10月17日(火)

 章二さんは、お店の入り口近くにある大きな冷蔵庫の前で、お店の人と楽しそうに喋っている。さっきもさっきで、カウンターの中にいる調理担当のスタッフさんや、カウンターで喋っていた他のお客さんに声を掛けていた。
「社交的なお父さんなんですね」
 隣のテーブルから、浪川さんがルミに声をかけた。
「社交的、なのはいいんだけど全然戻ってこないよね」
 ルミは章二さんの方へ視線をやりながら、少々ぶっきらぼうに言った。彼女が言うように、章二さんは私たちの席へ戻ってこないし、案内されてからズーッと歩き回っている。
「あんなに落ち着きのない人だったっけ」
「落ち着きがないと言うか、サービス精神が旺盛なんでしょうね」
 家ではブスッとしているか、偉そうにふんぞり返っているか、側から見ると絵に描いたような「面倒臭そうながんこ親父」をやりがちなんだけど、本来は、あんな感じで好奇心旺盛かつ社交的な人。
「家でもああなら良かったのに」
「内弁慶で不器用な人だから」
 ルミは「内弁慶にも程があるって」とボヤいた。彼女にとっては、ただただ厳しくて怖い父親の姿しか見せていなかったから、その気持ちは分からなくもない。父親としてそういう振る舞いしか知らなかった、できなかった章二さんの気持ちも分からなくもない。
「前に一度、お会いしたことありません?」
 浪川さんの向かいに座っている作業着姿の男性が、私の顔をジッと見ながら言った。私は頭の中に疑問符を浮かべながら、相手の顔をジッと見る。浪川さんと顔や全体的な雰囲気が良く似ている気がする。視線を引いて、浪川さんと向かい合って座っている姿をぼんやり眺めると、なんとなく見覚えがあるような気もしてきた。
 すると、向こうが何かを思い出したらしく、「そうだ、そうだ」と声を上げた。
「あの時に隣に座っていたオバさんだよ」
 彼は向かいの浪川さんに「ホラ、あの時の」と迫るものの、浪川さんは「あの時?」とまだピンときていないようだった。
「半年ぐらい前かな。まだ寒い時に、商店街近くの喫茶店で一緒にメシを食った時」
 半年前? 商店街近くの喫茶店で浪川さんと出会ってたっけ?
 私がのんびり頭を捻っていると、浪川さんは「ああ、あの時の」と思い出したらしい。
「スケッチブックを勝手に弄っちゃった時の」
 スケッチブック? そういえば、喫茶店でスケッチブックを見直していた時に、色鉛筆で横から手を出されたっけ。もしかして、あの時のスーツの男性と、作業着の男性が彼らなのか。
「その節はすみませんでした」
 浪川さんは座ったまま深々と頭を下げた。あの時の彼が「あの浪川一輝」なら、瞬時に的確な加筆ができたのも、納得できる気がする。私は深く頷き、半年ほどの疑問をお腹に落とし込んでいく。
「いえいえ。浪川さんのおかげで、いい絵になりました」
 私もお礼を込めて深々と頭を下げた。それを見ていたルミは訝しげに、「なんか、随分と畏ってない?」と言った。
「だって、あの浪川一輝くんでしょ? 手ほどきを受けるなんて光栄じゃない」
 ルミは全くピンときていない様子だったが、浪川さんは「いえいえ。昔の話ですから」と謙遜していた。確かに私の知っているのは子供の頃の彼の活躍だけど、最近も色々と活躍しているのも知っている。
 ダメで元々と章二さんを誘って外へ飲みに出てみたら、憧れの人と隣の席でお酒を飲めるだなんて……。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。