実際はもうちょっと小さくなるみたいだけどね」
 先日受け取ったPDFを、設定通りにA3で印刷してみたものの、コピー機の設定のせいでわずかに縮小されている。タウン誌の実物はさらに一回り小さいものの、画質は今見ているものより上がるはず。
「ヒイラギのことも触れてくれてるんだ」
 芽衣は、文末の方へ視線を向けた。確かそこには、瑞希さんたちの動画チャンネルや、そこまでのQRコードなんかが載っていたはず。上坂さんとの記事ということで、ヒイラギのURLやQRコードも載せてくれていた。
「ちょっとずつだけど、みんなが協力してくれてありがたいね」
 芽衣の優しい笑顔に見惚れ、完全にお湯が沸き立っているのを見逃してしまった。次号の部数を上げるか検討している話や、少しずつ収益が上がりそうな話もしたかったのに、色んなものを吹っ飛ばしながら、ひとまずコンロの火を止めて、麦茶パックをお湯の中に放り込んだ。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。